Vol.59 2009.11.1
「よく 育ったね~」
荒巻山林 七年目の手入れ
自分たちがかつて手がけた山林が時を経て着実に生長を遂げていることを確かめ、いま必要な手当てを施す
‐ 荒巻山林が一例であるが ‐ 心躍る仕事である。秋色深まる10月、多様な活動が展開された。
10日 荒巻山林・田嶋山林 18人参加
7年前の枝打ち作業風景
現在(10月10日)の林内景観
昼食は絵のような空間で
国道230号線脇の「道路情報館駐車場」に集合。
4班に編制した作業班の1班は田嶋山林へ、3班は荒巻山林へ向かう。
荒巻山林では先月に引き続き枝打ち・間伐を行う。
台風が過ぎていった直後の秋晴れ。大陸から流れ込んだ寒気で冷やっとする林内だが、仕事をするには快適な気温である。
作業を終えて林内を見渡すと、林床に陽が届き、見違えるようにスッキリした。しかし、まだ樹間が閉鎖している部分もあり、引き続く施業が求められそうだ。
荒巻山林を後にして「田嶋班」と合流、田嶋庭園の美しい池の畔(ほとり)でピクニック気分で昼食をとる
「田嶋班」は、午前中、トドマツの伐倒などを行っていたが、午後からは全員でカラマツ林を間伐した。
「森を愛し畏怖する心を」
―荒巻山林・山主さんの思い―
荒巻山林の山主・荒巻義雄氏は、SF、近未来小説の代表的な作家として広く知られている。
同氏からその著書『樹々より木漏陽の国』が寄贈され、会員間で回し読みされている。
物語りの舞台は近未来の北海道。
同書の「帯び」に「大自然の脅威を知らぬ人類に警鐘を鳴らす衝撃の問題作!」とあるように、都市を向うにまわして闘う
森の民と、双方の人々の営みや愛が描かれている。底を流れるものは都市文明への批判である。
巻末の「あとがきに代えて」では、荒巻山林を巡る不思議な体験と、それ故に前所有者である僧侶から買い取った経緯、
そこに植林した理由が明かされ、続いて、氏の森への深い思いが直截(ちよくせつ)に吐露される。
以下は、その一部。
「古来、人間は、自然から恵みを受けるお礼として、祭礼をしたり、供え物をして、敬意を払っていたのである。
しかし、現代はちがう。人々は自然から奪うことばかりを考え、お返しを忘れているのである。」
「素人の私にもいえることは、森を愛し、森を畏怖する心を、われわれ現代人は、もっと回復しなければならない
ということだけ(略)」
恵贈本に添えられたウッディーズ会員宛ての便りに、「皆様の無償の行為、昔風なら勤労奉仕に、感謝しております」
との謝辞が認(したた)められている。
24日 道民森づくりネットワークの集い2009 14人参加
森を感じる 森を楽しむ 森を考える
全道の森づくり仲間 一堂に
道庁赤れんが庁舎前に「森のテント村」が出現した。
道内各地で森づくりや森とのふれあい活動を進めるグループ、木工品を制作する
企業・団体などが一堂に会し、ポスターや作品で森の現況、森の魅力、森の大切さなどを訴えた。
来場者は各テントを回り、ポスターに見入ったり、木工品を手にとってみたり、体験コーナーでクラフトに
挑戦したり、秋の一日を楽しんだ。
ウッディーズのテントでは、手ノコで丸太の輪切りを体験してもらった。若いお母さん、
車椅子の人、外国からのお客さんなどいろいろな方々がチャレンジしたが,やはり一番多いのは子どもたち。慣れない手つきやら「昔とった杵柄」やら様々だったが
、みんな真剣に、楽しそうに切っていた。(ウッディーズのテントを訪れた方々から3,387円の募金が寄せられた)
25日 北海道神宮 20人参加
参詣客で賑わう境内は、紅葉が佳境を迎え、時折吹く風に落ち葉が嵐のように乱舞する。
作業前のミーティングで、前回・前々回の作業時におけるヒヤリ・ハットについて報告があった。
作業は、枝打ち(写真左)やツル切りなどを行う。
10月のその他の活動
3日 支笏湖復興の森 7人参加
14日・28日 「森林ボランティアと創る石狩の豊かな里山モデル事業」(支庁主催) それぞれ6名参加
【赤の華やぎ―散りゆくための身繕い】
写真:沓間洋子 撮影地:手稲山山麓
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
25【ヤチダモ】
防風林のヤチダモ
ヤチダモの葉
モクセイ科トネリコ属で、高さ30m以上となり太さは80~100㎝にもなる落葉高木。本州中部から北海道にかけて湿地に自生する。ヤチは『谷地』のことで、湿地に生えるタモという意味である。タモは、同じ属にあるタゴの木から転じたと言われている。葉はオニグルミ、キハダ、シンジュなどと同じ奇数羽状複葉である。小枝が少なく幹は真っ直ぐに伸びるので、昔は田の畦に植えられて稲を乾燥させるハサの支柱に使われた。
生木でもバリバリ燃えるが、薪材としても優れている。少しぐらい節があっても簡単に割れたので助かった。木材としての用途も広く家具、建築材、合板、枕木、車輌、仏壇、算盤の枠、額縁、太鼓の胴、
野球のバット(主に軟式用)などに使われる。オスとメスの木があり強度の大きいのはオスの方である。
ヤチダモは水に強い性質から泥炭地(湿地)を通る鉄道の防風雪林として利用された
。アイヌの伝説によれば背の高いハルニレの木の上で、フクロウが人間を悪魔から守っていたが、人間が増えて見通しが悪くなり、一番高いヤチダモの木に移ったとの事。札幌の街中でヤチダモを見たければ、道庁赤レンガの北側に、立派な大木がある。植物園にも開拓時代からと思われる大木が数本見られる。わが家から30mほど南に行くと長さ2・5㎞、巾50mほどの
ヤチダモ主体の防風林にぶつかる。昔は、石狩湾からの強い北風を防ぐためだったが、今では林の遙か北まで住宅が建ちこれが防風林の役目をしてくれている。防風林は、今や犬の散歩やウオーキング、バードウオッチング、児童の学習林などに
広く利用されている。
ふるさとの子供時代によく木登りをしたが、それもヤチダモの木が多かった。近所の大きな割烹が火事で焼失したが、広い敷地の東西に各一本づつヤチダモの大木が焼け残った。道路の上まで枝を広げて、秋になると路上一面に、子供の膝の高さまで落ち葉が降り積もった。良く木登りをしたのは3月末頃で、誤って木から落ちても下に雪が残っているので怪我しないことと、葉のない季節で見通しが良く高いところでも風が冷たくない事などが理由であった。身が軽かったので、梢近くまで登りあちこちに揚がっている凧を眺めたり、羊蹄山やニセコ連峰の遠望を楽しんだものである。
参考図書
朝日新聞社 『北方植物園』
辻井達一『「日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫『「新版北海道樹木図鑑』
(亜璃西社)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
白旗なあなあ日常
~苗木 森之助によるコラム~
Vol.3
例年より早目の紅葉は白旗山でも見頃を迎えている。彩り豊かな森林の中で仕事出来るなんて、傍目には「いやァー、いいんでないかいっ」と言われそうだけど、綺麗な蔦漆等の蔓が絡んだ樹木の下では、大汗を掻きながら樵が藻掻いているかも…
白旗山の一画では唐松林の間伐作業が最終段階に突入。8町歩弱の区画にある 1,500本の作業対象木を7人で処理する請負仕事。1日1人当り27本余りを7日と4分の3日で処理しないと日給に満たないことに…
間伐の目的は言わでものことだけど、白旗山では上層の優勢木を残して
形質の悪い木から伐採していく劣勢木間伐(下層間伐)が標準。間伐に一連の作業としては、間伐の程度を決めるための標準地調査、伐る樹木を選択する選木調査、安全作業のための笹刈り、立木を伐り倒す伐倒作業、伐倒した木の枝を払い幹を用途に合わせた寸法に切断して素材丸太にする玉切り作業、大鳶(おおとび)を使い人力で丸太を数本の小単位に集める木寄せ作業、小単位の丸太をワイヤーで括ったものを数単位ずつブルドーザで一定の場所(山土場)まで運び出すブル集材、集材した丸太を木材用の直材(末口の大きさで区分)と製紙用パルプ材とに分ける選別作業、パルプ材丸太を二等分して杭材(くいざい)を選び出す切断作業、区分けして整然と積み重ねた(椪積(はえづ)み)丸太を山土場から林外へ搬出する運材作業などがあると思うけど、今回は間伐作業と言えばこれ、の伐倒と玉切りのお話
作業対象木は、主役の唐松と広葉樹全般(雑木)で、選木調査の際に印付けしてある。
具体的には、樹高20m前後で根際(ねぎわ)からの高さ(道基準で130㎝)の直径(胸高直径)が40㎝前後の中径木、強風によって根元から倒れた風倒木、立枯れしてしまった枯損木、5㎝程度の太さでも主役の生長を阻害する支障木と様々あるが、商品にできるものは上手く玉切りして採材し、他のものは木寄せやブル集材で支障にならない程度の枝払いと切断をして土に還って貰う(ナムアミダブツ、エーメン…)
間伐作業で入山する前には、全員で地形図を見ながら作業範囲を割り振って確認する…こともなく、「こっち入るから」、「したら、そっち入るから」と三々五々入山していく。これは、誰がどの辺りをどういう状況で作業しているか、常に俯瞰的視野で状況を把握できるという高度なワザと、厚い信頼関係があらばこそ(ブホッ)。さあ、いよいよ作業開始だが…続きはまたの機会に。
(コラム「白旗なあなあ日常」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
読者の便り
★(前号の)「林間独語」(の車の話)、面白かった。夫が、車庫入れするときに擦ってキズをつけました。ブーブー文句を言う私に「ゴメン」と謝っていた夫が、これを読んで、「ホラ! 車は洗車しなくても、キズがついてもいいんだ。走る道具なんだ
から」と、一変して自信ありげに言いました。
(Sさん)
林間独語
▼森の湯山静館―文字を見ただけで、「ヨーシ、この宿にしよう!」と決めた。
表意文字たる漢字の強みで、「森」「湯」「「山」「静」「館」、どの一文字だけでも人の気をそそるに十分なのに、
五つが束になって好ましいイメージを掻き起こす。
▼「この10年間で最大規模」という鳴り物入りで北上してくる台風に
怯(おび)えながらたどり着いた、山間にあるその温泉…などと勿体をつけることもない、
カルルス温泉・森の湯山静館である。年寄り・非グルメの一行だからと格落ちコースにした夕の膳にも充分満足。楽しい宴になった。
▼前夜の酔いが残る翌朝、黄葉した木々に囲まれた露天風呂に浸った。台風の余波か、小糠雨がそぼ降り、
時折の風に木々の梢がさやさやと揺れる。正に、森の湯。地底から湧き出る湯に浸りながら、やはり地中から地表に躍りでた
木々を愛でる。「この地上で木とともに生きることの恵み」(谷川俊太郎)を堪能する。
▼思い切り長湯をした。しかし、我が連れ合いは輪をかけた長風呂。何をしてたんだ? と問えば、
ひたすら体を洗ってた、とアッケラカン。
哀れなるかな、木々と交歓すること能(あた)はざる情緒なきものよ! 垢を擦るだけなら、
我が家のユニットバスでこと足りるだろーになぁ。