Vol.96 2015.8.1

草木の繁りに負けず 盛夏の森で、いい汗流そう!

ウッディーズの、今年度の活動もターニングポイントにさしかかった。
8月以降の活動も、安全を重視し、熱中症への警戒も怠らず、そして、楽しく進めていく。

6〜7月の活動概要

●6月20日・7月11日 22世紀の森(当別町)/参加者 延べ19人

「22世紀の森」は、「新山川草木を育てる集い」が森林科学の粋を注ぎ込んで育てる植林地。植樹後、最長で10年を経過した木々は大きく生長し、暑い陽射しを避ける充分な日陰をつくる。
ここでの協力活動は、森づくりの知恵を学べる得がたい機会でもある。

フキの葉をかざして暑さをしのいで見せる中野さん

前会員・中野さん、元気な姿で !

7月11日の22世紀の森に、体調の回復を果たした中野さんが太田さんの車に同乗して顔を見せてくれた。「中野さんにお会いするために…」と参加したメンバーもいるくらいで、「お久しぶりです!」という挨拶が飛び交い、和やかに話が弾む。 〈木を介して生まれた人の交わり…。良いなぁ〉と、しみじみ思う。

●6月6日・7月25日 第6〜7回山林調査(小樽市)/参加者 延べ13人

高川山林での標準地調査。林相が標準的な区画を選定し、その区画内の樹木について樹種、価値区分を判定するとともに、樹騠、胸高直径を測定し、得られたデータを元に山林全体の樹種別材積等を推計する。林内植生も調査項目となっていて、山を見る目を養える、楽しい調査である。

前記の他に、下草刈りを中心に行った活動は以下のとおり。

●6月13日 山田山林(当別町)/参加者 8人
●7月4日 吉村山林(札幌市)/参加者 9人
●7月18日 支笏湖の森(千歳市)/参加者 8人
●7月26日 北の沢環境林(札幌市)/参加者 9人

*各活動の詳細は、ブログ「活動の記録」参照

 

エゾタンポポの種を求めて

由仁ガーデンで発芽したエゾタンポポ

 前号でお伝えしたように、「エゾタンポポの種子の販売元、教えて」というHP訪問者の要望を北海道ボランティアレンジャー協議会のMさん(元ウッディーズ会員)につなぎ、種子の受け渡しを取りもつことになった。リクエストの主は由仁町にある「由仁ガーデン」のスタッフである。
 Mさんからの、「由仁ガーデンの方を自生地にご案内するが、行ってみますか?」というお誘いに勇躍して同行させていただく。
 そこは新千歳空港に近い美々川源流域。草むらに花時を過ぎたエゾタンポポが雨露に濡れていた。セイヨウタンポポに駆逐されつつある状況そのままに、いかにも儚げに見えた。
 エゾタンポポ減少の原因としては、セイヨウタンポポの無性繁殖が可能であるうえに花期が長いなどの優位性、繁殖干渉による影響が指摘されているが、Mさんによると、エゾタンポポのそう果がセイヨウタンポポに比べて大きく、種子を遠くまで飛ばせないこともある、という。
 今回、Mさんの手から由仁ガーデンへ渡されたエゾタンポポの種が、たくさんの花を咲かせる日が待ち遠しい。
 と思っているところへ、由仁ガーデンでいち早く発芽させたエゾタンポポの画像が送られてきて、ますます楽しみになってきた。

美々川源流

余 録 その一
 エゾタンポポの自生地から少し脚を伸ばして美々川源流へ。そこには神々しいまでの美観が展開していた。もう一つのカムイミンタラ…。

余 録 その二 
 後日、「ぜひ、お出でください!」とご招待いただいた「由仁ガーデン」を訪れた。園芸種の花卉には興味を抱いたことがなかったが、「お見それしました」である。園内をそぞろ歩き、「また来てみたい」と、そそられるものがあった。

 

シラカバが結ぶ ご縁

チョット痛々しいけど…

Fさんの作品

 白樺工芸作家・Fさんから、ウッディーズHPに「シラカバ樹皮を求めているが、入手が難しい。協力をお願いできませんか」という問い合わせががあった。Fさんはシラカバ樹皮の加工ばかりでなく樹液から石鹸も作っておられる。
 7月25日、高川山林で行われた山林調査に合わせてお出でいただき、シラカバの皮を剥いてもらった。
 野ネズミやエゾシカにグルリと樹皮を剥かれた樹は枯死してしまうが、必要とする部分は一番外側の外樹皮であり、肥大生長を行う形成層を傷をつけることはない。ただ、樹皮を剥かれた部分がどう変化していくのか興味のあるところだ。
 ただ、今回は6月から7月にかけてという適期を過ぎていて、思わしいなめらかな樹皮を得られなかった。来年以降の、シラカバ生育地の紹介・斡旋、剥皮の協力などを約束した。
 間伐ボランティアグループが、間伐以外で人とつながり、人の役に立つ、これもまたよし。

森の本棚

人はかつて樹だった

長田弘著(みすず書房)
*前号に続き、5月に亡くな った詩人・長田弘さんの『人はかつて樹だった』から。

 むかし、私たちは

木は人のようにそこに立っていた。
言葉もなくまっすぐ立っていた。
立ちつくす人のように、
森の木々のざわめきから遠く離れて、
きれいなバターミルク色した空の下に、
波立てて
小石を蹴って
暗い淵をのこして
曲がりながら流れてくる
大きな川のほとりに、
もうどこにも秋の鳥たちがいなくなった
収穫のあとの季節のなかに、
物語の家族のように
母のように一本の木は、
父のようにもう一本の木は、
子どもたちのように小さな木は、
どこかに未来を探しているかのように、
遠くを見霽(みはる)かして、
凛とした空気のなかに、
みじろぎもせず立っていた。
私たちはすっかり忘れているのだ。
むかし、私たちは木だったのだ。

森林人歌壇


 我が家まで迎えに行く故参加せよ優しき誘いに涙滲みぬ
 去年まで野山を巡りチェーンソーを振り回せしは 夢となりたり

中野 常明

 幾日も雨降らざれば土白く乾けるなかに紫陽花のたつ
 遠く住む父母のもとを訪ふたびに帰りは逃げる 思ひになり来

高橋 千賀

 どこまでもわれに付き来る円き月父の背に見し遠き日思ふ
 なにがなし気詰まりになり野良人参花の揺るるをしばし見てをり

原 公子

人と木のひととき

(第9回)カタン島の物語

ボードゲーム 『カタンの開拓者たち』

某有名国立大学の数学の授業で『ボードゲームで遊ぶ』といったユニークなものがあると聞いたことがある。デジタルゲームとは異なり、人と人が向かい合って思考と運を競い合うボードゲームは、90年代後半よりヨーロッパを中心に再評価する動きが高まっているそうだが、その先駆となったボードゲームに『カタンの開拓者たち』というものがある。
 このボードゲーム、発祥地のドイツではもちろん、日本でも(一部で)空前のヒット作となり、いまや世界的に大会が行われるまでになった。私も大学在学時には仲間内でよく朝まで遊んだものである。
 さて、このゲームの概要は「カタン島」という無人島を各プレーヤーが開拓し、そこで産出される「木材」「粘土」「羊毛」「麦」「鉄鉱」といった資源を奪取し、各々の文明の発展を競い合う…といった感じである。
 しかし、ただの戦略ゲームと思って実際にプレイをしてみると、なかなか深い示唆に気が付く。ゲーム序盤では「木材」と「粘土」の奪取が発展のカギを握っているのだが、ゲームが後半になり各々の文明がある程度に発達してくるとこれらは余剰気味になり、代わって「鉄鉱」の需要が急速に高まってくるのだ。この傾向は近代文明にピタリとあてはまる。

明治期のはげ山

 産業革命以降、木材というとなんとなく前時代的なイメージを持たれがちであるが、革命黎明期においては、燃料やタールの原料として木材が重宝され、欧州各国でその獲得競争が激しく行われたという。我が国の場合も例外ではなく、明治維新直後の急速な近代化の際には乱伐が多発し、森林資源の枯渇とハゲ山からの土砂流失が深刻化した。ゲームであれ歴史であれ、総じて「木材」が近代文明発達の「初速」として重要であることは証されているといってよい。ただ、その後の展開については、我が国の抱える飽和した人工林が正に物語っている。

(いしはら わたる ウッディーズ会員)

(「人と木のひととき」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

 

京都の森  大竹 啓之

こ暫く仕事で京都市に滞在しています。京都で最初の休日は自転車を借りて、郊外の山里である大原まで走ってみました。
 走っていていちばん目についたのは、山の斜面の表情(模様)が北海道と違うことです。北海道の山は良くも悪くもいろんな木が好き放題に生えている感じがありますが、京都の山はスギやヒノキの植林地が非常に多く、とがった三角形の樹冠が果てしなく整然と並んでいます。ある種、統率された秩序の気持ちよさというようなものでしょうか。

だ、見方を変えれば、混沌としてなにが出てくるかわからない森林のおもしろさとは別次元、すべてが管理されて自由を許さない怖さとも言えるかも知れません。
 三千院で有名な大原は、周囲をそんな山々に囲まれて田んぼや畑が広がる、歩く人もほとんど見かけないような、ごくごく普通の田舎でした。いったいどこが観光地なのかと不思議に思うほどのどかな田園風景ですが、三千院などの有名な寺院が立ち並ぶエリアだけは別で、土産物屋が立ち並び、そこだけが観光客で賑わっています。

京都の杉林

史には興味があるが史跡には興味がない私はこうした観光エリアをスルーし、三千院の反対側の山のふもとにある寂光院に向かいました。こちらは人が少なく静かです。しかも、その寂光院じたいもスルーして参道を進み、裏手の山のほうにまわってみます。すると、目の前にものすごいスギ林が現れたのです。下枝はきれいに切り落とされ、工業製品のようにまっすぐに伸びた、胸高直径30〜50㎝くらいの立派なスギが視界一面に整然と並んでいます。しーんとして、思わず息を呑むような静謐の世界です。

と口に森林といっても、その形、そのイメージするものはさまざまです。こういう整然としたスギ林、コナラの薪炭林、さまざまな樹種が混じり合う広葉樹の森、巨木が立ち並ぶ原生林などなど。具体的なイメージを共有しないままに森林について会話すると、お互いに話がまったくかみ合わないことにもなりそうだなぁと思いました。

シギ焼き弁当

ころで大原は赤シソの産地で、あちこちに赤シソ畑があります。風景的にもアクセントになっていい感じ。また、賀茂ナスの産地でもあり、昼食に食べたシギ焼き弁当(右写真)は絶品でした。大きな賀茂ナスの輪切りがダイナミックでとてもうまかった。

(おおたけ・ひろゆき 会員)

木霊(こだま) 読者からの便り

★エゾタンポポを気にされている方がいるのですね。まだ在職中のこと「朝日」に連載されていた「北方植物園」という連載記事でエゾタンポポと西洋タンポポの見分け方を知り、仕事で歩いたフィールドでタンポポの総苞片を見つめ、エゾタンポポは殆ど見られないなあと慨嘆したこと想い出しました。
 「森の本棚」、会員には本好きの人も多いでしょうから、紙面に花を添える良い欄ですね。
 「樹の伝説」、よい詩を取り上げました。
 「人と木のひととき」、石原さんの啓蒙のあれこれをとても興味深く拝読。「木材なんてものは死細胞の塊…」。そう、よくぞ書いてくれました。(Y・Tさん)

★「森林人通信」を京都の美山で受け取りました。
 「木立ちの中に建つ、薪ストーブの燃える、小さな家に住むこと」という長年の夢をここ美山で実現したいと思っています。(前会員・Nさん)

 

林間独語

▼大きな木の下で、吹き抜ける風に汗まみれの体を冷やすときの、得も言われぬ快感! だから、この暑苦しい季節でも森仕事は楽しい。しかし、今年に限っては、楽しいばかりではなく、深い思いに沈むことが多い。炎天下、国中の老若男女が上げる、「NO WAR!」の叫びが聞こえてきて…。

▼自身の戦場の記憶はB29東京初空襲で夜空が赤く染まった光景を目撃した程度に過ぎないが、戦中・戦後、その日の食い物すらなく、正に死ぬ思いの日々を体験した。

▼中学校の同期会に顔を出すとみんな小柄である。戦後3年目の1948年、8歳だった我々(男児)は38年の8歳児に比べると身長が2cm低い。14歳男児に至っては6cmも低いのである(旧文部省統計)。数多の命を奪い奪われたあの戦争であるが、それを生き残った者も、戦中・戦後、文字通り「身が縮まる」生活を強いられたわけだ。

▼翻って現在、国会周辺と津々浦々に「戦争反対!」の叫びが轟いている。しかし、政権党幹事長には、これが「かすかに気配を感じないわけではない」としか響かないという。この方にとって国会という場は、感覚を鈍磨させる余程悪い環境なのに違いない。すぐ森に行って、大きな木の下に身を置いてみることを、そして、そこで戦争のリアルを描いた本のページを捲ってみることを勧めたい。命の叫びに共感できる、真っ当な感覚が湧いてくるかも知れない。(T.M)

 

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