森林人通信

Vol.71 2011.4.1

未曾有の天災に原発暴走 -東日本大震災-

 発生から3週間。巨大津波にのみこまれた町や地域で、人々は支え合い、必死に生きようとしている。  
 しかし、福島県では原発被害が拡大・深刻化する中、行方不明者の捜索すらままならず、多くの住民が故郷を後に県外などへの避難を強いられている。
 何をなすべきか、何ができるか、我々は問われている。
 福島県に実家がある、会員の佐藤さんと大竹さんの思いは痛切だ。

 

「浄土ヶ浜」
「さながら極楽浄土のようだ」からと命名された
岩手県・宮古市の景勝地「浄土ヶ浜」 も、
海面も岸辺も津波が運んできた瓦礫に
埋め尽くされたという。

実家の両親が心配

‐佐藤さんのメール‐
原発から40キロ以内に住む両親は「死んでも動かん」と言い切ります。80を越えており、土地を離れると命を削ることになりそうで、本人たちの思いを尊重するしかありません。
同級生にもとどまる人がいます。知人が生きてたとわかると涙が出ます。
原発に入って頑張っていた親戚がやっと返されてホッとしました。泣けました。
朝、目が覚めて、家族や友人の哀しみを思い心が痛みます。痛みというより、恐怖です。(3月20日)

 原発で仕事をしているいとこの子がやはり原発関係者の夫を残し、子ども3人とともに真駒内の道営住宅に入居することに。子どもの新学期を控え慌ただしい決断でした。(3月30日)

 

(事務局から)

 着の身着のままで真駒内に来られる佐藤さんのご親戚にご支援を!
中一女子、小学生(男・女)と母親の四人に対する支援物資など、要請事項は追って事務局から連絡します。

 

ふるさと福島を絶対守る

‐大竹さんのメール‐
 大変なことが起こってしまいました。福島原発はひどい状況です。今も放射能を出し続け、事態収束の目処は立っていません。このままでは、福島県が消滅してしまいます。どうしたらいいのか、何ができるのか、何ををすべきなのかわかりません。もどかしくてもどかしくて…。
 どうしてこんなことになってしまったんだろう? 原発は絶対安全だと繰り返し繰り返し聞かされ、結局それを受け入れてしまいました。自分で考えることを放棄して、無責任に「専門家」に運命を委ねた私たち。普通の日本人の大人たちこそが、この恐ろしい現実を招いてしまったのではないだろうか?
 でも、諦めるわけにはいきません。福島は私の故郷です。原発を廃墟にしても、福島を絶対廃墟にしてはいけません!
 絶対に希望を見いだします!
 忌野清志郎が、かつて今日の事態を予言し歌っていました。曲名は「サマータイムブルース~ラブミーテンダー」 http://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do (3月31日)

 

核兵器の残虐さ 改めて…

 官房長官や保安院が会見の都度、「ただちに心配はない」を連発すればする ほど心配が増す放射能というもの。  その恐ろしさを実感するにつけ、広島・長崎への原爆投下の残虐さや、今も締めて数万発の核兵器を保有するものたちの愚かさ・罪深さを思う。
 先ずは原発危機の収束に身を挺する東電及び「協力企業」の労働者たちの安全を祈る。

3月の作業日誌

初仕事
埋まってばっかり。冬の間にお肉が付きすぎた?
(3月19日)

3月19日田嶋山林 10名参加

 本年の初作業。
 ♪春は名のみの 風の寒さや~だが、木と真剣に向き合ううちに汗ばんでくる。
 時折の暖かい陽射しに心が浮き立つ。
 70本のカラマツを伐採した。

3月26日 田嶋山林 6名参加

臨時作業。伐採と枝払い。

ムー大陸の夢 
~荒巻 義雄氏によるコラム~

第1回【それは存在しない。だが……】

 3・11の記憶は、生涯、忘れられないだろう。14時42分前後を境に、一瞬の魔が人々の運命を分けた。こんなとき、物書きはつらい。何を書くにしても、書くこと自体がはばかれるのだが、福島原発重大事故の決着がまだついていないうちに、本稿の締め切りが来てしまった。
 さて――編集部の要望で連載をつづけることになったが、当分の間、超古代遺跡と伝説の謎に挑むことにした。
 皆さんは、ムー大陸と呼ばれる超大陸が、太平洋上に存在していたという話をご存知だろうか。アトランティスはプラトンの著作にあるものだが、ムー大陸はずっと新しく、英国の退役軍人チャーチワードが、印度洋と太平洋にまたがるレムリア大陸説(P・L・スクレーター説)に便乗して言い出したものである。
 印度の古い僧院で見付かった粘土板に書いていたと本人は言っているが眉唾物だ。にもかかわらず、1926年『失われたムー大陸』が発表されると、世界的反響を呼ぶ。現在75歳以上のかたなら、戦時中、子供のころ、耳にしたことがあるはずだ。
 なにしろ、ハワイ、トンガ、クック諸島、イースター島をも含む東西8千キロ、南北5千キロの巨大な大陸が存在し、1万2000年前に海に沈んだ――と言うのだから凄い。
 彼によると、インカもマヤも、海没したムー文明の名残ということになる。
 示された地図を見ると、まるで池に鯨を浮かべたようである。輪郭は恐竜に似ているが、地質学的に存在しなかったことがわかっている。しかし、彼は、イースター島はじめ太平洋上に点在する島々に、多くの意味不明の巨石遺構があることから、この奇想天外な説を考えだした。
 というわけで、ムー大陸のお話はこれで終わり……となりそうだが、そうはならない。
 まず、ムー大陸の形であるが、世界第二のニューギニア島そっくりである。もし印度の僧院にそんな古地図があったとすれば、想像の賜物でニューギニアが大きくなったのであろう。
 ともあれ、陸地沈没の伝承が太平洋一帯にはある。原因は、今回、東北地方太平洋側を襲ったような巨大津波であったろう。
 独自に、アトランティス北海説をとる筆者の考えでは、この大陸の沈没は、6万余年前から1万年前までつづいたウルム氷期が終わり、地球が急激に温暖化した結果起きた、巨大氷河湖の決壊によるものだった。
 だが、太平洋のムーは、今回の東日本大地震と同じ、プレートの巻き込みによる巨大津波の恐怖の記憶だったのである。

(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)

(コラム「ムー大陸の夢」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵 
~春日 順雄氏によるコラム~

18【ネコヤナギ(猫柳)

 早春の芽吹きの美しさに誘われて猫柳を採りに行った人がいるのではないでしょうか。乳白色に輝く芽吹きは、真珠や絹の輝きに似て美しい。頭巾状の袋(鱗片)に覆われた芽も美しい。
 ヤナギの仲間は、雌雄異株。沢山の花が集まって尾状花序(花穂)を作ります。花びらはありません。これは一般にネコとよばれ、英語でもキャトキン(catkin)といいます。芽吹きの頃のヤナギ類をまとめて猫柳といいます。

 ところが、ネコヤナギという種もあって複雑です。北海道の場合、バッコヤナギを採ってきて「猫柳を採ってきた。」と言うことが多いです。「それは、ネコヤナギではない。」と言う人もいます。あまり気にしないで、日本文化に根付いた「猫柳」の言い方も大事にしましょう。
 写真は、エゾノバッコヤナギです。上は開花前で雄・雌の区別がつきませんが、下は雄花です。虫寄せの役割の花びらが退化してありません。それなのに、ケショウヤナギを除いたヤナギ類は密腺が発達している虫媒花です。早春の寒い時期なのに、長い進化の果てに、パートナーとしての花粉の運び屋の虫が活動しているのですね。驚きです。
 種子散布は、柳絮(リュウジョ=綿毛)によって空を舞い、遠くまで運ばれます。胚乳がなく、種皮も薄い種子は、乾燥にも弱く、極めて短命です。
 着地した種子は、ただちに発芽しますが、発芽率は高くありません。

(文・写真 春日 順雄)

(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

ウッディーズ歳時記

【山笑う】

 俳句で春の季語。ちなみに、夏の山は「山滴(したた)る」、秋の山は「山粧 (よそ)う」、冬の山は「山眠る」となる。
 歳時記には、「生気が山に兆し始めた春の胎動を『笑う』と捉えたものであり、花が咲き霞たなびく春盛んな山の形容ではない」(講談社『新日本大歳時記(春)』)とあり、なかなかうるさい。
 春は心楽しく、人間も笑う。この時期、山の作業も何か楽しく、おまけに山菜などの恵みに浴しようものなら、正に呵々大笑である。
しかし、
次郎三郎四郎の捨てし山笑ふ…松本重子
 山は捨てて顧みられなくても、春になれば「笑い」出すが、それを眺めている作者は笑えない。

以下は、詩の一節。
………
山笑う という日本語もいい
春の微笑を通りすぎ
山よ新緑どよもして
大いに笑え!

気がつけばいつのまにか
我が膝までが
笑うようになっていた
(茨木のり子「笑う能力」から)

 山笑うの候、我々も笑う膝をなだめ、笑顔で活動を楽しもう!

林間独語

▼かつて東北に勤務した際に幾度も訪れ、その類い稀な美しさを目に焼き付けている三陸リアス式海岸 - 東日本大震災は、そこに慎ましやかに佇む町や集落を無惨に飲み込み、他人を気遣いながら生きてきた優しい人々の命を押し流した。奪われた命に連なる人々の慟哭が聞こえる

▼海岸線に延々と続く見上げるばかりの防潮堤を目にしたときは、度肝を抜かれた。10メートルを超えるものもあって、それはそれは堅固で巨大な構築物だった。その地を幾度となく襲った津波の悲劇に学んだ教訓が築いた「鉄壁」の備え…のはずだったが、今回の津波はそれを易々と越え、あるいは破壊した。人々が失ったもののなんと大きいことか…。しかし、どんな酷い仕打ちを受けても、自然とは折り合いをつけなければならない。それはまた命を育む懐でもあるのだから

▼一方の、明視できない災厄をもたらした原発。「原発は安全」と言い聞かされてきた。しかし、それは「神話」だった。憑(つ)きものが落ちた。また、日本人の多くは「原発に依存せざるを得ない」と思い込まされているが、これまで年間ピーク時の電力消費量が火力+水力の発電能力を超えたことはない。(原発はフル稼働させるが、火力・水力の稼働率は低く抑えられている。)今震災は、流されず自立してモノを考える個人個人が支え合って生きる社会へ…と我々を促しているようだ。

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