Vol.61 2010.1.1
ハチドリのひとしずく
森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをしていったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
(光文社「ハチドリのひとしずく」から)
新しい年 ウッディーズは 燃えさかる森に
どれだけの滴(しずく)を運び 落とせるだろうか
09年仕事納、柴原山林で
12月6日、朝方まで嵐が続いたのに、12人の大量参加。
最終回だからという思い入れもあったのか。
自称幽霊会員・Hさんの場合は、「今年の最後だから、皆さんに足があるところを見てもらいたくて…」と。
女性陣全員がチェーンソーに挑戦した。
その一人の述懐 ― 「簡単そうに見えたので、私にもできそうと思ったけど、難しかった!」
林業プロ・Yさんの伐倒をみんなで見学し、狙った方向へ確実に倒す妙技に痺れた。そして、安全への徹底した心配りにも。
及ばずとも、そのレベルに少しでも近づきたい、と思った。
おじいちゃんの「遺産」―柴原山林山主・Dさんのお話―
柴原山林でウッディーズの皆さんと出会えて、おじいちゃんはこの山林とともに、
人という財産を遺していってくれた、ということに気づきました。
「苫東ウッディーズ」 誕生!
草苅健氏が「苫東ウッディーズ」を立ち上げた。勇払原野の風土を多くの人と共有し保全することを目指す 「苫東環境コモンズ」に関って、
樹林地の保育などを行う実働部隊とする、というのが設立趣旨である由。
なぜウッディーズなのか。札幌ウッディーズの志が道内各地の希望だから、という。
過分な評価には恐縮するが、できる限りの協力をさせていただくことになろう。
田中事務局長惜しまれて退会
挨拶する田中・前事務局長
12月12日、退会する田中さんを囲んで「感謝の宴」が開催された。
田中さんは事務局長として4年間、会全般の運営、個々の活動の企画・案内、機材の保管・管理・運搬など、心身ともに大きな負担がかかる任務をこなしてきた。我々は正に「負んぶに抱っこ」状態だった。厄介な病気を抱える人に…。
この間のウッディーズの成長・発展が、田中さんの貢献に与(あずか)るところ大であっただけに、田中さんの退会が今後の会運営に与える影響は大きい。
今度の会を「送別会」ではなく「感謝の宴」と銘打ったのは、これでお別れするのでなく、引き続きご支援をお願いしたい、という一同の気持ちの表れでもある。
人と出会い、人の輪に連なる喜びと無常、それを併せ感じた「宴」だった。
「新参者ですが…」 - 後任・石田さん談
森林保全を通じて得ようとされているものは人によって様々でしょうが、
それをしっかり得られるようお手伝いできれば、と思っています。
新参者ですが頑張ります。よろしくお願いします。
学びと語らいの夕べ ~ 忘年会in山小屋
「木材の構造は…」と興味深い講義
龍馬 お目見え!誕生1か月の小牧龍馬ちゃんも
「参加」新しい命が座の主役に。
12月19日小樽・春香小屋で恒例の忘年会があった。宴会に先立つ学習会で、二人の講師にお話を聞く。
苫東環境コモンズの草苅さんは、最近よく考えるようになったという「つながり」について語り始めた。
「(氏と)ウッディーズとの間に生まれたつながりも、なるべくしてなったもので、個別に展開してきた行動がここへきてつながったのだと思う。
これからの共同行動の場になる苫東・大島山林では、森林保全作業を通じて地域の人々相互の新しいつながりも生まれようとしている。」
次いで、森林を科学として捉えすぎてはいないか、もっと「情緒的」な接近を図る必要があるのではないか、との提起。
ドイツの森林療法などを例に、「林は心に効(き)く」とする知見を、豊かな実践に基づいて披瀝された。
北大大学院で木材工学を専攻する石原会員は、木材の構造について講義。興味津々の多くの会員からから、
矢継ぎ早の質問を浴びせられる。「知の喜び」を実感させてくれた。
学習会の後は、常のごとく、回顧と展望を熱く語る宴。
「中高年中心の成熟した関係が読み取れた」とは、草苅氏の忘年会評だが、青・壮年が相次いで入会した年の忘年会に相応しく、
新しい風が吹き込んできたと感じられる集いでもあった。
新春詠
枝を打ち癖木を倒して林床に光届けば心満ち来る
中野常明
葉の落ちし木の間を飛び交う鳥達の姿記(しる)けき冬は始まる
中野常明
いづこにて降りゐるものか昼の日にあはあはと雪が風に乗り来る
原 公子
池おほふ新雪あさひに反射して獣の足跡細くつづけり
高橋千賀
北極圏への旅
~荒巻 義雄氏によるコラム~
第1回【夜汽車のスカンジナビア半島】
飛行機から見下ろすスカンジナビア半島の印象は骸骨である。200万年前にはじまった氷期の期間、この大半島はすべて厚い氷に覆われていた。
10年ほど前になるが、私がスウェーデンの首都ストックホルムを発ったのは、夕方の時刻だった。しばらくは月に光る幻想的な湖面が見えたが、すぐ暗くなった。寝台車の快い揺れに誘われて眠った私は、当時、亡くなったばかりの母の夢を見ていた。私は、母の魂を連れて、北にあるらしい霊魂の原郷へ向かっているのだった。
翌朝、目覚めると、列車は北緯67度付近からはじまる北極圏に入っていた。車窓から見える原野は頼りない白樺の疎林だ。さらに、幹は細く、背の低いカラマツがどこまでもつづいていた。藪も下草もない、褐色の落ち葉だけである。
朝飯は、ビュッフェで求めたごついサンドイッチ。地元の乗客たちと仲良くなり、歓談するうちに、 頼まれて日本語を教えるはめに。まず、木の絵を描いて木が象形文字であると教え、「ツリー」。二つ並べて林、「ウッズ」。三つで森、「フォレスト」と教えると、大いに受けた。
調子に乗って、今度は木偏の文字を、「日本語では木に関係あるものは木をつける」と言いながら、板、机、柱など教え、ますます盛り上がる。みな、大江健三郎のノーベル賞作品を読んでいるインテリおじさんたちだ。
列車はキルナで停車。友達になった一行はここで下車。広大なラップランドの土地へ、何日もかかるトレッキングに出かける。山歩きの経験があるから私にもわかるが、絨毯を敷いたようなカラマツの林を歩く快さ。北海道なら2000メートル級の高原トレッキングと同じと思うが、長い夏休みがとれるこの国の国民がうらやましい。
ふたたび発車。車窓の右手に、高校のとき地理で習ったキルナ鉄鉱山が見える。列車は2000メートル級の脊梁山脈を越えて、ノルウェー領へ。岩に張り付いているのは苔と地衣類である。
終点は、キルナからの鉄鉱石積出港のナルビク(北緯68度26分)。始発からここまで1580キロメートル。
さらに旅はつづき、私は、ヴァイキングの故郷、ロフォーテン諸島へ向かうため、高速フェリーに乗船した。 (つづく)
(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)
(コラム「北極圏への旅」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
26【メタセコイア】
メタセコイアの木
メタセコイアの葉
メタセコイアという名前を知ったのは、中学生の頃だった。
確か石炭の生成暦を調べていて、昔、メタセコイアという巨木があって、地下に埋もれて石炭になったという事をを知ったのだ。
何故かこの時のメタセコイアという名前を忘れずにいた。社会人になって、東京出張になったとき見慣れない街路樹に
メタセコイアという名札が付いているのを発見し驚いたものである。
この木は、長い間化石としてしか発見されなかったが、
45(昭和20)年、中国の四川省で生木が発見され生きた化石として騒がれた。
その後、湖北省にも自生していることが発見され、その木から種を採り苗木が育てられた。
50(昭和25)年、苗木は日本にも輸入され各地で植栽された。東京でも植えられたので、そのうちの1本に出会って、
化石ではない生木に驚いたというわけである。札幌にも分配され北大植物園に植えられた。
メタセコイアは、スギ科メタセコイア属で、和名はアケボノスギ(曙杉)英名はDawnRedwoodである。
葉、枝振り,球果などは、カラマツによく似ている。樹皮は杉に類似、雌雄同株、落葉高木で高さ20m~30mの巨木にもなる。
暖地に植えられた方が成長が早い。用途は、街路樹、公園樹が主で、中国では木材原料として植えられている例がある。
10数年前苫小牧に住んでいた頃、仕事の関係で石油備蓄基地に出入りしていた。そこの設立10周年記念行事として、
記念樹を植えることになった。樹種を選んでいるとき意見を求められた。樹種候補の中にメタセコイアがあったので、
迷わずにそれを推薦した。メタセコイア→石炭→石油→エネルギー源→石油備蓄基地という連想からである。
偶然にも選定者も同じ発想であり、顔を見合わせて笑ったものである。順調に育っていれば、もうかなりの大きさになっていることだろうが、
入門証をもっていないので、簡単に見に行くというわけにはいかない。
札幌に移り住んでからウオーキングを始めたが、何と同じ町内の庭にメタセコイアを植えている個人宅を、2軒見つけた。
また、いつも通っている小公園にも数本のメタセコイアを発見した。日高の穂別町(現むかわ町穂別)には
メタセコイアの並木があると聞いて、一度、是非見に行きたいと思っていた。ところが小樽市内をバスで巡っていた時に、
偶然メタセコイアの並木を発見したので、是非という気は失せてしまった。今年、東大演習林見学の帰途、
三笠の化石博物館の庭に、数本のメタセコイアを発見し、この木の希少性はもうなくなったと感じた。
参考図書
朝日新聞社 『北方植物園』
辻井達一『「日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫『「新版北海道樹木図鑑』
(亜璃西社)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
読者の便り
「森林人通信」、すみずみまで拝読。とても充実した内容で今後の活動が楽しみになってきました。これから、道具の手入れや補充をしていきたいとおもいます。(新会員・Fさん)
林間独語
▼農山村が輝いていること、それが一国の健全さのバロメーターであると言われる。
日本はどうか、などと今さら問うも愚か、惨憺たる有り様である。老人とその予備軍のみが残り、
やがて消滅に向かうとみられる「限界集落」が多くなっている
▼人々が農山村を離れていくのは農林業が生業として成り立たないからだ。
なかんずく林業。80年に17万人を数えた林業就業者は25年後の05年には5万人に激減し、
その高齢化率(65歳以上層の占める割合)は7%から26%まで上昇した
▼林業を大事にしている国は多い。
ドイツの森林面積は日本の半分以下の1千万㌶だが、森林・木材産業の就業人口は130万人、
自動車産業の2倍近い。他の欧州諸国も木材業界は盛況だ
▼北欧を除けば世界で最も森林率が高く、
世界第2位の経済規模を背景に木材需要も巨大な日本で、林業・木材産業が疲弊し、山村から人が消えていくという不条理。
政治が解決する課題だが、単なる政権交代では先が見えてこない。国民意識の根底的な転換が伴わなければ…
▼ここは、年輪が1年に数ミリずつ、
しかし、確実に増えていく木の生長にあやかり、ささやかでも地道な営みを続けるしかない。「ハチドリのクリキンディ」のように。