笛木 森之助氏によるコラム「白旗なあなあ日常」
Vol.5
この冬は冬季五輪があったお陰で退屈しなかったけど、そろそろ冬眠穴から這い出て、躰を動かさなくちゃなあ… 一丁、遠浅の大島山林で躰ごなししてみるか。手始めは、この蝦夷山桜の風倒木から…。
ところで、一般的には、どんなことを思いながら伐木してるのだろう?「拙者は拝一刀になりきって」と言えば、「何を大袈裟な」と嘲笑されるのが関の山…か。拝一刀は「子連れ狼」に登場する公儀介錯人。勿論、架空の役職名の人物だが、刑罰的切腹の場合には、介錯人の役割を勤める者がいたようだ。
役目は、切腹人の介錯だが、闇雲に首を刎ねた訳ではなく、儀式として作法・手順があった。例えば、切腹の手順には「介錯人は切腹人の背後に控え、切腹人に恐怖心を与えぬように鞘を払い、左斜め後に立ち、八双に構える」とある。首を刎ねる時期にも四段階あり、介錯人が選択したとか。想像するに、切腹人が、恐怖も痛みも感じることなく、武士として潔い最後を飾られるように、との思い遣りなのでは…。となると、介錯人の役目はかなり重要だ。恐怖心を与えないためには、殺気など以ての外で、心を穏やかに澄み渡らせ、痛みを与えないためには、刀も自身も鍛錬を重ねていたに違いない。
翻って伐木自体「そこに在る命を断つこと」とも言える。であれば、介錯人のように木と真摯に向き合うべきか。ガァーッと伐って、後はお任せとばかりに、ドォーンと倒すのではなく、シナリオ通りに、ゆっくりフワーッと、傷付けることなく伐り倒すことを理想としたい。それには、道具をよく手入れし、使いこなす技と躰を鍛錬し、如何なる状況下でも冷静に的確に判断できるような心を持つことでは…。が、それでも最優先すべきは、やはり安全。自分自身も他人も決して傷付けないよう、自身の伐木作業にも、周囲の状況にも目配りと気配りすることが肝要。
携帯電話を片手に、自宅で寛いでいるように車を運転している人もいるが、瞬時に自分や他人を傷付け、時には命まで奪ってしまうことは想定外なのか…。「超危険な作業」と構え過ぎることはないが、その意識は常に必要。車の事故が車速と無関係に起きるように、伐木時の事故も木の大小に関係なく起こる。小指程の太さの伐木や枝払いにでも、常に心して当たりたいものだ。(つづく)