Vol.53 2009.5.1
甦れ!「おじいちゃんの森」 柴原山林
新しいフィールドで 気分新たに
4月11日 柴原山林 26人参加
雪が消え残る早春の森、青空が抜けるように広がる。
作業に先立ち、山主・出倉さんにご挨拶いただく。
出倉さんは、この森を育んだご祖父・柴原茂松さんを偲ぶように語られた。その前後にお聞きしたお話と合わせると、山に生きたある人間像が浮かび上がる。
柴原さんは、滝野で商店(現在は人手に)を営みながら、手広く林業を展開していた。現在残っている山林には自ら植林し、その後転居した白石から80歳を超えても毎日のように山通いをして我が子を育むように手入れをしていた。
しかし、04年、そこまでして愛しみ育てた森を18号台風が踏み倒し駆け抜けていった。手の施しようもない惨状に、柴原さんの落胆ぶりは見るに忍びないほどだった。
療養中だった一昨年夏、気分が良さそうなある日、「どうしても」という懇願を受けて滝野へ連れてくると、車の窓を開け、変わり果てた森の姿を黙然と見つめ続けていたという。
柴原さんはその後1年を経ず、昨年3月、99歳で亡くなられた。
遺品の中にあったメモ[しぜんと共に生きて行く」という文言からは、柴原さんの生き方を簡潔に読み取ることができると同時に、自然の猛威と折り合いをつける余力が残されていなかったことの無念さが偲ばれる。
「おじいちゃんの遺志を引き継ぎたい」という出倉さんの思いがみんなの胸を打つご挨拶だった。
いよいよ、残雪を踏んで林内を一周、状況を把握する。平坦部と緩やかな斜面、気持ち良く歩いていると、「ここに径をつけよう」、「あのあたりは込みすぎている。除伐しよう」などという話が聞こえてくる。ここは、や(れ)ることがいっぱいありそうで、森づくりの意欲をそそる。
現に、林内を一巡してくると誰からともなく枝打ちに取りかかり、メーンとなる作業道に覆い被さっていた枝が瞬く間に取り除かれた。(写真右)
その後、本格的な作業が始まったが、作業種類は枝打ち、玉切り、枯れ枝集めなど何でもありで、それぞれが思い思いの作業に精を出した。(写真上)
作業終了時、会長から「柴原さんの思いとみんなの思いが一つになるような森をつくりましょう」との訴えに、肯きかえす多くの顔があった。
人間の手助けが 美しい林をつくる
感動と学習の「林とこころ研修ツアー」
4月18日 苫東雑木林・北大研究林 18人参加
「苫東雑木林ケアセンター」前には、草苅さんがカッターで杖を作りながら悠然として待っていてくれた。
歓迎の挨拶(写真)の後、苫東の自然史を、土壌の生成から説き起こしていただいた。草苅さんは苫東工業基地の景観形成を
仕事としてきた方である。その経歴を背景にしてのお話しには説得力がある。手を入れた林と放置した林の比較、紅葉が鮮やかになり、昆虫の生息数が増えたのはどちらだったでしょう? 正解はもちろん…。深く納得する。
草苅さんが手入れした林を散策し、林が人に施してくれる幸せを満喫する。通り抜けるのが惜しい。日がな一日まどろんでいたい…。
昼食後、北大研究林を案内していただく。石城謙吉『森林と人間』の世界。ここも、人間と自然の力が呼応して創られた、命が溢れるくつろぎの空間。心がほぐれる。
掌(てのひら)に野鳥が飛んできた。
草苅さんのHP 雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
21【シラカバ】
誰が見てもすぐ分かる木である。シラカンバともいう。カバ=カンバである。漢字では白樺である。「華燭の典」というのは、この木から来ている。華は樺を指し樺皮を松明(たいまつ)にして明るくすることを意味する。
シラカバ属を大別するとシラカバ、ダケカバ、マカバの三つになる。シラカバは平地に育ち、ダケカバ(岳樺)は高地に育つ。マカバ=ウダイカバは平地に育ち皮が厚く、皮肌はシラカバより茶色で葉が大きい。ウダイカバは「鵜松明樺」と書き、鵜飼いの船の松明に使われていたことに由来する。
樺の皮はガンピまたはガンビと呼ばれ、漢字では「雁皮」と書く。薪や石炭を焚いていた頃は、大切な焚きつけ材であった。原木置き場に出かけ雁皮を剥がしてきて冬中の焚きつけとして貯めておくのは、子供の仕事であった。マカバの太い丸太に、刃の長い鉈を打ち込んで傷を付けバリバリと皮を剥ぎ取るのは、気分の良い仕事であった。
シラカバは典型的な陽樹で、酸性土壌や砂地であっても太陽の当たるところであれば簡単に種が芽生え、シラカバだけの単純林を作る。十勝岳の麓にある白金温泉の近くに、「白樺ロード」と呼ばれる見事な白樺林に囲まれた道がある。この林は、昔、十勝岳が噴火して流れ出た泥流に種が飛んできて育った林と考えられる。開拓者達は、「白樺林は、酸性が強く痩せた土地だ」ということを経験的に知っており農地にすることを避けたようだ。だから見事な白樺林が残っており、それが今では貴重な観光資源になっているというのも皮肉なことである。
樺類は、切り倒して屋外に放置しておくと一年くらいで簡単に腐ってしまう。従って、白くて美しいからといって、牧場の柵や杭、ベランダの手すりなどにしてはいけない。但し、製材して乾燥して内装用に使えば、木目が細かく色は樺色といわれるピンクがかった茶色で美しく腐りにくい。特にマカバ材は、強度が強くベニヤ板や家具材として適材である。札幌コンサートホール「きたら」の内装は、床材、壁材など殆どが樺材で、音響効果は良くしっとりした樺色が美しい。
シラカバの新緑と秋の黄金色を楽しもうと、都会の街中や海近くに植えても良く育たない。煙害、塩害に弱いからである。ダケカバの黄金色、ハイマツの緑、ウラジロナナカマドの真紅のコントラストを楽しみたい方には、初秋の大雪山をお奨めしたい。
参考図書
朝日新聞社 『北方植物園』
辻井達一 『日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫 『新版北海道樹木図鑑』
(亜璃西社)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
木を友に(昼食談義版)
柴原山林の一部に林立するニセアカシアの傍らで昼食をとりながら、「このアカシア、どうしよう」ということから話が盛り上がった。春日・中野・宮本の諸家と気鋭の和田青年(大学では林学専攻とあって侮りがたい)がウンチクを傾ける。
以下、その一端を紹介する。
★ニセアカシアは北米から街路樹として導入された。
★その根粒菌による土地の肥沃化も導入目的の一つ。
★在来種を圧する生命力の故に毛嫌いする向きもある。
★間もなく、ニセアカシアの花が道路脇や山裾を白く彩るが、花から上質な蜂
蜜が採れる。貴重な蜜源植物である。(何故だか、ミツバチが激減し、蜂蜜や果物が値上がりしそう)
★堅い材質で、燃料材や屋外用の木工材として重宝だ。
★ニセでないアカシアは熱帯産で、日本には育たない。従って、♪アカシアの雨にうたれて~とか、♪ああ そうだよ あかしやの花がさいてる~などという歌詞は植物学的見地からは許されない、等々。
肝心の柴原山林のニセアカシアをどうするかはウヤムヤになった。
木を友に(更に、番外編)
エゾヤチネズミは殊の外ニセアカシアが好きなようで、ワオーの森では雪融けのあとに皮を剥かれたニセアカシアの白く細い稚樹が目立った。ネズミがニセアカシアをこれほど好むのであれば、植林地の幼木を食害から守るために餌木として残すのは如何か。
ちなみに、昨秋、みなさんに巻き付けていただいた「アスファルト紙」の効果は絶大で、巻き付けた部分は完璧にガード。
しかし、それ以外の部分は容赦なく食われてしまった。全体を覆わない限り実際的効果は望めないようだ。
山中林思
~東前 寛治氏によるコラム~
11【森に「子どもの村」をつくる(2)】
徳村彰さんは網走管内滝上町の森林に毎年4回にわたって、『子どもの村』を開設し、小学生を中心とした共同生活を営んできた。夏は7月20日から8月31日まで、秋は9月1日から20日まで、冬と春はそれぞれの休み期間中である。こうして『子どもの村』に学び森の生活を過ごした児童は02年度までに240人にも上るという。 『子どもの村』に来て何をするかは、子ども達が決めるという「子どもが主人公」の精神を徹底し、村の「核」として参加した中・高生が自主的・積極的に運営を行う。『逸脱有理』が時と共に無言のルールを必要とし、積年の体験者がリーダーとして集団を導いていく。
この村には電気がない。夜はローソクの灯だけ。電化製品は一切使えないので、飯を食べようと思えば薪を割ることから始めなければならない。自動食器洗いは小川の中。電話をかけたり買い物をしようとする子は、往復9㎞を歩いてこの付近で唯一のお店まで行かなければならない。
それでも、チロチロ燃える焚火を囲んで夜が更けるのを忘れて歌ったり、語り合っている子ども達、学校に行かないでTVゲームに夢中になっていた子が楽しそうに薪割に汗を流したり、一日中ドジョウ取りや魚釣りに熱中したり、ふだんはお寝坊なのに早朝のキノコ取りを楽しみに朝早く起こしに来る子、桑の実やヤマブドウを取りに木に登る子ども達…、このような森の中での暮らしが子ども達を癒し、育み、育てていくことを、かつて横浜での『ひまわり文庫』の頃の夏のキャンプから著者は学んでいったという。バンガローよりはテント、整ったテント村よりは本物の山がいいと、著者が子どもと共に自然に関わりながら気づいてきた結果なのだろう。
これは今日の自然と社会の荒廃の態様として、次代に生きる敏感な子ども達に現れた退行とも言える現象や、子どもばかりでなく大人の人間関係力の後退と自信の喪失、そんな諸々の課題に対する著者の生活をかけての提案と言えよう。とりわけ今日の教育の在り方を問うものであることは間違いない。学力向上を焦眉の課題とする状況にあっては、極めて厳しいものではあるが、次世代の教育を考える上で森の活用が有効で在りさえすれ、決して無用ではないと言える。
参考図書
徳村 彰『森に生きる』
雲母書房 2003年刊行
(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
林間独語
★ワオーの森・山風庵の戸口に、Oさんにいただいたマムシの「瓶詰め」を置いている。子どもはヘビが好きで興味津々。
「オジさんがとったの?」
「そうだよ」
「すごいね、オジさん」(それが聞きたかった)
「あれっ、シッポが2本あ
る!」
「あら~、2匹いたのか」
「エーッ、自分で入れたって言ったショ」
また一つ、信頼を失う
★一方、小屋を訪れる大人は大抵この瓶詰めに悲鳴を上げる。感覚は後天的・文化的概念だから、悲鳴を聞くたびに子どもは「ヘビは恐いもの」という感覚を作り上げていくだろう。ホントはマムシには毒があり、アオダイショウは温順で…と正しく教えるのが大人の役割なんだけど
★昨秋、子どもたちと植えた苗木のほとんどが野ネズミの食害にあった。こんな場合、今までは子どもを悲しませないようにと、内緒で植え替えておいたが、考えを改めた。この機会に、木を育てることの難しさも野ネズミの存在と生態も教えたい。ヒグマもスズメバチも、そしてヘビも、みんないてそれで豊かな自然なのだと知って欲しい。
この連休は、子どもたちと植林のやり直しだ。