森林人通信

Vol.93 2015.2.1

森を見る力 森をつくる力 学習を深めて身につけたい

 ウッディーズにとってオフシーズンとなる12月から3月までは、次なる飛躍へ向け態勢を整える時期でもある。活動の跡を振り返り、行く手を見通す作業が役員会を中心に進められている。
すでにスタートし、定例化ている取り組みもある。森林ボランティア団体としてのレベルを向上させ、力を蓄えるための研修・「森林施業計画策定ワーキング」である。

「森林施業計画策定ワーキング」始まる

第1回目会場 エルプラザ

第2回目会場 はるか小屋

 ワーキングの目的は、森林の姿を科学的に「診断」でき、それに基づいて施業を進められる実力を身につける…ということにある。
 第1回は12月27日に開催された。暮れも押し詰まった最もせわしない時期に7名もの参加!
 その意欲が偲ばれようというものだ。
 講師は、会員で森林整備のプロでもあるKkさん。
 そして、第2回は1月24日、会場は再建なった「はるか小屋」である。参加者は前回の倍増近い12名である。森を知りたい、森づくりに貢献したいという熱意が本物のであることを感じさせる。
講師は、前回に引き続きKkさん。プロジェクター&スクリーンによる誠に分かりやすい解説である。
 ウッディーズの会員に様々な分野のスペシャリストがいてくれる幸せを、ここでもシミジミ実感する。
先ずは、森林の現況を把握するための各種資料の見方や森林調査手法などを机上で学習し、プログラムの最終課程では、現地に赴き森林調査を実施することにしている。
 数値化され図式化された各種資料に加え、林地図を貼り合わせた空中写真なども用意されて、日ごろ、闇雲に(?)歩き回っている山林を一目で俯瞰できる。鳥になったような気分で眺めていると、緑の下陰でチェーンソーを駆使して木を倒したり、伐倒した木を搬出する仲間たちの姿が浮かび上がってくるようだ。
 とにかく面白い。途中参加も歓迎される。

柱と梁を固定する伝統工法・鼻栓打ち

木の芳香に歓声

2回目のワーキング会場だった「はるか小屋」でのこと。参加者は入るなり、「ウワ〜ッ、感じ良いなぁ〜!」と歓声をあげる。「木の香がスゴい…」と息を深く吸い込む人もいる。「やっぱり、木の感触はイイねぇ〜」と、這いつくばって床を撫でるのはOsさん。自らが経営する「エコアパート」で、構造材には道産木材を100%使用し、暖房にはペレットストーブを採用するなど木材にこだわるOsさんらしい。
木と向き合い、木が大好きなウッディーズの面々とあれば、ひとしきり木造建築談義に花を咲かす。

第5回 北海道の森づくり交流会 「森の健康診断」で森を知ろう

矢森協の間伐実施、集材
矢森協 活動報告」から

 1月31日に開催されたコープ主催の交流会での、「森の仲間を増やそう〜誰もが参加したくなる森づくり」と題する示唆に富む講演に共感を覚えた。講師・丹羽健司氏は「矢作川水系森林ボランティア協議会(矢森協)を率いて10年。氏の提唱と指導により全国的な展開を見せている「木の駅」が面白い。例えば不揃いの林地残材や間伐材を買い取り、地域通貨「モリ券」で支払うというシステムである。「モリ券」は 地区内の流通に有効で、地元商店も活気づくという。

 講演の中で強調された、「植樹神話」を排して、森づくりで大事なことは木を伐ることだと心得よう、そして、「森の健康診断」により、森林の現況をしっかり把握しようというお話しには、正に「我が意を得たり」の思いがした。
講演に続いて行われた「団体アピールコンテスト(?)」で、ウッディーズは「木を伐ること」を活動の中心に据えてきて、今、「森の健康診断」=「森林調査」に取り掛かったところだ…と、1分間の制限時間で述べた。
 ウッディーズの活動内容が講演の趣旨にマッチしたと評価されたか、一等賞(?)をいただく!
 賞品は、昨年の交流会で商品開発コンテストの大賞に輝いた、苫東コモンズ・ 草苅さん考案の「撫でて安心、願いも叶う! 万能えくぼ」という木工品である。特に願うことは思いつかないが、撫でると、心が安らぐのは確かだ (^_^)
会終了後、丹羽講師と歓談。同氏から『森が元気に、人が元気に 仲間づくり10年のあゆみ』(「矢森協」10年誌)を頂き、激励される。

人と木のひととき 
~石原 亘によるコラム~

第6回【その木、どこの木】

 僕は現在、ごく大雑把な分類で言えば、「もやっとしていて、さえないサラリーマン」なる生き物として存在している。だがしかし、これは生まれた当初の予定とは全く違う。本来ならば、東大を首席で卒業した後、何らかの分野で世界第一人者になって、その何らかの分野でノーベル賞を受賞し、世界の少年少女の憧憬の的となるはずだった。それがどうしたことだろう、当初の予定とは全く違うことになっている。
 政策、特に林業政策の場面では、このように最初の想定と結果が大きくかけ離れてしまうことが多々あって、むしろ『そんなんばっかり』といった印象さえ受けるのであるが、最近その好例として「木材利用ポイント制度」が話題になっているので紹介しておきたい。
 この制度、簡単に言うと「日本の木をどんどん使って家を建てよう」というキャンペーンであり、新築時に使用した「国産材」の量に応じてポイント(木材利用ポイント)が付加され、最大30万円相当の対象商品と交換できる(また、商品交換以外にも、例えばデッキなどの追加工事に使用することも可能だ)。本制度は平成25年4月から開始され、1年限りの予定であったのだが、実際にはもう半年実施期間が延長された。なお、事業予算として410億円もの巨費が充てられた。

木材ポイント制度のキャッチコピー
「その木どこの木?」

 この制度、開始決定から実施までの期間が短く行政側も企業側も準備不足であったことや、針葉樹(スギやヒノキ、トドマツ、カラマツなど)に対象樹種が限定されていること(従って、国産であっても広葉樹の無垢材などは対象外)、いかんせん交換対象商品がなんとなくショボイことなど、さまざまな「ツッコミどころ」(つまり問題点)はあったものの、国産材の需要喚起という目的そのものはハッキリしていた。…ところが、である。実施後1年くらい経ったころに突如として、ポイント対象製品樹種に「ベイマツ」と「ホワイトウッド」が加わったのである。本制度のキャッチコピーは「その木、どこの木?」であったのだが、まったくもって「どこの木」なのか分からなくなってしまった。
これには様々な業界事情があるのだが、結局のところ、国産材の需要喚起ではなく、木造住宅の推奨政策へと、制度の目的がすっかり様変わりしてしまったのだ。
 木材利用ポイント制度が、日本の森づくりに貢献したのか否かの評価は後世に委ねるほかない。これにより少しでも木材産業全体に体力が与えられたのであれば、結果として国産材の利用促進に結びつく点もあるのだろうが、もう少し芯を持ったキャンペーンであってほしかった、というのが僕の本音である。

(いしはら わたる ウッディーズ会員)

(コラム「人と木のひととき」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

随想 冬のみちくさ  大竹啓之

今年の冬も雪が多かったですね。なにかと迷惑扱いされる雪ですが、わたしは子どものころから雪が大好きでした。
 小学校までは、子どもの足で30分くらいの距離。でも、その倍くらいの時間をかけて通っていた気がします。理由は「みちくさ」です。今では死語になってしまいましたが。
 特に、冬のみちくさは雪国の山村ならではのものでした。まずは雪玉。ただ歩いていても手持ちぶさたなので、とにかく常に雪玉を握って歩きます。北海道の雪とは違い、ギュッと握るとそのまま固まる湿り雪です。握った雪玉は電柱を狙って投げたり、ほかの子にぶつけたり。石のように固くなった雪玉はお互いにぶつけ合って固さを競い合ったり。
 手には雪玉を握りつつ、足のほうではまた別の遊び。側溝に雪を詰め込むのです。みんなで、これでもかこれでもかと雪を詰め込むと、それがダムになって水が溜まっていきます。まずそれが楽しい。そして、しばらくするとダム全体がゆっくりと動き出す。ダムはどんどん加速し、走ってそれを追いかけます。
 またあるときは、ダムが動き出さず、水が道路に溢れてきます。こうなると、棒でダムを突いたり、それでもだめなら足を水の中に突っ込んで雪を崩したり忙しくなります。いつの間にか長靴の中には雪や水が入り込んでたいへん。でも楽しい。足にはシモヤケが絶えません。
 2月の後半になると、天気も落ち着いて堅雪になってきます。そうなると、通学路が変わります。というか、どこでも通学路になります。まわりは田んぼなので、思い思いに自分の好きなルートを歩き、崖から飛び降ります。快晴の朝は雪の表面がまぶしくキラキラと輝き、木や枯草には霧氷がびっしりです。堅雪になりきらないモナカ雪のときにはズボズボと長靴がぬかり、やっぱり靴の中がぐちゃぐちゃ。シモヤケは治りません。
 水がちょっとした滝状になっているところや茅葺きの家の軒先ではツララ取り。だれのがいちばんりっぱか、剣になるか。途中で折れてしまうことが多く、完全なものはなかなか取れません。でも、透きとおって滑らかな感触は独特の神聖さを感じさせるものでした。こうした遊びは、マイナス20度からプラスまで一日の気温の変化が大きく、水の状態変化が激しい土地ならではの冬の楽しみでした。

(おおたけ ひろゆき ・会員 福島県南会津町出身)

森の本棚

葉っぱのフレディ - いのちの旅 –

(レオ・パスカーリア 作 みらい なな 訳 童話屋 発行)

 樹木の生態と生理が平易に詩的に描かれている僅か二十数ページの絵本である。
 巻頭の編集者メッセージに、「この絵本を (略) 子どもたちと 子どもの心をもった大人たちに贈ります。」とある。たしかに、読者は子どもであれ大人であれ、一枚の葉っぱに仮託された、生きとし生けるものの喜びと不安、出会いと別れ、そして、万物の流転という、深く大きなものを読み取るに違いない。

〝いのち〟というのは永遠に生きているのだ。
 冬が終わると春が来て、雪はとけ水になり 枯れ葉のフレディは その水にまじり 土に溶け込んで 木を育てる力になるのです。
〝いのち〟は土や根や木の中の 目には見えないところで 新しい葉っぱを生み出そうと準備をしています。大自然の設計図は 寸分の狂いもなく〝いのち〟を変化させつづけているのです。

物語は、
 春が過ぎて夏が来ました で始まり、
 また 春がめぐってきました と、輪廻転生を暗示して終わる。

森林人歌壇

 ゼロ番のホームがありし故郷の駅構内に人影まばら
 斜里岳の霞みて見ゆる空港のめぐり明るし小麦色付き

高橋 千賀

 夕ぐるる頃の寂しさ電線の上に浮かびて白き月見ゆ
 凍てし夜に電車待ちゐる人の群 無表情なりわれもしからん

原 公子

 在りし日の義母を偲んで
 同居せし四〇年余を思いつつ読経の声に手を合わせけり
 雪の散る朝の散策切り換えて日だまり残る林を歩く

中野 常明

木霊(こだま) 読者の便り

●「森林人通信」を毎回楽しく隅々まで読ませていただき、あたかも参加している気分でおります。ログハウス便り、ペレット・ストーブ…。はるか小屋は残念なことでしたが、新しくなり、これまた、喜びでしょう。皆さまのご健康とご活躍に少しでもあやかりたい…と思っています。(H・Mさん)

●昆虫学者(?)の方の写真はすごくきれいでしたね。我が家でも、昨年、子どもたちが拾ってきたアゲハ幼虫が真冬に羽化し部屋を飛んでおりました。今回の通信をみて、子供達も思い出し喜んでおりました。(K・Sさん)

●盆明けに島流し?されて、北見の工場で働いています(出向というやつ)。工場がフル稼働でバタバタしていましたが、冬になりようやく落ち着いてきました。(I・Wさん)

林間独語

▼雪晴れの森を歩く。背後に凹んだ足跡が残る。先人の足跡をたどるしか能のない身だから…というわけでもないが、ここでは未踏の地を行くような愉快な気分になる…子どもみたいに。やがて、あちこちに印されている様々な動物の足跡が目に入ってくる。

▼静かな眠りに就いているように見える冬の森だが、冬は雪上の痕跡が動物たちの旺盛な営みを想像させ、その気配を最も濃厚に感じられる季節である。昆虫たちも、森のあちこちで、寒さに耐えて、卵・幼虫・蛹・成虫のいずれかの姿で冬越しをしている。

▼植物もまた、冷気に耐え、雪に埋もれ、あるいは地中で、ゆっくりと命を育んでいる。冬期間に葉や花の形成を土中で終える植物もある。裸木の樹形や枝ぶりの美しさにも目が向く。開花へ展葉へ満を持している冬芽を見るのも冬ならではの楽しみだ。キタコブシやヤマザクラなどは葉芽と花芽が初心者にも容易に見分けられて楽しい。古人も「花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや」(藤原家隆)と、冬の自然へ誘(いざな)う。

▼それにしても、動植物の、厳しさを生き抜くしたたかさ、賢さには、ただ低頭するのみである。さすが、人間の先輩だけのことはある。(T.M)