Vol.75 2012.2.15

雪晴れの寒林に 芽を育み 春を待つ冬木 我らもまた…

 それにしても、人間は森を手酷く痛めつけてきたものだ。空気や水、ひいては食料を森に頼って生きている分際でありながら、その森に対して身の程を弁えない乱暴狼藉(ろうぜき)を働いてきた。酸性雨、熱帯雨林の濫伐、温暖化、放射能汚染…。
 「木は自分の破滅をもって木を伐るものに復讐する」「文明の前に森林があり、文明の後に砂漠が残る]という先人の警鐘が、今ほど重く響くときはない。
 森(自然)を大事にすることは「命」を大事にすること、そして、次世代を生き延びさせる必須の条件であることに改めて思いを致したい。
 春を待ちながら、森の恩恵を正しく評価し感謝できる知性と心性を磨く…

活動日誌 (10月)

田嶋山林・伐倒一番人気はやっぱり「ノコ切り体験」(道庁前)
田嶋山林・玉切り材の集積明るくなったアカエゾマツ林(荒巻山林)

22日 道民森づくりの集い(道庁赤レンガ前庭)
 森林の豊かさと様々な活動・成果を展示するテントがいっぱい。ウッディーズのブースでは、活動の紹介や木工品の展示・即売をした。

23日・29日 荒巻山林
 枝が混み合う薄暗い森に入り、どの木を間伐するか、みんなで意見を出し合う。選木は木と森を理解する有効なカリキュラムだ。
雪虫が舞うなか、作業は順調に進んだ。

25日~29日 白神山地満喫ツアー 参加:8名


活動日誌 (11月)

5日 機器メンテ講習会

12日 苫東・大島山林 16名参加
「遠路はるばる」少なくないメンバーが駆けつける — そこが、いかに気持ちのイイ森かを雄弁に物語る。歩き、見るだけで心が鎮まるのに、薪材を伐り出し、景観を整えて、「ボランティアごころ」も満足させられる。

19日・27日 柴原山林
 植樹した稚樹を雪害と鹿の食害から守るために、支柱を添え(ユンボで打ちこみ)、唐辛子付きネットで覆う。寒さで手がかじかむ。
 山主さんのおばあちゃんが勾配を気にせず森をめぐり歩けるようにと遊歩道づくりも。

活動日誌 (12月)

田嶋山林・玉切り材の集積森が好きで、人が好きで、話が好きで…

17~18日 11年忘年会 (小樽・春香小屋)
多数の若い新会員の参加で意気盛ん。兄弟グループ・苫東ウッディーズの草苅さんのお話しから今後の活動の示唆を得る。明け方3時まで熱弁をふるう猛者も…。


森林人歌壇

 おほかたの怪我は薬草貼りしのみにて弟妹の腕に残る傷跡 高橋千賀

 沼の辺に曾祖父ひとり住みゐし小屋葦の間に沈めるごとし 高橋千賀

 ストーブに燃えゐる薪のはじく音わが感傷のひとつと言はん 原 公子

 チェーンソーの音の途絶えて唐松が寒気ゆさぶり地に倒れゆく 原 公子

 お年玉与うる幼なも訪れず賀状二度読み昼寝となりぬ 中野常明

 また会いて焼酎飲もうの約束も果たせぬままに別れとなりぬ  中野常明

ムー大陸の夢

第5回
ミクロネシアの花園 — ポナペ島

  ムー大陸伝説は今回で終わりとするが、最後に南洋の海上都市の話をしたい。
 取材で出かけたのは二十数年前だ。搭乗機はマリアナ諸島のサイパン、グアムを越え、かつては連合艦隊の泊地であったトラック島の大環礁の上を飛ぶ。機首は転じ真東である。その先にポナペ島があるのだ。
 東京の南東三九〇〇キロメートル。カロリン群島の一島。北緯七度東経一五八度。
 当時は日本人が経営するホテルがあり、分厚いステーキが美味かった記憶がある。
ナン・マタール遺跡 出典:Wikipedia
 遺跡はナン・マタール。船着き場から船外機付きのボートに乗り、エメラルド色の珊瑚礁の上を進む。やがて鬱蒼としたマングローブに覆われた島が見えてくる。
 近づくと巨大な材木石(ざいもくいし) を大量に運び、要塞のように積み上げた神殿が出現する。  ナン・ドワスと言う。意味は「偉大な者の口」だ。地下牢のようなものがあった。〈ひょっとすると、生け贄にする捕虜を監禁した場所かもしれない〉と想像した。
 見上げると、椰子の梢がそよぐ青い空。むっとする湿気。苔むす遺跡の二重の壁に圧倒されて、背筋にひやりとしたものが……。
 石材は玄武岩らしく、膚が黒いので廃墟をいっそう悪魔的にする。
 正面が六五メートル。壁は二・三メートル。高さ七メートル。正倉院の校倉造りを思わせる石積みだ。  石材は最大で六・二五メートル、重量一〇〇トン、どうやって運んできたのだろうか。
 飛鳥の石舞台と言い、英国のストンヘンジと言い、フランスはカルナックの巨大列柱、南太平洋のイースター島と言い、古代には全世界的に拡がる巨石運搬文化が存在したにちがいない。
 他に、この材木石で護岸した人工の島が幾つもあり、整然と区画され、水路もある。
 温んだ水路を歩いて進むと、海鼠だらけだ。
 この大規模な海上都市をだれが造ったものか。ムー文明の名残だと騒がれたこともあった。
 港があることから、彼らが近隣の島々へ遠征していたことがわかる。椰子林や養魚地があり、一定の人口を擁していたこともわかる。
 かつて、南洋には、デレウル王朝というものがあり繁栄したが、イソケレケルの反乱で倒されたという言い伝えもある。
 いずれにせよ、栄枯盛衰は、世のならいである。   (完)

(あらまきよしお  作家・荒巻山林山主)

(荒巻義雄氏による「北極圏への旅」第1回~第5回及び「絶海の孤島問題」第1回~第5回は、「森林人コラム」で読めます)

森の本棚

ソーシャル・キャピタル

これからの選択
ソーシャル・キャピタル 地域に住むプライド

小林好宏・梶井祥子編著 発行:北海道開発協会

森づくりの「本丸」に切り込むウッディーズ
「人々が安心して暮らせる、幸せで魅力あるコミュニティとは?」を解明するする本書全6章のうち2章を苫東ウッディーズの草苅さんが担当している。分析対象として札幌ウッディーズを取り上げ、

●協調性や相互の信頼感に基づく緩やかな組織
●森づくりを自己実現と捉え、森林管理と伐採技術の研鑽を積もうとしている
●ボランティアでありながら、除・間伐などの領域(=林業の本丸)で活動する

などの特徴点を指摘する。
 また、コアなメンバーが60~70歳代であることに注目して世代論に及び、 曰く、一般的に60~70歳代という年代の人々は、「『田園から都市へ』という、人と職業と住まいの社会的時代的流れ」の中に生きてきた世代である。彼らには「幼少時などの農村の生活体験があり、それが田園に関するなじみとなっている」。だから、「かつてなじみのある田園における森や林の保育」は「ふるさと回帰の小さな実現」なのだと論をまとめる。

 更に、「一般的に人は信頼できますか」との設問に、ウッディーズの場合、「できる」と答えた人の割合が他の地域・グループより高いことにも注目する。
 ウッディーズって、そんな組織だったの?と気付かされるとともに、折角の分析を踏まえて、ウッディーズはどこへ向かうべきかを我々自身が考える契機にしたい、と考えさせられる。

木霊(こだま)  読者の便り

★昨年の夏に、いわき市のある家族と知り合った。7歳と5歳と3歳の元気な子どもたち。その子たちに、松ぼっくりやドングリ、くるみや色づいた木の葉やらを箱に詰めて送った。フクシマの原発事故のせいで自然に触れることができないだろうからと。電話が鳴って、ひとりずつ元気な声でお礼を言われた。うれしいけど複雑。
 あちこち駆けまわって集めたなかで一番の「自信作」はチョウセンゴヨウの松ぼっくり。長さ15センチ。パイナップルのように堂々として、食べられる実がびっしり。圧倒的な存在感だ。
 先日、映画「タイガからのメッセージ」を観た。アムール川支流、ビキン川流域のチョウセンゴヨウの大森林が圧倒的だ。まるで北海道の森のような針広混交林、さまざまな動物たち、森と親密に生きる人間たち。
 そして、ラストで流れるばあちゃんの歌声はアイヌの歌にそっくり。こういう映画は北海道でこそ作られるべきだったのだ。それにしても楽しい。 森は、ほんとに本当に楽し。 (O・K さん)


★(編集註:ブログに書かれた「伸びすぎた庭木に困惑…」が切っ掛けで会員有志がお手伝いに参上。そのお礼にいただいたメールから。会員間のこういう支援、もっと積極的にやっていいかも…と思う。)
 個人の庭木のために貴重な一日を費やして下さり本当に申し訳なく…。私は何もお手伝い出来ずに後ろめたいのです。私に出来ることはウッディーズのブログに書き込むこと(友人たちのブログにはウッディーズの宣伝を)、レッスン室に会報を置いてウッディーズのことを生徒・父母の皆さんに知ってもらうことくらい。
 今後とも怠け者の会員をお見捨てなきようお願いします。 (S・Aさん)

林間独語

▼林業生産物=木材と思われがちだが、実は林業算出額の過半数をキノコが占めている。キノコの4割がシイタケだが、福島県や茨城県のシイタケ生産者が苦境に陥っている。

▼放射能に汚染したほだ木の廃棄処理方法について適切な行政指導がなされず、一方で生産を継続するために必要な新しい原木の手当に苦しんでいる。今後、セシウム規制値をクリアーしても消費者に敬遠される事態が予想され八方ふさがりだ。福島県はシイタケ原木の主要産地(全国への供給量の54%)だから影響は全国に及ぶ。被害生産者は国と東電へ被害補償と今後の対策を求めて正に生きるか死ぬかの闘いだろう。

▼放射能被害は、果樹、米、野菜、魚介類と、農林水産業の全分野・多品目にわたる。農林漁業者に限らず、生業と生活を奪われた全原発被災者の嘆きと怒りの声は天地を満たしているのに、このとてつもない災害を引き起こし、或いは加担したものたちの懺悔の声はついぞ聞こえてくることはない。それどころか、停止中の炉の稼働再開、原発の輸出へと盛んに地ならしをしている。
 この理不尽をいつまでも続けさせるわけにはいかない。

 

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