森林人通信

Vol.98 2015.12.1

2015年の新企画 「森林調査」
 粘り強い取り組みで実査終了!

 昨年末から始まったこの企画は、小樽市・高川山林でのフィールド調査を11月までに終わり、年を越えて集計・分析作業へと進む。

画期的な取り組み

 森林調査の目的は、森林の姿を科学的に「診断」し、その結果に基づき施業を進める…というものである。事務局の粘り強い取り組みと樹木医などの資格を持つプロ会員・Kさんの適切なプログラミングと指導を得て進められてきた。
これからのオフシーズン、収集データの整理と施業案策定の段階に入るが、「山」を見る(診る・看る)力が育つ…、そんな予感がする

ウッディーズの思い 発信  札幌市のテレビ広報番組で

11月24日、STVテレビにウッディーズが登場した。

伐採風景を撮る

 会長による会のポリシーや活動内容の紹介があり、間伐や遊歩道作りの作業風景、来合わせた子どもが遊びまわったり樹名板を取り付けたりする様子が放映された。
 僅か5分という短い時間枠にウッディーズの思いと姿が巧みに集約され「さすがプロ、よくまとめるなぁ」と思わせる編集ぶりである。

*ネットでは、「札幌ふるさと再発見」→ 「過去の放送内容」→「豊かな森林を次世代へ〜間伐ボランティア 札幌ウッディーズ」で観られる。

10 〜11月の活動

ネズミよらず?(11月7日)

高川山林(小樽市桂岡町)

10月3日・10日・17日  11月7日・28日  参加者延べ51名

遊歩道づくり、間伐、野ネズミ防除対策、山林調査など。
上述のテレビ取材 は10月17日に行われた。

 

北山山林(千歳市平和)

女性パワーで…

10月31日・11月21日 参加者延べ 20人

(11月21日) 林道の草刈りと倒木処理。午前の作業を終わり、集合場所まで歩いて戻る。広大な山林を貫いてどこまでも延びる林道を歩いていると、ジワジワと達成感が湧いてきた。
 気温が下がってきたこの時期、昼食で囲むストーブが何よりの「ご馳走」。OTさんが持ち込んだこのストーブ、固いチーズをとろかし、シシャモを焼き、お湯を沸かし、そして、体を温めてくれる。
 午後からは、倒木や傾斜木の整理をする。林内の見通しが良くなった。

 

大島山林(安平町遠浅)

間伐現場へ向かう
「ウッデ ィーズ・アベンジャーズ(?)」

11月14日 参加者 8名

苫東環境コモンズが整備を委託されている山林への支援活動である。形質不良木の伐倒、立木密度が濃い部分の間伐を行う。伐倒木は薪用に玉切りし、搬出しやすい場所へ集材する。

 

各活動日の詳細は、ブログ「活動の記録」参照。

CuP of Tea(カップ オブ ティー) 

〜菊地 憲浩氏によるコラム〜

その2

ランティア活動をしていると、知人等から不思議がられることがある。参加の切っ掛けは薪集めのためだとしても、環境問題に全く関心がないわけではない。私はメディアの仕事をしてきたので、泊原発や苫東開発、千歳川放水路問題等に携わったことがある。当時はバブル時代で、多額の税金を投入した大型プロジェクトを次から次へと押し進めていた。

二風谷ダム

 苫東工業基地の工業用水供給のために造ろうとしていた二風谷ダムだが、基地破綻が目に見えてくると洪水対策と名目を変え、沙流川流域では洪水がないと知ると発電のためと名目を変え、結局は多目的ダムという名目で、反対意見を無視して着工された。皮肉なことに、ダムができてから沙流川流域では洪水が多発するようになったという。

90年、東欧の崩壊や湾岸戦争など世界情勢の激変を期に渡英した。環境関連では、消え行くアルプスの氷河やドイツの黒い森、北極圏の先住民の厳しい自然の中での生活、身近では英国のナショナルトラスト運動など数多くの環境問題に触れてきた。知人等には、紛争地や戦地などを常に行き来している印象があった様だが、それらをよく土産話にするからだろう。

 ボランティア活動が盛んな英国では、多くの団体が様々な分野で活躍していて、登録数だけでも4000弱の団体がある。活動運営は、チャリティや募金など市民の支持によって支えられている。全ボランティアの総年収が3兆6千万円にもなるのだから一大産業だ。

イギリスの公園

 環境保護団体として有名なナショナルトラストの会員数は200万人。札幌市の人口よりも多い。しかし、英国の環境保護と我々が思う自然保護は少し雰囲気が違う。英国では文化遺産の保護が中心だ。緑の自然の背景に歴史や文化的な意味合いが含まれている。本当の自然は国土の9%程度なので、緑が多いと言っても庭園や公園など、どこか人の手が加わっている場合が殆どだ。

日にガイドブック片手に庭園や公園を歩くのは楽しみだ。英国の公園は広くのびのびしていてとても気持ちが良い。歩道なども整備されているので、お年寄りから小さな子供まで自然の中を安心して散策できる。気軽さから自然に触れる機会が多くなるので、環境に対する意識も強くなるのだろう。休みの日は多くの家族連れで賑を見せる。私たちもよく庭園や公園を散歩した。
 いつものパターンだが、お昼に芝生の上で持参したおにぎりを食べ始めた。近くで4、5歳くらいの子供が興味深く凝視していたので「食べてみるかい?」とおにぎりを一つ差し出した。すると、突然泣きながら大声で叫びだした。「お母さん!大変だー!あの人たち石を食べてるよー! 怖いよー!」
 ブーっと、頬張るおにぎりを吹き出したのは言うまでもない。

(きくち・のりひろ 会員)

樹木、その不可思議なもの (ニセアカシア その一) 高川 勝

♪ アカシアの雨にうたれて〜と歌われたり、「○○のアカシア並木」と言われる場合の「アカシア」は全てニセアカシアのことである。正式和名はハリエンジュ。1875(明治8)年に導入された北米原産のマメ科植物で、今や北海道から沖縄まで日本全域に生育する。

早い生長 丈夫な材質

 生長が早く、萌芽後、1年に約1メートル単位で伸長し、幹直径も急速に増大する。画像は、同じ山の斜面に隣り合わせに生育した5年生ニセアカシア(左)と10年生イタヤカエデ(右)である。胸高直径は共にほぼ6センチで、ニセアカシアの生長速度のスゴさが分かる。

 広葉樹で環孔材に分類される木材では、春の成長期にできる道管が占める部分(早材)と、夏〜秋に形成される木部繊維が多い部分(晩材)とで構成される。

 晩材は、細胞壁が厚く、細胞の密度も大きいので、晩材部分が多ければ密度が高く比重も大きくなるため木質は固くなる。(年輪と呼ばれるのは、色が濃く輪状に見える晩材部のこと)。ニセアカシアは晩材部の多さでは道産材中随一である。 木材の劣化には、「太陽光(主に紫外線)」「気温」「降雨」「積雪」「風」等が関係し、これらによる劣化現象としては、「変色(退色)」「風化(摩粍による目やせ)」「凍結・融解の繰り返しによる割れ、反りの発生」等があるが、ニセアカシアはその固さ故にこれらによく耐え、抜群に強い。

 

腐食に強い

 木材の生物劣化に対する耐久性は、一般的に抗菌性成分が多い心材部で高く、糖類やデンプンなど微生物の栄養源となる成分の多い辺材部は非常に低い。アカシアは心材部が多く(ミズナラの2倍以上)、耐腐朽性に富む。林地に放置され周辺部が腐食しても、内部には及んでいない。

 

有用で重宝 !

 そのような樹種特性から、薪炭材としては極めて重宝であるが、ニセアカシアの有用性は、ハチミツの全国生産量の44%がニセアカシアを蜜源とする(2005年)という事実に極まる。
そのニセアカシアが「日本の侵略的外来種ワースト100」に指名されている。(以下、次号)

(たかがわ・まさる 会員)

森の本棚

ふ き (岩崎書店)

齋藤隆介・作 滝平二郎・絵

 ふきの父ちゃんは木こりだ。母ちゃんは三年前に病気で死んだ。父ちゃんは、「ふきにりっぱな嫁入りをさせる」という、母ちゃんとの死に際の約束を守るため毎日懸命に働く。その父ちゃんが鬼に殺される。
 仲良しの大太郎が鬼を探し当ててくれる。ふきは父ちゃんが買ってくれた金色のかんざしを逆手に構えて、鬼に向かい山を駆け下る。自ら起こした雪崩もろとも鬼を谷底へ突き落とし父ちゃんの仇を討つが、ふきも見えなくなった。金色の花かんざしだけを残して。
 春になって、雪のなかにフキノトウが芽をだすと、ふきのことを想い「おろろんおろろん」と泣く、大男の大太郎…。
 鬼には自然の試練を、少女のふきにはそれに立ち向かう人間を、そして、フキノトウには人間の再生と自然との融和を仮託しているのだとも思える。
 家人の保育園で『ふき』を読み聞かせると、子どもたちは父親が死ぬあたりから涙ぐみ始め、ふきが死ぬシーンに至ると一斉に泣き出すという。
 生き方がまだ見えない子どもたちに人間の優しさと強さに気付かせ、勇気づける絵本のようである。
 間伐ボランティアとしては、木こり名人の父ちゃんの技に魅せられる。

とうちゃんは、せっせと木を きりたおした。
ふといふといすぎの木を、
おのでカーン、カーンと うちこんで、
それから 木のまえに すわりこむ。
そしてこんどは、のこぎりで
ズイコンズイコンと ひくのだ。
そうして おしまいに、大きな声でさけぶ。
「いいかあーあ、北サねかすぞおー!」
ふきのとうちゃんが、木のはんたいがわに、
おのを ちょんちょん、と二つばかりうちこむと、
木はメリメリメリッ、ザザザザザーと、
ものすごい音をたてて たおれはじめる。
こずえとみきと、えだと葉っぱで、
まわりの木のえだをおしわけながら、
大きなすぎの木が、たおれるときには
雪けむりがたつ。
木は、雪けむりのなかで、ごろんごろんと、
二、三どはずむと、
ながながと ねそべってしまって、もううごかない。
きりたおされて ねそべった木は、
まるですやすやと ねむったみたいだ。
ふきのとうちゃんは 木こりの名人で、
どんなふとい木でも きりたおして、
すやすやと ねかせつけてしまった。

木霊(こだま) 前号への 読者の感想

同居せし四〇年余を思いつつ
読経の声に手を合わせけり

★(前会員・NKさん発行の「やちだも通信」から。)
「ウッディーズの会員から私の短歌を書いたミニ掛け軸をいただいた。昨年亡くなった義母の葬儀に詠じた一首で、部屋の壁に掛けられている。以前にも、私の短歌を色紙に書いて、小さな額に入れて贈ってくれた人である」。

(同通信の欄外には、「テレビで子どもたちと樹名板を付けている様子を見ました」との添え書きもあり)

 

★「森の本棚」— 長田弘の詩といい、『木を植えた男』などの絵本といい、木あるいは森を常とは異なった視点で見させてくれ、あるいは感じさせてくれ、文字どおり「蒙を啓かれる」。
それからガンビのこと。長野県では盆の迎え火にガンビを使う風習があり、時期になると売られていた。あのガンビはどうやって確保していたのかなあ。
 昭和20年代、燃料用に棚薪を買っており、その薪の中に白樺が含まれていたりするとそこから焚きつけ用にガンビを剥いでいました。(T・Yさん)

林間独語

▼ 作業をそこそこにして、「イッパイやるか!」となることがしばしば…の我が山荘でのこと。今回のメンツは、いつだったか水と取り違え焼酎でインスタントラーメンを茹で、ラーメンから燃え上がった炎に度肝を抜かれながらも、「結構イケるぞ」と食ってしまった面々である。であるからして、話題は「お笑い系」を免れない。

▼ そろそろ遺影を用意しなければ…という冗談話から当方の馬鹿面がスマホに撮られたらしい。ある日、それがフェイスブックに晒されているのを目にした。「酷い顔に撮られてる!」と、家人に見せたら、「まんまでしょう」と笑い転げられてしまった。だから写真は苦手なのだ。鏡はもっと嫌だが、向き合わないわけにはいかない。「何とかならなかったのかなぁ、このツラは…」と情けなく思ったご面相とも自然に折り合いが付いてきて、あまり気にならなくなってはいるが。

▼ 最近、鏡に自分の顔がどう映るかなんてことより大事なことがある…と教えられた。
「いま、目の前にいる友人が楽しそうにしているかどうか、それがが大事なことなんだ。友達や家族の笑顔が、『真実の鏡』なんだ。」(一部略)
 (田口ランディ「生きてるって、幸せ−!」 日本農業新聞に連載中)

▼ そうだ! ウッディーズで共に汗を流す仲間の笑顔、森に遊びに来る子どもたちの弾けるような笑顔…。向き合ったときに輝いてくれるそんな笑顔こそが我が鏡なのだ。
 ランディさん ありがとう!(T.M)