Vol.83 2013.6.1

新緑の森林(もり)に躍動する…
  間伐ボランティアの喜び

 濃淡様々な色合いの緑に彩られ、「春紅葉」の只中に華やぐ森林。残雪を山肌に張り付けた奥山が煙るような背景をなして、季節の移ろいを感じさせる。
 「冬」がグズグズと居座っていたこの春だったが、5月最終の活動日・26日の北の沢環境林は抜けるような青空、小鳥の囀り、吹きわたる風が揺らす葉音など、季節の贈り物に満ち溢れていた。森林にいることの喜びが突き上げるように湧き上がってくる。

森林療法の林で支援活動

4月13日
 苫東の一画にある植苗病院付属の森林。その管理を買って出ている苫東ウッディーズを後押ししようと数年前から「友情出演」。ここは森林療法のフィールドとなっていることもあって、気持ちの良い森を…という思いが一段と強まる。
 昼食時に、死亡例の報告が相次ぐマダニ媒介ウィルス感染症が話題になる。殊更に慌てふためく話ではないが、ヒグマとスズメバチの次くらいには意識しておきたい。苫東ウッディーズが常時携帯しているというダニ取り用ピンセットに興味を惹かれる。
マダニ対策キット、スズメバチとともに必携?

薪割りを楽しむ森づくり

(2週続けての高川山林)
4月20日
 作業開始直前、激しい雨が止む。参加者が山の斜面に展開し、間伐、玉切り、山出し、そして、薪割り、薪積みに取り組む。
 タップリの残雪の上で作業は予想以上の進む。そう言えば、昔は造材といえば「冬山造材」だった。

薪割り初体験、恐る恐る
4月28日

 この日も冷たい雨に悩まされる。しかし、精力的な作業でどんどん薪が積み上がっていく。終業時には玉切り材が割り尽くされ綺麗さっぱり。
 綺麗さっぱりといえば、昨秋の活動で、笹が刈られた、山林入り口周辺が正に綺麗さっぱり。人の手が加わると山の佇まいは確実に変わる。


講演と植物観察の一日

5月6日・野幌森林公園

地域のお宝!?(講演会)

 かつての林業労働の様子を甦らせて記録し、これを「地域のお宝」として地域振興に活かそうとする取り組み事例が報告された。外材輸入による林業の衰退と人口の減少を座視せず、暮らしの元気を盛り返そうとしている士別市朝日町における町民の奮闘の軌跡だ。自然と人間の営みを愛おしく感じさせられた講演だった。
 講師は、自身このプロジェクトに深く関わっている駙柳・北海道開拓記念館学芸員。ウッディーズ会員でもある。

植物の不思議! (観察会)

 午後からは植物観察会。冷気の漂う野幌森林公園は、まだ、花もまばらで木の葉も展(ひら)いていない。しかし、生きものの秘密や不思議、生きるための企みを知る「材料」は至る所にあった。歩き始めて間もなく、人の目の高さにある木の枝がどれも(径が1cmほどのものまで)スパッと切られている。これは、積雪期に野ウサギがかみ切ったのだと教わる。その歯の鋭さ、知らなかった!
 以下、へぇー!と感心することだらけ。その一つ、ガイド陣の一人・宮本さんが解説してくれたノリウツギ。「樹種名はノリを採るウツギ(中空の木)に由来する」と言いながら取り出した容器を傾けると、何かがタラーッと糸を引いて垂れる。「これがノリウツギから抽出したノリ成分です」と。ここまでされると、もう、忘れろと言われたって忘れられない。「もっと知りたい」という意欲を刺激された観察会だった。「秋にも…」という要望頻(しき)り。

新緑と山の幸を満喫

5月18日・北山山林
 間伐でも下刈りでもなく、採った山菜をその場で天ぷらに揚げて食するという年に一度のお楽しみメニュー。
山ザクラのピンクと芽吹きの黄緑が春の色を添える。


 

若葉萌える春に絶える命

5月26日・北の沢
 作業中、笹の葉陰にタヌキを発見する。身じろぎもせずときどき薄目を開けるだけ。明らかに死の色を漂わせている。精一杯生きたのだ… 静かにしておいてやろう、と衆議一決する。


森林人歌壇


 石多き川のをちこち雪消(ゆきげ)水の白波たてり遡るかに
  深刻になりても良くはならざるとドラマの台詞に納得しをり

高橋 千賀

 寝たきりの母の手さすり丸刈りの頭を撫でて今日も帰り来
  向かひ家の屋根の反照をさまりて部屋に再び朝の日入り来

原 公子

 指先の力弱まりキーボード沈まぬことの次第に増えぬ
  ソーセージ金網カバーで木に縛りキツツキ待てばヒヨドリも来ぬ

中野 常明

 

 

 

ペレットストーブ顛末記(その三) 大竹 啓之

ペレットな日々が…

 今年は5月になってからも例年になく寒さが続きましたが、それでも連休明けには桜や梅、コブシ、レンギョウなど北海道の春を彩る花々が次々とほころび、月の半ばを過ぎるころ、ようやく暖房がいらない時期となりました。今ではわが家のペレットストーブはすっかり火が消え、インテリア(?)として静かにたたずんでいます。
 思い返すと、マンションのわが家にペレットストーブを設置したのは今年2月の初旬で、冬の真っ只中。それ以降もずっと厳しい寒さが続きましたが、さいわいなことに灯油に頼る必要もなく、このペレットストーブが唯一の暖房器具として活躍してくれました。
でも、ペレットストーブを活躍させるためには、灰掃除を始めとする毎日の手入れや、マッチでの点火、そしてペレットの補充など、いろいろと手間がかかりました。

便利すぎる石油ストーブ

 ペレットストーブを使い始めていちばん感じたのは、皮肉にも、石油ストーブがいかに便利で効率的なものであるかということでした。点火も消火もスイッチひとつだけ、温度調節も自在、すばらしい暖房器具だと思います。
 でも、逆の見かたをすると、便利すぎるということは気を配らなくなってしまうということでもあります。石油ストーブを使っていたときには、その便利さに寄りかかってしまい、想像力がすっかり麻痺してしまっていたような気がします。石油ストーブは自己主張することもなくただ淡々と優秀に機能していたのです。

ペレット…森への橋渡し

 それに比べると、ペレットストーブの場合には、毎日ペレットを補充し、自分の手で点火することで、ペレットやペレットストーブのことを忘れるヒマがありません。否応なく木のことや森のことを考えざるをえなくなります。エネルギーや環境のことを意識せざるをえなくなります。
 そして、そういう煩わしさがじつはとても大事なことで、ペレットストーブを使うことの意味というのはそこにあるのではないかという気がしてきています。
 ペレットストーブが普及して、多くの家庭がペレットを利用するようになるなんてことは、よほどのことがない限りありえないと思います。ペレットを使うことで日本の森林が再生する…、これも難しいと思います。でも、そんなことはなくても、使い続ける意味はあるんだと思っています。
 わが家のペレットストーブは相変わらず太い煙突を伸ばし、居間の一角を占拠したままですが、冬の間、毎日まいにち明るい炎を灯して家族のくつろぎの礎となっていたことが忘れられてしまったように、ただひっそりと静まり返っています。これからの半年間は、役に立たない鉄の箱として邪魔者扱いされながら、じっとそこに居座り続けるでしょう。
 わたしはしばらくの間ペレットのことを忘れる代わりにウッディーズの活動に参加することで森に直接かかわり、その恵みを味わおうと思います。そして、冬になったらふたたびペレットを想い出し、今度は炎を眺めながらまた森のことを気にかけていくことでしょう。

人と木のひととき

(第二回)林業は潮騒に揺られ

 僕の生まれ故郷の名古屋には、毎年夏になると大小数回の台風がコンスタントに訪れる。幼いころの僕にとってそれは休校日を意味するものだったから、特に悪い印象はないのだけれども、祖母は少しでも風が強まれば早々に雨戸を閉め、相当な用心をもって強風の到来に備えていたものである。こうした台風に対する過剰なまでのレスポンスが、1959年の「伊勢湾台風」の経験によるものだと知ったのは、僕がちょっぴり大きくなってからのことである。
 この大厄災を、僕は映画「潮騒」の中でしか知らないが、記録によれば最低気圧929ヘクトパスカル、最大瞬間風速55・3メートルという凄まじい規模の台風であり、実に5000人以上(うち名古屋市民は約1900人)の犠牲者を出したという。
 さて、この伊勢湾台風は名古屋市民に台風の脅威を植え付けただけでなく、木材産業にも大きな影響を与えた。
 当時の名古屋は木材の集積地であり、市内の運河沿いの複数の貯木場に係留してあった30万トンにも及ぶ大径のラワン丸太が高潮で一気に流出し、凶器となって多くの市民が犠牲になったという。以降、丸太は名古屋港の外れに設けられた広大な貯木埠頭に集約されることとなったが、輸入の単位が丸太から製材になった今となっては、寂しいことにそのほとんどが使用されておらず、すでに一部で埋め立てられているという。(写真)
 そして何より、木材家屋が多く倒壊・流出したことを受けて、当時の建築学会は「建築防災に関する決議」を内閣に建議し、木造建築物の全面的な禁止を以後の方針としたのだ。これ以来、全国の建築系の大学では木造建築に関する研究・教育をほぼ放棄してしまい、この方面の研究は、ごく最近に至るまで農学部の林産系の教室で細々と行われているにすぎなかったのである。ちなみに、これより半世紀後の2010年、国は林業振興のため、公共建築物の原則木造化を進めるという「公共建築物木造利用推進法(木進法)」を制定し、この施策は百八十度の大転換をみるのである。
 この木進法は鳩山由紀夫首相の時に定められた法律であるが、皮肉にも先の木造全面禁止が建議された当時の首相はその祖父の鳩山一郎氏であった。「日本の林業が鳩山家によって振り回された」ということではないのだけれども、我が国の林業政策は概して短絡的であり、これは悠久の時を刻む木々にとってはなんとも失礼な話である。(つづく)

(文・石原 亘)

(「人と木のひととき」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

木霊(こだま)

しっかりバトンタッチを…

(会員の中野さんが毎月刊行する「やちだも通信(N氏のひとり新聞)」190号5月号)「後記」から。)
 ウッディーズの活動が本格的に始まった。今年で13年目である。いつまで続けられるか心配しながら参加している。さすがに古いメンバーは少なくなったが、若い人が増えている。彼等にしっかりバトンタッチしていきたいと思っている。

林間独語

▼本紙面のリードに「春紅葉の只中に華やぐ…」と書いたが、それから数日のうちに、山の色は均一の緑に一変した。エゾエンゴサクやニリンソウの花々が彩っていた疎林の林床もオオハナウドなど丈高い草本に支配され、緑の絨毯に覆われたかのようになった。チョウチョウが優雅に舞い始めた。

▼この時期、目まぐるしく生長する植物と、植物の生長に合わせて生活する昆虫を見るのが楽しい。山は刻々とその様相を変えていくから、訪れる度に発見の喜びがある。

▼昨日学習したことも忘れくらいだから「発見」の種は尽きないだろうって?確かにそれはある。だが、そもそも森林が内包する不思議と神秘は一個の知りたがり屋の人間が抱く興味や関心などは無に等しいほど豊潤なのだ。

▼野幌森林公園での植物観察会でその一端を垣間見て以来、草木の圧倒的な生命力に驚嘆する日々が続く。山から必ず携えてきて食卓に載せる山菜は現実的な喜びも与えてくれる。「森とともにある生活」をささやかに実感し、コップを片手に「それにしても、植物はスゴイ!」などと呟いてはほろ酔い機嫌。

 

 

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