森林人コラム

荒巻 義雄氏によるコラム「ムー大陸の夢」


第3回 彼らは太平洋を東へ渡ったかも…..

 アメリカ大陸へ人類が渡った時期は、一万二〇〇〇年前より後だと、長い間、考えられてきた。なぜかと言うと、ウルム氷期ではベーリング海は陸地だったが、その先、人類の行く手は、北米の大半を占める二つの巨大氷床で阻まれていたからである。
 だが、最近、より古い人類の遺跡がゾクゾクと見つかってきた。それで、一時期、流行ったのが、この二つの氷床の間に抜け道があったとする説。

 一方、今より何十メートルも海面が下がったために太平洋側の海岸が陸化、ここを南下したのではないかという説も有力である。
 しかし、約五万年つづいた最後の氷期の最中、たとえば、二万年前とか三万年前に、われら人類は、太平洋のど真ん中を南米大陸へ渡っていた可能性があるのだ。たとえば、オーストラリアで見つかった岸壁画とそっくり同じものが、南米で発見されているからだ。

コンティキ号

いかだ船・コンチキ号
(ノルウェー・オスロ コンティキ号博物館)

 だが、いったい、どうやって? 筆者は、今、〈仮説考古学〉で空想しているのだが、この海域は東→西の風(貿易風)が恒常的に吹く。たとえば、先年亡くなったトール・へィエルダールが実施した実験考古学では、あの有名なコンティキ号が、ペルーからツアモツ諸島への航海に成功している。
 彼が証明したかったのは、インカ文明の太平洋への伝播であった。たとえば、筆者も実見したイースター島の精密な石垣は、インカの技術でできたというわけである。
 だが、反対の風、西→東の風は、存在しないのだろうか。実はある。一九四五年に発見された赤道西風である。

 ウルム期の太平洋の気候は、今とはちがっていた。海面低下で陸化した仮想大陸ムー(ニューギニア・オーストラリア大陸)が存在していたころ、巨大な氷床が北半球に存在していたため、ヒマラヤの南麓の緯度~ニューギニアの緯度の範囲で、赤道西風が恒常的に吹いていたのだ。なぜ、それがわかるかというと、砂丘や山岳氷河の出来る斜面の方向を調べると、当時の風向きが推定できる。

 空想しよう、ロマンチックに! 太陽帝国のムー人が、西風を帆一杯に孕んで東太平洋の海原を突き進む光景を。われわれは、そのとき、太古の世界で起きたかもしれない一場面を幻視しているのである。

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