Vol.78 2012.8.1

山をつくることは 仲間をつくること
 汗水たらして わかってきた (^^)/

森は爽やかな初夏から炎熱の盛夏へ、「熱中症に気をつけよう!」が合言葉になる。
人間どもは暑さに顎を出しているが、樹木は生気に溢れて奔放な繁り。
仲間たちと、そんな木々の育ちに手を差し伸べる。
人にも木にも親しみが増していくことに気がつく…。

ホッと一息 緑陰に憩う

日盛りの作業は頑張りすぎない。風が吹き抜ける木陰に入ると、滴る汗がひいていく。
山主さん差し入れの冷えたトマトが美味しい。チョッとお疲れの面々に、飛びっきりの笑顔が浮かんでくる。(写真:6月30日 吉村山林)

活動記録 

〈6月 参加者延べ62人〉

【6月2日】 吉村山林・北の沢都市環境林(札幌市南区) 植林

【6月9日】 北の沢都市環境林(札幌市南区) 下草刈り

【6月16日】 どろ亀さん記念22世紀の森(当別町)
「当別森林ボランティア・シラカンバ」とともに「新山川草木を育てる集い」の下刈りを支援。

【6月24日】 柴原山林(札幌市南区) 下草刈り

【6月30日】 吉村山林(札幌市南区) 下草刈り、遊歩道づくり

〈7月 参加者延べ34人〉

【7月7日~8日】 下山山林(室蘭市) 下草刈り、作業道づくり

火を噴くラーメン!

 気持ちの良い森と手づくりの小屋が魅力のフィールド。一日の作業を終えて、夜が更けるまで飲みかつ食べながら尽きることのない話に興じる。
 この日のサプライズは、真山さんの妙技。径30㎝ほどの丸太を斧とクサビを用いて縦割りし、各種道具の柄の材料をたちどころに何本も作ってしまった。(写真右)

【7月14日】 吉村山林(クマ出没情報を受けて中止)

【7月22日】 22世紀の森(下草刈り)

【7月28日】 支笏湖復興の森(下刈り)

感謝! 苗木を受贈

北海道山林種苗協同組合青年部から苗木の無償提供を受けた。いただいた苗木は、各フィールドに植林された。

北海道開拓記念館アンモナイト展  ~10月8日(月)

植物が陸上に勢力を伸ばし始めた時代に、海洋に広く分布し繁栄したアンモナイト。現代につながる果てしない時間軸を遡ってみませんか。
休館日:9/17と10/8を除く毎週月曜日と9/18。(会員の青柳さんからのお誘いです)

ホームページ→ http://www.hmh.pref.hokkaido.jp/

私はこんなひと

仲間のプロフィール 矢野 豊樹さん
山づくりは 祖父の遺志

矢野 豊樹さん 4年前、還暦を機に設計事務所を経営していた東京から実家のある札幌に居を移した。約40年にわたって生活した東京を引き払う決断をさせたものは大樹町に所有する350ヘクタールの山林である。
 十勝森づくりセンターにお願いして山の「健康診断」をしていただいたところ、大部分が「やや不健康・不健康」というお見立てだった。それならば北海道に戻って自分の手でこの山を健康に…と思ったのである。
 山は、祖父が1932(昭和7)年に取得したものである。祖父は岐阜県出身。小作農の二男に生まれたが、生きる場を求め北海道・足寄町に移住し、そこで雑穀商として財を成した。岐阜県人らしく山への思い入れが強く、50代で造林業へ転じるべく山林を入手したのである。
 ちなみに、私を豊樹と命名したのは祖父で、自身の名は捨松である。捨松という名の男が広大な山林を取得し、時が移り自ら豊樹と名付けた孫が、「不健康」になってしまったその山を再生しようと思い立つ…、因縁めいた話というべきだが、ここへきて、私を豊樹と名付けた祖父の深い思いが感じられてならない。

矢野山林 1.5㎞の作業道
矢野山林 1.5㎞の作業道

 そんなこともあって、祖父の遺志をしっかり受け継ごうと意気込み、山づくりの「設計図」を書いているところだ。その基本は針広ほどよいバランスの混交林である。適宜、伐採と植林を併行して行い、必要とあらば優良な広葉樹も植林したいと思っている。
 施業を計画するにしても実行に移すにしても、林業に関する知識も技術も極めて貧弱で限りなく心許ない。そこで、今後とも前述の十勝森づくりセンター大樹事務所にご指導いただく一方で、ウッディーズの活動にはできる限り参加して仲間とともにスキルアップを図るようにしている。
 林内を歩き回ってみて気がついたのは、私自身の「不健康」である。長い東京暮らしで体がスッカリなまっていた。これではならじ…、一大決意をしてタバコをやめるとともに、樹種の学習も兼ねて図鑑片手に藻岩山登山に精を出している。効果てきめん、かなりスリムになった。しかし、山づくりの方は、成果を上げるまで息の長い取り組みが必要だろう。
 みなさんの引き続くご指導を、と心から願っている。

(編集者注 8月9~10日、「先遣隊」が矢野山林を視察するが、今秋には作業参加を広く呼びかけることになっている。)

木を友に

Vol.31 【クワ】


みんなこんな時があった…

JR函館線で札幌の西隣の駅名は「桑園」である。この名前がクワの木と関係があるのか調べてみた。大いに関係あることが分かった。北海道開拓が始まったばかりの明治8年、酒田県の士族団(山形県の庄内藩士)約230人が船で来道、これがいわゆる官営桑園開拓団で、約70人は渡島大野桑園で開拓に当たり、残りが札幌に来て桑園を開いた。今の桑園駅の近辺だったので「桑園」という駅名が残った。

海道の低地には、野生のクワ(栽培クワと区別してヤマグワと呼ぶ)が自生しており直ぐに養蚕に利用できる状況だった。そのため、士族団が来道する前の明治4年既に丘珠、渡島大野に養蚕所を作っていた。当時の開拓計画によって、あちこちに養蚕所が作られていた。小学生の頃、我が故郷・倶知安にもマユを処理する工場(マユの中のさなぎが蛾になってマユを食い破る前に、マユを煮て、さなぎを殺す)があった記憶がある。

マグワは高さ20m、直径60㎝程度までになるが、これまでの大きさの木は滅多に見られない。栽培クワは、枝ごと刈り取られるので、背丈は低い。葉は有柄互生で、同じ木でもさまざまな切れ込み方をする。雌雄異株であるが、たまに同株もあるという。果実は、良く知られているように、最初は白く、次には赤く、最後は黒くなり、食べても美味しくなる。 作詞三木露風、作曲山田耕筰の「赤とんぼ」にも「山の畑のクワの実を 小籠に摘んだは まぼろしか」という懐かしい一節がある。
 小学生の頃は、食糧不足の時代で、農家でなくとも畑を借りて食糧を確保していた。小学生でも重要な働き手であったから、よく畑に出掛けた。我が家が借りた畑の周辺にはクワの木が多く、そこを新しく開墾するのは大変であった。クワの繊維は強靱で、小さい木でも鍬で根を切るには、ヘトヘトになった。昔、この強い繊維を利用して、和紙や着物を作ったと知って納得した。若葉は天ぷらにして食べられると言うが、未だ試していない。クワの語源は、食葉(くは)または蚕葉(こは)、いずれもカイコの食べる葉から来ている。

くの防風林にもクワの木は沢山生えており、時期が来ると沢山の実を付けている。しかし昔のように子供達が競って摘んで食べるという光景は見られなくなった。あるいは、親の年代でもクワの実を摘んだ経験のある人が少なくなったためかも知れない。ウオーキングの路上に完熟した真っ黒な実が落ちているが、無神経に踏みつけられていて歩けない。子供の頃おやつ代わりとして、大事に食べた思い出があるせいかもしれない。

参考図書
・『北方植物園』朝日新聞社
・辻達一『生命樹』中公新書
・佐藤孝夫『新版北海道樹 木図鑑』亜璃西社

(「木を友に」Vol.1~Vol.30は、「森林人コラム」で読めます)

木霊(こだま)

たまたまヒットしたブログに、「藻岩山の登山ルートをいくつ制覇出来るか!」、「限られた時間の中で藻岩山3往復」というお話しがあり、その中にウッディーズに関する以下のコメントと画像が。

 北の沢(登山)口。住宅地のすぐ脇にぽっかりとある。下草払いや植林をしている方々の間を抜けて、トコトコ走って…。
「間伐ボランティア・札幌ウッディーズ」の幟が。こういった活動が山を豊かにして行くんだろうなぁ…。

 6月2日の活動のことですが、さりげない短いコメントが何だか嬉しい。


森の本棚

『生き物たちのささやき』 ルナール『博物誌』より

 前号で紹介したルナール『博物記』の、やさしい、詩のような別の訳本に出会った。
 人間もそうありたいと思わせる「樹木の家族」。 くどい! というそしりを覚悟で、同じ章の全文を以下に。
 樹木の家族
 じりじりと太陽が照りつける草原を横切ると、やっと木々にめぐり会える。
 かれらは騒音をきらって道ばたにはよりつかない。人の手の入らない草原で、鳥だけが知っている泉のほとりに住んでいる。
 遠くから見ると、とてもかれらの中には入りこめそうもない。近づくと
すぐに囲みを開いてくれるが、すっかり心を許しているわけではない。私はそこで休息しすずむことができるが、かれらは私を観察し、うたがっているように思える。
 かれらは家族ごとにまとまって住んでいる。最年長者のまわりを、はじめて葉を開いたばかりの若木たちが囲むように立っている。ぽつんとはなれていることはない。
 かれらは長生きである。そして家族の中に永眠する者がいても、遺体がくち果てて土にもどるまで家族で守りつづける。

 枝が長くのびると「いい枝ぶりだね」とほめ合う。目の不自由な人たち
のように、たがいにふれ合うことで、みなの無事を確かめられるらだ。風が木々を根こそぎにしようとふきつけると、かれらは身体をふるわせて怒りをあらわす。だが家族の中では口論一つない。「それでいいのだよ」という同意のささやきが聞こえるだけである。
 かれらこそ私が求める本当の家族なのだと感じる。ほかの家族のことはたちまち忘れてしまうだろう。この樹木の家族は、少しずつ、私を養子として受け入れてくれるだろう。それを願って、私は必要なことを学んでいる。
 通りすぎる雲をじっと見つめていることを、私はすでに学んだ。
 また、自分の場所におちついてとどまることも身につけた。
 それに、ほとんど無口でいることもできるようになった。

(朔北社『生きものたちのささやき』青柳秀敬訳・南塚直子絵)

林間独語

8月上旬に発足する原子力規制委員会の委員5人に「原子力ムラ」の住民が3人も含まれるという。原発依存への逆流を未だに止められない日本社会の姿を如実に表わしている。困った、というより怖い話だ

▼こんなとコトをしている場合かと思いながら、木を伐ったり草を刈ったりしているのだが、このところ、山仕事に快適なはずの早朝と夕方の涼しい時間帯は、ヒグマが気になってこちらもチョッと怖い

▼5月に我が山林でクマの糞を確認したのに続いて、7月にはもっと住宅に近いところに「お土産」を目撃した。クマと人との「緩衝地帯」とも言うべき里山が消失して、住宅地とクマの領分が直に接するようになったのだから、両者が遭遇するのは当然なのだろう。特に、人間の恐ろしさを知らない若いクマは人間の生活圏に「気軽に」入ってくる

▼クマは人間と何千年もの時間をともに生き、畏敬の対象でさえあった。怖いけど、適切な付き合い方を弁え孫子の代を越えて共生すべき相手だ。だが、もう一方の、目には見えない怖い相手は、子孫のために断固「駆除」しなければ…。(T生)

 

<< 前の号へ    次の号へ>>