Vol.64 2010.5.1

カラマツ林で 大木の伐倒に挑む
  ― 風そよぐ早春に… 緊張の作業 ―

樹高25m、直径40cm級のカラマツを
次々と倒していく。(田嶋山林 4月10日)

 4月は4度の週末の全てを田嶋山林に集中した。作業は、カラマツの伐採、枝打ちなどで、春の陽射しを受けて快調に進んだ。
 しかし、かつて経験したことのない、急傾斜地における大径木の伐採とあって、安全に対する備えが再三にわたり強調・確認された。
 以下、4月3日4月10日4月17日4月25日、4回分の作業のあらましである。

一に安全、二に安全…

 穏やかな陽気になった。時は正に春。しかし、長閑(のどか)さに浮かれてはいられない。50年を超すカラマツの大木が伐倒対象である。それだけでも大仕事なのに、斜面は急角度で沢に落ちている。
 作業前のミーティングでは当日の作業内容と、それに伴う配慮事項の周知が徹底して行われ、加えて、終業時には当日の「ヒヤリ・ハット」の事例報告が求められた。

沢へ転がり落ちないようにロープで確保して玉切る。

「チャンと4mに切ってるの?」と人体物差し(?)
で確認。「ウン、4mあるワ」なんて遊んでる。

さすが、プロ!

 真剣な面持ちの発言をメモした「安全語録」から幾つかを紹介すると、
「安全にかけては容赦のない態度で警告しよう」
「人生では先輩といえども厳しく言わせてもらう」
「命を預け合う信頼感をもって仕事をする」
 Aさんが何年ぶりかで作業現場に戻ってきた。そして、2週続けてウッディーズのブログ・「活動の記録」にルポを掲載してくれた。当たり前のように作業をしながら、鋭い観察の目を配っていたんだなぁ、と思う。切り株の年輪からその木の生育歴を解説してみせるなど、専門家の技を感じさせる。
 4月、田嶋山林における作業は、これまでにない技術的・精神的体験だった。懇切に指導してくれ、作業でも中心的役割を果たしてくれたYプロに感謝したい。
 この山林での経験は、ウッディーズにとって反省点も含め飛躍の契機となるだろう。

温かい…差し入れ

 田嶋山林に隣接して、東区のAさんが所有林に小屋を建て森の生活を楽しんでいる。
 地下鉄、バスを乗り継ぎ最後は山道を歩いて小屋へやって来るのだと言う。
 小屋の側の、日光を遮る大木を伐ってくれたお礼にと、昼食時に毎度豚汁などを差し入れしてくれる。料理も気持ちも温か~い。

山が待ってるよ~

 それにしても、いい季節! 春風が心地いい。そこここに、薄緑の雪洞(ぼんぼり)という風情で蕗の薹が頭をもたげている。小鳥も頻(しき)りに春を囀る。
 作業に快適なシーズンはまだまだ続く。
 みんなー、出ておいで~!

森林人歌壇

鋸、鉈もチェーンソーも無き総会は街着の友に声かけ難し 中野常明

残雪を踏み抜きながら登り着き一息入れてチェーンソー始動  中野常明

菫咲く荒地に椴松植ゑてゆく花のむらさき鋤きこみながら  原 公子

(初ツリーイングの樹上にあって)
海が見え岬見えゐる木の上に留まりしばし春日をあびぬ  原 公子

消え入りたき思ひ抱へて寝(い)ねんとす猫のごとくに背(せな)を丸めて       

高橋千賀  

北極圏への旅

第4回
ヴァイキングの奇跡

 ヴァイキングは遠征先で越冬するとき、陸に引き上げた舟をひっくり返して屋根とし、住居を造ったという説がある。その証拠がスウェーデン南部にある大きな舟形列石だ。文字通り舟の形に石を並べたもので、これが家の基礎になる。
 残念ながら、この不思議な遺跡はまだ見ていないのだが、実はまさに地球の反対側、イースター島にも同じものがある。英語ではボートハウスと呼ばれ、島内にたくさんある。
 火山岩をちょうど縁石のように丁寧に加工し、舟の形に並べ基礎にしているのだ。この上に、太く丈夫な葦で船底形に編み、家にしていたらしい。
 この、今では有名すぎるほど知られた巨石像の島へ出かけたのは、三十数年前。当時はまだ秘境中の秘境の一つだった。旅の目的は、例の太平洋に沈んだ超古大陸ムー伝説を唱えたチャーチワード説を立証するためであった。
 イースター島は全島が草地に覆われた火山島だが、チリ航空が空路開発に苦労したほどの絶海の孤島だ。タヒチ島からでも南東へ、南回帰線を越え、優に3000キロも離れているのだ。だが、古代ポリネシア人は荒海を乗り切って移住を果たした。彼らは、海流を縄で、島を小石や貝殻で示す海図を持っていたらしい。むろん、現代人以上に星座を知っていた。
 であれば、中世の偉大な航海民族なら太平洋への進出も可能であったのではないだろうか ― とつい、ボートハウスをヴァイキングに結びつけて考えたくなる。
 歴史的事実として、ヴァイキングが、アイスランド、グリーンランド経由で北米大陸の東縁に位置するニューファンドランド島に入植したことは知られている。
 西暦1000年のことだから、コロンブス以前だ。とすれば、さらにセントローレンス川を遡り大陸奥地へ向かい、ロッキー山脈の豊富な木材でバイキング船を作り、太平洋へ。あるいは、大陸東側沿岸を南下、南極まじかのホーン岬を越え、太平洋へ進出していたかもしれない、と空想するのも楽しい。
 実は、近年、人類の移動に関するまさかと思われる多くの発見もあり、改めてわれわれの祖先の冒険精神に驚かされる。今回は森の話が一転、航海の話になったが、木は森の産物であり、その木で舟が造られるのだ。
 もしわれわれの世界に森がなかったら、人類は大洋を渡ることができず、文明もまったく別のものになっていたにちがいない。

(あらまきよしお  作家・荒巻山林山主)

木を友に

Vol.27 【ミズキ】

ミズキ

ミズキの花 ( http://www.hana300.com)

ズキは漢字で「水木」である。正月の繭玉の木として知られている。 しめ飾りや門松と一緒に歳の市で売られている。子供の頃は、門松と一緒に必ずミズキを取ってきたものである。 先端の芽を欠いて、小さく切った餅を刺して飾り札も飾って、節分までそのままにしておいた。節分までには、刺 した餅がすっかり乾燥してひび割れて、指で触れると簡単に崩れるようになっている。これをフライパンで炒ると 「あられ」になる。正月の餅を食べ尽くした後なので、貴重な餅菓子だった。

 ミズキはミズキ科ミズキ属の落葉高木である。高さは20mかそれ以上に、直径は70㎝~1mにもなる。成長は極めて 早いから樹齢の古いものは少ない。枝は放射状に且つ水平方向に出る。幹は灰色だが、枝先は艶のある紅色で美しい。 北海道では6月頃から花が咲き、秋に赤い実を付ける。熟すると暗紫色に変わりヒヨドリが喜んで食べ、ヒグマの好物でもある。

になると樹液の吸い上げが盛んになり、樹皮に傷を付けると大量の水があふれ出す。そのことからミズキと名付けられた。 樹液は、カエデのように甘くないので、シロップの原料にはならない。材は白く、緻密な木質が好まれ、こけし人形の材料になる。

 アイヌ語でミズキはイナウニニ(御幣の木の意)。材が白くて美しいことから特別に神に敬意を表すときの御幣作りに使われた。 アイヌが儀式を行うときの祭壇に、木を削ってチリチリにウエーブをつけた、木の薄皮の束が飾られているが、それがイナウ(御幣) である。御幣の材料の順位は、キハダ、ミズキ、ハンノキの順位で、ミズキは、第二位である。

マボウシ、アメリカヤマボウシ(ハナミズキ)、サンゴミズキ、サンシュユ等も同じミズキ科に属する。ヤマボウシは 北大植物園に沢山植えられており、大通公園にも何本か 見られる。春の花(普通、花と言われているのは、総包であり小さな花は内側にある)は群がり咲き、秋には可憐な赤い実を 付けるので、好きな人は自分の庭で育てている。

 ハナミズキは、尾崎行雄がアメリカに桜の木を贈ったお返しに、日本に贈られてきたことで有名である。残念ながら寒さに弱く、 北海道では、余りよく育たない。道庁レンガ館の前庭に何本かあるが、春になっても弱々しい花が チラホラしか咲いていなかった。暖地で丈夫に育って花が沢山咲けば、ポトマック河畔のソメイヨシノに負けない華やかさに なるだろうと想像している。

参考図書
『北方植物園』(朝日新聞社) 
辻井達一『「日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫『「新版北海道樹木図鑑』 (亜璃西社)
福岡イト子著、佐藤寿子画「アイヌ植物誌」(草風館)

〔取材メモ〕
 ミズキの写真を撮るのにこんなに苦労するとは思わなかった。
 前田森林公園、屯田防風林、手稲山、 田嶋山林など捜してみたが数が少なく満足いくものがない。
 掲載写真は手稲山で撮った一枚だが、ミズキの一般的姿形とは少し違うようだ。

木霊(こだま)

読者の便り

〔「森林人通信」(Vol.63)を読んで〕
〔★37歳の東京芸大入学、Aさんの学ぶ意欲、頭が下がります。ボクはこの世界に入りこの4月でやっと‘小学6年生’。見習わなくては。
 ヴァイキングが小柄な馬を飼っていて、魚が餌だったとは…。
 糞を食べるバニーちゃん。栄養満点な発酵食品が軟糞で、軟糞を作るために昼間は硬糞を食べるとは…。 足がスノーシューになったり、耳がレーダーになったりラジエターになったり…、感心しちゃう。
 大島山林の大ドロノキ、直径約106㎝でした。(Abさん)

★Mさんの手鋸、強く印象に残りました。開拓記念館の収蔵資料にも昭和初期まで使用されたと思われる大きなノコギリが多数あります。そうした手鋸は刃の大きさもさることながら、構えるだけでもずっしり重く、開拓や林業の仕事で伐木にあたった山子の人々の仕事の大変さが想像できます。伐った木も随分と太いものだったのでしょう。(Aoさん)

林間独語

▼前号の「木霊」で紹介した、岩手県の友人S氏が拙宅を訪ねてくれた。十年ぶりの再会だった。我々の年代になると、これだけ時間をおいて出会えば、お互いに‘ヤツも順調に老い込んでいるな’と、どこか安堵したり、‘気持ちは、俺の方が若いかな’と「優越感」を覚えたりする。しかし、彼には完全に負けた。以前と同じように艶々している。

▼彼は、国の出先の長を勤めていた実直な人だが、職場を離れると、「食品研究家」という肩書きを付した名刺を差し出したりする遊び心もあった。「看板に偽りなし」で、山菜、川魚、畜肉など目にする食材をたちどころに酒の肴にしてしまう料理名人である。毎年、歳暮にいただく手づくりのベーコンや焼き豚は絶品だ。

▼近況を聞けば、地元に残る中学時代の友人5~6人とよく遊んでいて、先日も田んぼの用水路で獲ったドジョウを直ぐに甘辛煮にして賑やかに酒盛りした、とか。還暦を過ぎた今も、仲間と正しい少年時代をやっている

▼ウッディーズのブログ「活動の記録」に我がメンバーが「やんちゃボーイズ」と評されていて、どこか通じるものがあるかも知れない。我らも少年の心で自然の恵みを堪能し、森林に在(あ)る喜びを感じ続けたい。でも、「やんちゃボーイズ」はチョッと面映ゆい。「やんちゃ爺ズ」だな。

 

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