森林人通信

Vol.73 2011.8.1

夏草に負けず 下刈りに励む

 6~7月は、7月の最終週を除き毎週の出動 となった。酷暑の森で、「ちゃんと手入れしてくださいよ」という木々の声を聴く思いで、旺盛に茂る夏草の下刈りなどに汗を流した。

活動日誌 (6月~7月)

6月5日 北海道神宮  16名参加
 この時期恒例の、境内の草刈り。「新山川草木を育てる集い」との共同作業。

6月11日 吉村山林  15名参加
笹刈りと遊歩道づくり。
 

吉村山林は、会員のYさん夫妻が所有する1ヘクタールの山林。藻岩山・北の沢登山口付近にあり、北の沢第2都市環境林に接している。
 奥さんは子どものころからお父さんが運転するバイクの後ろにまたがって山へ行くのが楽しみで、笹藪を切り開いて作った家庭菜園も喜んで手伝ったと言う。

吉村山林

ここへ来ると心が静まる
(6月11日 吉村山林)

 現在は夫婦で週一~二回の山通い。お互いに口をきくこともないほど森仕事に没頭するから、この時ばかりは夫婦喧嘩もしない、と笑う。微笑ましくもあり羨ましくもあるオシドリ夫婦…。
 昼食には、豚汁や蕨のおひたし、漬物、西瓜など過分なお持てなしをいただく。

歩道の役割 歩く楽しみ

 林内を巡る歩道の役割は大きい。歩道に沿って巡回するだけで、林内の様子がよく分かる。「ここにこんな木がある!」などというという発見の喜びがあり、「ここは除伐が必要だ。」など作業計画も自然に生まれる。
 なにより、作業現場に行くのが容易で、疲れて歩く帰路も楽しくなる。

遊歩道づくり

遊歩道を作るのも楽しい作業
(6月11日 吉村山林)

6月18日 どろ亀さん記念22世紀の森  10名参加
 
「22世紀の森」がある当別町青山地区へ遠征して下刈り。
「22世紀の森」は、「新山川草木を育てる集い」が関わる造林地で、広大な河川敷に毎年1ヘクタールの植林を実施している。先進的な林業知識と徹底した管理による皆さんの努力が22世紀にどんな森を生み出すのか、想像するだに楽しい。
 この支援作業に力が入る所以である。
 この日は、高い湿度のせいか、おびただしい数の蚊が飛び回り、刈払機の轟音にも動じず手袋・作業衣越しに刺してくる。
 蚊の大群に悩まされはしたが、下刈りを終えた植林地のなんと美しいことか。一本一本の木に「大きく育ってね」と呼びかけたいような気持ちだ。
 入会してまだ日の浅いT本さん、A部さん、Jさんが刈払機に挑戦、良く健闘した。

6月26日 柴原山林 9名参加
 作業道や植林地の草刈りという通常の作業に加えて、「鹿除けネット」の取り付けを行う。
 植栽木にネットを巻き付け針金で編み目を縫うように固定する。これが意外に手間を食う。
 効能書きによると、ネットには辛子が封じ込められていて、これを舐めた鹿はゲッ!となって退散するらしい。野ネズミにも有効とか。
 次週、北の沢環境林で使う支柱も作成する。

7月2日 北の沢第2都市環境林 12名参加
 植栽木の管理。
 
「甦れ! 原生林」の願いを込めて07年に植えた、6種類・約500本の木のアフターケアだ。
 森林というものは、人がいったん手を入れたからには面倒を見続けなければならない。それができないなら、やらない方がマシ、と実感するフィールドである。暫くは手入れが必要だ。
 午後からは、隣接の吉村山林へ移動して笹を刈る。
 作業後、吉村山林「定番」の西瓜をいただき、生き返る思い。

7月9日 北の沢第2都市環境林 15名参加
 植栽木の管理。
  前週に引き続き、下刈りと標識テープや支柱の更新・整備。
 暑さが気になる時節になった。こまめな休憩と水分補給が必要だ。 
 
16日 どろ亀さん記念22世紀の森 10名参加
 下草刈り。
 中止だろう、と思わせる強い雨! しかし、「新山川草木…」には予定行事の中止はあり得ない、という。スゴイ根性。この根性にはやや引けを取るウッディーズも、それでは、ということで雨具を着て刈払機を手にする。
 昼食は、特製の焼きそば入りジンギスカン。

7月24日 支笏湖復興の森  9名 
 下刈り・補稙。
 青く晴れ渡った夏空、支笏湖が風不死岳の山影を真っ青な湖面に映している。ひとしきり支笏湖の美景を堪能して現場へ。
 参集したボランティアグループがそれぞれの持ち場に散って作業をする。ウッディーズの受け持ち区画には、07年に700本のトドマツを植えた。1年目は6割を超える苗木が枯れて大量に補稙したが、本年も1割強の補稙だった。火山灰地という土壌条件では致し方ないだろう。手鎌も用いて、下刈りを終える。

ムー大陸の夢 

~荒巻 義雄氏によるコラム~

第3回【彼らは太平洋を 東へ渡ったかも…】

 アメリカ大陸へ人類が渡った時期は、一万二〇〇〇年前より後だと、長い間、考えられてきた。なぜかと言うと、ウルム氷期ではベーリング海は陸地だったが、その先、人類の行く手は、北米の大半を占める二つの巨大氷床で阻まれていたからである。
 だが、最近、より古い人類の遺跡がゾクゾクと見つかってきた。それで、一時期、流行ったのが、この二つの氷床の間に抜け道があったとする説。
 一方、今より何十メートルも海面が下がったために太平洋側の海岸が陸化、ここを南下したのではないかという説も有力である。
 しかし、約五万年つづいた最後の氷期の最中、たとえば、二万年前とか三万年前に、われら人類は、太平洋のど真ん中を南米大陸へ渡っていた可能性があるのだ。たとえば、オーストラリアで見つかった岸壁画とそっくり同じものが、南米で発見されているからだ。

 だが、いったい、どうやって? 筆者は、今、〈仮説考古学〉で空想しているのだが、この海域は東→西の風(貿易風)が恒常的に吹く。たとえば、先年亡くなったトール・へィエルダールが実施した実験考古学では、あの有名なコンティキ号が、ペルーからツアモツ諸島への航海に成功している。
 彼が証明したかったのは、インカ文明の太平洋への伝播であった。たとえば、筆者も実見したイースター島の精密な石垣は、インカの技術でできたというわけである。
 だが、反対の風、西→東の風は、存在しないのだろうか。実はある。一九四五年に発見された赤道西風である。
 ウルム期の太平洋の気候は、今とはちがっていた。海面低下で陸化した仮想大陸ムー(ニューギニア・オーストラリア大陸)が存在していたころ、巨大な氷床が北半球に存在していたため、ヒマラヤの南麓の緯度~ニューギニアの緯度の範囲で、赤道西風が恒常的に吹いていたのだ。なぜ、それがわかるかというと、砂丘や山岳氷河の出来る斜面の方向を調べると、当時の風向きが推定できる。
 空想しよう、ロマンチックに! 太陽帝国のムー人が、西風を帆一杯に孕んで東太平洋の海原を突き進む光景を。われわれは、そのとき、太古の世界で起きたかもしれない一場面を幻視しているのである。  (つづく)

(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)

(コラム「ムー大陸の夢」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

白旗なあなあ日常 

~苗木 森之助によるコラム~

Vol.9

 お久し振りでした。昨年の12月以来でしょうか。その間、大きな出来事があり過ぎました。連れて思うことも多々あるのですが、数日前に雀蜂に3箇所刺され、その腫れがひき始めたら痒いの何のって…そのため元々低い思考能力が更に低下。この顛末についてはいずれまた。
 7月23・24日は、「きたネット」に機会を頂き、「前田一歩園の森づくりセミナー&阿寒湖周辺の森視察」に参加。森林を仕事場としている者だが、「あの森林」を目の当たりにし、神々しい迫力に圧倒されてしまった。


緑陰の涼

三百年前の原生の森へ

和58年に設立された前田一歩園財団は、阿寒湖周辺の宅地や山林を管理し、その広さは3892㌶で、湖の三方を囲むように3593㌶の山林があり、全域が阿寒国立公園に包含されている。「三百年前の原生の森林に戻す」よう風致景観を重視した森林施業。例えば、皆伐は行わない。大径木・営巣木・貴重木等は遺す。針葉樹七割、広葉樹三割の針広混交林を目指す。マリモ生息地流入河川区域、貴重な鳥獣生息地など必要な区域は原則伐採しない。更新不良地は植え込みを行う(赤蝦夷松)…。加えて、森林経営に必要な経費は、多くを財団の収益部門(温泉、土地事業)からの繰入金等で賄うことができる。この特異な森林経営だから自然環境に配慮した天然林施業が可能なのかも。が、それも高邁な理想と人づくりがあってこそ。

緑陰の涼

伐る山でなく観る山…

治39年前田正名(まさな)氏が、国有未開地の払下げ等を受け、阿寒湖に「阿寒前田一歩園」を開設した。その後、正名氏の次男正次(しょうじ)氏に、さらに、正次氏の妻光子(みつこ)氏に継承されるが、前田家の「前田家の財産は総て公共の財産とする」、「伐る山から観る山へ」という基本的な考えのもと、後半期は一貫して環境保全を重視した森林経営が行われてきた。特に光子氏は、(国を含めた)様々な開発圧力の中で、阿寒湖の人達と一緒になって自然を守り続け、その豊かな恵みを多くの人々に永遠に享受して欲しいと、姪御さんと共に森林等の財産を寄付し、「財団法人 前田一歩園財団」を設立した。

 

の高潔な志が正に受け継がれた「あの森林」だったことに感銘を受けたと共に、同じ山仕事をするのであれば、「あの森林」のような、誇りを持てるところでしたいものだなあ…と。
※「前田一歩園(いっぽえん)」は、正名氏の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来する。
  (つづく)

(コラム「白旗なあなあ日常」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

ウッディーズ歳時記

【涼し】

 夏の季語。
 涼しいと言えば秋、と思いがちだが、涼しさに浸る喜びは夏が一番。だから、「涼し」は夏の季語である。
 酷暑のさなか、水に足を浸したり風を身に受けたりしてウットリする涼もあれば、耳や目で感受する涼味もある。

緑陰の涼

木陰、吹き抜ける風、
そして、冷えた水でクールダウン。

谷底に見あげて涼し雲の峰
あら涼し松の下陰草もなし
涼しさの動く野山の緑かな
涼みながら木陰に寝たり日半日
 
 
 ( いずれも、正岡子規 )

我ら「森林人」には、作業の合間、木陰で味わう涼しさがその極致だろう。
 身を焼くような暑さをのがれて樹陰に安堵し、滴る汗を拭い、吹く風に肌を撫でさせる涼しさ…!
 また、枝打ちなどの手入れを終えた樹間に立つとき、その爽快感は「涼し」の域を越える。
 落葉松の枝を払ひしひとところ清しき風の通りゆきたり 

原公子

林間独語

▼「ただちに健康に影響するレベルではない」は、後々に影響が出るかも知れないという意味である。つまり、放射能に起因すると思われる腫瘍病、内分泌関係の病気に罹る人が多く、死亡率も増えているチェルノブイリの今が、数年後、数十年後の福島かも知れない、ということだ。

▼既に大気や海水や土壌が汚染され、野菜、魚介類、肉牛、茶葉など出荷が規制される品目が続出し、福島を中心とする関東・東北では広い地域で人々の生業と生活が破壊されている。

▼動植物への影響はどうだろう。08年IUCNのレッドリストに指定された絶滅危惧種は約1万7千種(世界の生き物約164万種のうち1%。哺乳類に限って言えば21%が絶滅危惧種という深刻さ)。福島原発がまき散らした放射能が絶滅速度に拍車をかけないか? 杞憂なら良いが。

▼チェルノブイリでは、植物の縮小や巨大化、花や葉の異形化、茎の歪みなど様々な形態的変化が見られるという。樹木の放射能耐性はどうなんだろう。原爆に焼かれて幹の半分が無くなりながらも再生した広島のアオギリの例はあるが…。ともあれ、我々はささやかな森づくりを続けよう。それだけでいいのか、と自らに問いつつ…。

(MT生)