森林人通信

Vol.95 2015.6.1

タンポポが結ぶ縁?

結び合う 減少するタンポポへの思い

ウッディーズHPに、「エゾタンポポの種子の販売元を教えて欲しい」との要望が寄せられた。

エゾタンポポ

セイヨウタンポポ

 「森林人通信」No.54のコラム「エゾタンポポと西洋タンポポ」を読まれてのことである。
 執筆者のK会員や元会員のMさん(ともに北海道ボランティアレンジャー協会で自然観察員として活躍中)に教えを乞うと、お二人とも、エゾタンポポは西洋タンポポに席巻されて住宅地近くでは見かけることがなくなっており、種子は販売されていない、とおっしゃる。
 Mさんから、生息場所を知っているので提供の労を執りたいとの申し出をいただく。ただし、保護の観点から適量にとどめて…という条件付きで。
依頼者は、「緑を愛し人と緑をつなぐ」という経営理念を掲げて緑化事業などを行う会社の方で、「エゾタンポポの種子を少しだけいただき、温室で大切に育てて種子を増やしたい。そして、何かを感じてくれるお客様などに種子をプレゼントも出来る日が来ることを願っています」と言う。
 エゾタンポポが取りもつ縁で、志を同じくする人と出会ったような気がして、先行きが楽しみである。
 このことが切っ掛けで最近はついタンポポに目が向いてしまうが、総苞片が下向きに反り返るセイヨウタンポポばかり。エゾタンポポの行く末が気がかりになってきた。

巨木に身をひたす

直径1.6mの巨木を横にくりぬいた浴槽

直径2mの巨木を縦にくりぬいた浴槽

養老牛温泉(中標津町)・「湯宿だいいち」がスゴい!

 黒光りする板の床を素足で歩く快感、窓辺に飛来するシマフクロウ、全館を飾る風景と野草の絵と写真、切り株をくりぬいた電灯の笠など物ふりて洒落た調度品、スタッフの細やかな心づくしなどなどに感じ入る。ひなびた?温泉郷の極上の湯宿で、言葉に尽くせぬ旅情を味わった。
 しかし、極めつけは巨木のバスタブ。いつもなら、「風呂より酒だ!」と、早々に浴室を飛び出すのに、いつまでも湯船に身を沈める。渓流の水音を耳に、巨木の悠久を遡(さかのぼ)って緑深い森を彷徨(さまよ)うような至福だ。
木を愛して止まない諸氏には、是非お勧めの宿である。

湯宿だいいちのホームページ

札幌ウッディーズ 4〜5月の活動

 本年度の野外活動は、4月、残雪の小樽に始まり、5月は苫小牧・千歳へと足を向けた。

●高川山林(小樽市)
4月11・26日 (参加者 延べ38人)

フォーム、なかなか良し!

 林地残材の山出しと薪割りを行った。薪割りは中高年会員は懐かしさを、若い会員は物珍しさを覚える作業とあってか、多くの会員が参加する。森は利用が即整備につながるが、ここでは薪の産出がそれで、森の景観が着実に変わって来ている。

● 植苗の森(苫小牧市)
5月2・9・23日(参加者 延べ27人)

 手鎌と刈払機による植林地の下刈り作業を行った。

● 北山山林(千歳市)
5月16日 (参加者 9人)

 人工林(アカエゾマツ)の枝打ちとシラカバ純林の除伐。柔らかな光が満ち薄緑に輝く森に、カスミザクラが文字通り花を添えて、すこぶる気持ちの良い森だ。
 昼食にはジンギスカン鍋。林間という大好きなシチュエーション、ブランドものの羊肉と林内で摘んだ色々な山菜、5月の輝く陽光と仲間たち。旨くないわけはない。

食べる、食べる

シラカバ林の除伐

第5回山林調査(小樽市)
4月18日(参加者 9人)

胸高直径を測る

 高川山林で標準地調査を実施した。ha当たり樹種別本数、平均直径、材積などを求めた。
 調査への参加を通じて、森を見る目が養われ、樹木を身近に感じられるようになってくる。

*各活動の詳細は、ブログ「活動の記録」参照

人と木のひととき 
〜石原 亘氏によるコラム〜

第8回【僕の林業観】

 木材は乾燥や吸湿の度に、収縮と膨潤を繰り返す。また、「収縮異方性」といって、木取り方向によって収縮率が異なっているので、内装材として使用するときはいわゆる「納まり(取付け方法・施工方法)」が肝要となってくる。これらのことは業界では常識ではあるのだけれども、木材流通業、あるいは工務店に勤めた経験のある人ならば、多かれ少なかれ寸法変化(『狂い』、あるいは『割れ』)に関するクレームに対応した経験があろう。
 もちろん、いわゆる木の「あばれ」を見越した意匠設計や構造設計がなされていない場合も多いから、売り手の説明責任ばかりが問われるのは筋違いなのだけれども、この手のクレームに対する常套句が、「木が呼吸しているんです」「木が生きている証拠です」等々といった、「木には生命が宿っているぞ」といったアピールである。

木材の収縮異方性とその収縮率

 僕はこの手のアピールが 苦手、というよりも嫌いである。
 確かに、山野の『木』は生きているかもしれないが、『木材』となると伐採しているわけだから、完全に死んでいる。ハッキリ言えば、木材なんてものは死細胞の塊り、動物で言うところの死体である。特に心材部なんかは、死細胞になってからだいぶ年月が経っている。尤も、生立木ですら活発に細胞分裂をしているのは『形成層』とよばれる、樹皮の内側にあるごく薄い層だけである。
 林業はもちろん、そもそも農業、水産業、畜産業等の一次産業は「直接的に生命を頂いて」その生命を生活—すなわち「衣食住」—に供する産業である。一次産業というとなんとなく牧歌的なイメージがあるかもしれないが、僕はそれらが須らく生命を奪う行為であるということを決して忘れてはいけないと思っている。だからこそ、本来はこの産業に関わるということは、生命に対して責任を負うという、尊い姿勢が求められるのだ。
 先に挙げた、「生命が宿っているぞ」アピールというものは、クレーム対処法としては間違ってはいないのかも知れない。ただ、こうした姿勢は奪った生命に対していささか無責任である、と僕は思っている。

(いしはら わたる ウッディーズ会員)

(コラム「人と木のひととき」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

随想 「福島」を訪ねて (1)  高原 久美子

大堀焼

 前号に続く「福島原発被災地視察ツアー」後半部。

阿武隈高地を超えて福島市に向かう途中、全村避難中の飯館村に入る。夜になり青の信号と街灯の灯りで道路は通過できるが、人の気配は全く無い。 立ち並ぶ瓦屋根の家々からの灯りはなく廃墟のようだ。庭木も剪定されずぼうぼうの茂みが暗闇の中にも見え、帰る当ても無く避難生活をしている村民の無念が思われた。

浪江町から二本松市に避難して仮設の店舗で「大堀焼」を作り続けている陶芸家の話しを聞く。
 「故郷は14マイクロシーベルトもあり、除染は後回しでいつ帰れるかわからない。24軒あった窯元は今は8軒で頑張っているが、残してきた大きな窯で再び焼き物を作れる日がくるよう望みは持ち続けたい。」

バスガイドの話しは涙なしに聞けなかった。
 「福島市の線量はそんなに低くはない。近くの飯坂温泉に住んでいる。しかし、暮らしの中では放射能のことは忘れよう、ふれないでおこう、どうしようもないのだから…と思っている人たちが多い。」彼女には二人の幼い子供がいるという。

 あの日から4年。地震と津波の被害は少しずつ片づけられつつあり、復興住宅への入居が報道されている。だが原発事故の被害にはほとんど手付かずのように見える。住宅や道路が除染されても野原や田畑、森や林はそのままだから、放射能は雨や風で移動し除染しても元の木阿弥にさえなってしまう。福島に暮らす人々、他都道府県に避難した人々の苦悩は計り知れないだろう…と強く思った旅であった。立ち寄る先々での買い物もこのツアーの目的の一つ。地元産の魚介や果物が線量計で測らなくても大手をふって店頭に並べられる日はいつ来るのだろうか。

 最後に一つ。福島県の観光ガイドブックの地図と高速道のSAに置かれたロードマップには第一も第二も福島原子力発電所の名前も場所も載っていなかった。火力発電所の記載はしっかりとあるのに。バスの運転手さえも知らなかったこの事は、国や県が「福島」の災難を国民の記憶から消し去ろうと意図したからなのかと勘ぐり、憤りさえ覚えてしまった。
「福島」を忘れまい。

(たかはら・くみこ 会員)

ふるさと福島   佐藤友子

 4月のいわき帰省で、震災以来初めて全開通になった高速で仙台〜いわき間を南下しました。

至る所に積まれている除線土の黒い袋や草が伸び放題の荒れた土地が見えた。また道路脇の、放射線濃度示すデジタル掲示板の数字の変化に、色も臭いもない放射能の姿を見る思いでした。
 いわき市は近隣からの避難者が多く、地価が高騰し、車やマンションが売れまくり、バブルの様相を呈しているそうです。
 被災者の数だけの被害があり、その補償も様々のようです。悲しみの涙も存分に流し、状況の激変に戸惑い、葛藤しながらも、我がふるさとの住民はやっぱりたくましい! 「かまっちゃおられない」と放射能被害と共存しているわが故郷の強さに感心し、疑問も賛同も、言葉を吐けない遠隔地住民の自分がいます。言えることは「触ってはいけないモノに触ってしまったんだ」ということだけ。

*(被災時、札幌市へ避難してきてウッディーズの皆様にお世話になりました私の親戚は、1年後、仙台市に引っ越し、今は山形に住み元気でいます。子供たち3人も成長しました。ありがとうございました。)

(さとう ともこ・会員)

森の本棚

人はかつて樹だった

長田弘著(みすず書房)

樹の伝記
この場所で生まれた。この場所でそだった。
この場所でじぶんでまっすぐ立つことを覚えた。
空が言った

─ わたしはいつもきみの頭のすぐ上にいる。─
最初に日光を集めることを覚えた。
次に雨を集めることも覚えた。
それから風に聴くことを学んだ。
夜は北斗七星に方角を学び、
闇の中を走る小動物たちの
微かな足音に耳をすました。
そして年月の数え方を学んだ。
ずっと遠くを見ることを学んだ。
大きくなって、大きくなるとは
おおきな影をつくることだと知った。
雲が言った

─ わたしは いつもきみの心を横切ってゆく─
うつくしさがすべてではなかった
むなしさを知り、いとおしむことを
覚え、老いてゆくことを学んだ。
老いるとは受け容れることである。
あたたかなものはあたたかいと言え。
空は青いと言え。

* 長田弘さんは、5月3日に逝去されました。

木霊(こだま) 余聞

前号の読者(N・Nさん)の指摘、「行政の事業(ダム建設など)は動き出せば、行き先を間違う。」に関わる卓見を目にした。石城謙吉著『森林と人間 — ある都市近郊林の物語り』(岩波新書)である。

 こうした苫小牧地方演習林の川づくりが北海道のテレビや新聞などで紹介され、見学に来る人が増えてきた頃、よく川づくりのマスタープランや年次計画を見せて欲しいと言われて困った。なかったからである。あるのは記録だけだった。行き当たりばったりの思いつきで川をいじくって遊んでいるのではないか、と言われそうであった。その通りの気もした。
 これは難しい問題だと思う。仕事に計画が必要なことを否定する気は毛頭ない。だが、最初に計画がないのは非科学的だという前に、自然の取り扱いに関する科学の役割は結果の解析のほうにあるという謙虚さも必要ではないか。林業にせよ、河川事業にせよ、自然に対する仕事がいちばん大きな過ちを犯すのは、計画が忠実に実行された時なのである。どれほどたくさんの自然が「計画遂行」の犠牲になっていることか。

林間独語

▼創立会員のNKさんとNSさんが相次いで退会された。お二人とも一貫して積極的な活動をされていただけに、その不在に覚える空虚感は小さくない。しかし、思わしくない体調からの成り行きとあれば、それぞれの決断を肯うしかない。「お疲れさまでした。これまでのご貢献、ありがとうございました」と感謝申し上げるのみである。

▼とは言うものの、寂しい。会員の中からも、「体調の良い時に来ていただきたいなぁ。車で迎えに行きたい」という声が上がったのもむべなるかなである。その話をNKさんにお伝えしたら、「皆さんの言葉を聞きその暖かい言葉に感激致しました」とのお返事があった。そして、ご自身が毎月発行している「やちだも通信」に「我が家まで迎えに行く故参加せよ優しき誘いに涙滲みぬ」という短歌を拝見してその胸中を察した。

▼そもそも、方丈記にいう「人、いづ方より来たりて、いづ方へか去る」とは違うが、人の去来は組織には必然である。だからこそ、共に活動できる限り、その交遊を慈しみたい。最近、退会して久しいTN前事務局長がよく顔を見せてくれるが、退会後の「出入り自由」の交遊もまた楽しからずや。(T.M)

 

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