森林人通信

Vol.58 2009.10.1

樹や野菜、稲だって栽培する
「根城」の建設も着々と-下山山林-

 ウッディーズ会員・下山さんの山林は、室蘭市香川町にある。山林と緩い傾斜の牧草跡地が広がるその小高い丘からは、木の間越しに噴火湾と駒ヶ岳が見える。
 ここには、山主の夢が一杯に溢れていた。

下山山林に建設中の小屋

 

20~21日 下山山林  
 この日、遙々と室蘭へ駆けつけたメンバーは10人。着いてみると、昨年は何も なかったところに建設中の立派な小屋があり、周辺にはブルドーザーやユンボなどの土 木機械が無造作に置かれ、建設現場という趣である。
 いつもは緑の天蓋(てんがい)のもとで行われる活動も、この日はどこまでも 青い空のもと。気持ちイイ。
 一班は「高床式」の小屋へ登る階段をつけ、他は草刈ということになる。
 「階段班」はユンボで穴を掘り支柱を埋め、桁を渡し段板を打ち付けて完成。 ユンボを操作する下山さんの楽しそうなこと! 棟梁役の真山さんは、2週間も「通勤」し、泊まりがけの時は朝飯前から日没 まで小屋づくりに奮闘したという。
 「草刈り班」は植樹苗木の下刈り、雑草と化した牧草と笹の刈り取りだが、伸 びきった牧草が機械にしつこく巻き付いて悪戦苦闘。
 日が落ちたら、お楽しみの宴会だ。鉄板や金網で焼いた肉や魚の旨味が口中を 満たし、各自持ち寄りの自慢の酒が腹に沁みる。
 弾む会話に耳を傾けながら目を上げると、朱に染まる空をバックに木々のシル エットが切り絵のよう。朱色から瑠璃色へ、更に墨を流したような真っ黒へと グラデーションしていく天空に星が瞬き始めた。ひとしきり星座の特定で賑わ う。
 急に静かになった―みんな夜の森へ探索に出かけたのだ。「ナイトウォーク」 と洒落て、漆黒の闇を懐中電灯も持たず歩くのだそう。ロマンを失わない人た ちだ。
 夜半、耳元近くで鹿の鳴き声を聞く。
 2日目は、小屋づくりと草刈りを継続したほか、水場へ降りる階段も整備し、 満ち足りて帰路についた。
 下山さんは、既に5種類30数本の果樹を植えたが、来年からは、ビニール・ト ンネルで野菜を栽培したり、水を引いて稲を育生したりする。孫さんを連れて きてそれを見せ、体験させるのも楽しみ、と言う。
 そんなことを聞けば、また手伝いたくなる。キャンプ気分もクセになったし…。

9月の他の活動
秋色忍び寄る森で 枝打ち・間伐・薪割りに快汗

5日 ワオーの森   18人参加

薪が積み込まれた薪置き場

 この日の作業は薪割り。
 山の斜面のあちこちに転がる伐倒材を、担いで降ろしたり、ロープを巻き付けて引きずり下ろしたり、果ては急斜面を放り投げたりと、全て手仕事だが次第に効率的な方法へ進化する。
 薪づくりは、チェーンソーや電動丸ノコで切る人、マサカリで割る人。出来上がった薪を小屋に運ぶ人、積み上げる人。狭いスペースを融通し合い、流れ作業が進む。大汗に快い涼風。
 みんな、燃えるものならなんでも貴重品だった時代を生きてきたから、樹皮も木っ端も丁寧にダンボールに詰める。売り物にはならないが、「使用価値」は「製品」と変わらない。
 有用なものもゴミにしてしまう現行の商品経済システム、ふと、その無駄さ加減を思う。
 スッキリした林床と積め込まれた薪を見て、仲間の有り難さをしみじみ感じる。

 

12日 柴原山林  8人参加

 ススキが銀色の穂を出し、木々の葉も黄ばんで、いつか秋が来ていた。
 前回に引き続く倒木処理。本格的な間伐や枝打ちに移行するのはもう少し先だ。
 この日から、明確な班編制による作業が始まった。真新しい「班長」の腕章が眩しい。

 

25日 荒巻山林   15人参加
 前回手を入れてから7年ぶりの荒巻山林。アカエゾマツは枝が相互に交錯して下枝は枯れ、日光は林床に届いていない。これは何とかしなけばと奮い立ち、薄暗い森に踏み入って、枝打ちと間伐に取りかかる。(荒巻山林の詳細は次号で)

森の時間

【分け入れば薄黄葉(うすもみじ)して夕木立】

薄黄葉の夕木立

 

写真:沓間洋子  撮影地:手稲山山麓

木を友に 

~中野 常明氏によるコラム~

24【カツラ】

カツラ

黄葉を始めたカツラ

 平地から山地の沢沿いや、やや湿った斜面に生える落葉樹。高さ20~30m、太さ1~2m、時には2~4mの巨木となる。北海道では中央部と西部に分布し、本州、四国、九州にも分布する。雌雄異株、樹皮は灰褐色で深く縦裂する。以前は、流れる水のそばでなければ育たないと言われ、街路、公園には植えられなかったが、最近では街の中でも目に付くようになった。

 カツラは日本の名木である。日本の特有種で英語でもカツラ・ツリーで通じる。中国にも近い種類があるようだが日本種とは異なる。中国の景勝地の「桂林」は、カツラとは関係ない。中国の「桂」は日本のキンモクセイのことで、「桂林」はキンモクセイの名所でもある。明治の始めに米国の植物学者サージェント教授が来道し札幌の円山、藻岩山の調査を行った。教授は、その著書「日本樹木誌」の1ページに藻岩山で撮ったカツラの大木の写真を載せ、藻岩山は樹木学的に見て世界の名山だと評価している。

 同教授が来道する前の1878年既に札幌から米国にカツラの種子が送られている。1896年にハドソン川河畔に植えられたカツラが現在でもあるという。まだ100年あまりなので巨木にはなっていないだろうが機会があったら見たいものだ。札幌では、円山の一角に残る天然記念物のカツラの一群が見事だ。開拓時代は、二抱え、三抱えもある大木が邪魔者扱いにされ切り倒された。古木は内部が腐りウロ状のものが多く輪切りにされて野天風呂の材料にされたという。十勝や大雪の山奥には、今でも立派な木が残っている。芽吹きの頃の薄紅と晩秋の明るい黄葉は大変美しく、ハート形の小振りの葉も可愛らしい。

 木材としても優れ、木目は直線的で節が少ないので、張り板、裁ち板などの長尺ものの材料にされた。丸木船の材料としても多用され、埋蔵物として出土する丸木船の大半がカツラ製である。苫小牧の博物館には、出土したカツラのすばらしい丸木船が展示されている。適度に軟らかく工作しやすいので、鎌倉彫を始を始め小細工ものによく使われる。カツラの葉は香がよいので、乾燥させて抹香の原料にする。アイヌの女性は、この樹皮を燃やした灰に水を加えて煮て、上澄み液をシャンプーとして使ったという。アイヌの男性は、この香についふらふらになり魂を抜かれたのではあるまいか。

参考図書
朝日新聞社 『北方植物園』
辻井達一『「日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫『「新版北海道樹木図鑑』 (亜璃西社)

筆者注 写真(上)は、9月27日、荒巻山林の作業を終え、同所を後にして直ぐ目にしたカツラ。車を降り、秋の陽を受けた黄葉の輝きにカメラを向けた。

(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵 

~春日 順雄氏によるコラム~

14【ハコベ(繁縷)】

コハコベの花

 お祭りで買ったヒナにハコベを食べさせたことがあった。英語はChickweed、ヒヨコの雑草、謂わば「ヒヨコグサ」である。
 至る所によくはびこる。繁縷は「よくはびこる」の意味である。
 写真(右)は、コハコベの花である。
 花びらは何枚でしょう。
 10枚に見えるが、5枚の花びらが深く裂けている。目立たせて虫を誘っているのである。あいにく虫の訪れが無い時は、雌しべと雄しべが近寄って自家受粉をする。
 茎頂に花をつける。花が終わって、もう伸びられないと思ったら、花の下から両側に2本の分枝を出して花をつける。これを繰り返すから、大きく繁茂する。
 ハコベは、踏まれにも強い。一見か弱く見える茎を引っ張って見ると、細い筋が現れる。柔らかい茎と丈夫な筋を併せ持つことで踏まれに強い仕組みになっているのである。畑に入ると、よくはびこるので嫌われる。取っても取っても新しい芽が出てくる。沢山の種子が土に埋まっているに違いない。草取りや耕しで土の表面が攪乱されると発芽条件が整い一気に出てくる。か弱そうに見えていて、強い強いハコベである。
 ハコベ属の属名はステラリア(Stellaria)、「星型の」の意。花びらの下の萼が五角形の綺麗な星形である。

(文・写真 春日順雄)

(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

木霊(こだま) 読者の便り

★ウッディーズの活動は、森林や自然の大切さはもちろん、「人と人とのつながり」や「感謝の気持ち」など、この頃は忙しさに紛れて忘れがちな大切なことをたくさん感じることができます。(Kさん)
★「森林人通信」が届くのを楽しみにしていますが、もう一月経ったのか、と思うようにもなりました。今回は「森の時間」の写真に思わず微笑んでしまいました。(Mさん)
★田嶋庭園の写真、きれいですね。水面の青と樹幹の陽光に照らされた淡い緑が木陰との対比でとても目を引きました。(Tさん)
★「班長制」が形骸化しないようにすることが大切だと思います。何事も初めから上手くいくはずはないので…。(Aさん)

森林人歌壇

膝にのせ幼の薄き爪を切る秋の夕べの光浴びつつ

原 公子

とど松の下を流るる瀬の音を聞きつつ一人朝湯に浸る

中野常明

長雨のやうやく止みてゆくりなく差す光(かげ)強したぢろぐほどに

高橋千賀

林間独語

▼4年前に廃車寸前の軽ミニバンを入手し重宝してきた。道具や生活用具、資材などをタップリ積める。維持費が安い。駐車スペースは猫の額ほど。

▼イイこと尽くめだから、錆びようが、穴があこうが気にしない。触ると穴が大きくなると言い訳して洗車もしない。やがて、ボディーに亀裂が広がって運転席からタイヤや路面が見えるようになり、山で駐車してるとヤブ蚊が我がもの顔で入っ  てきたり、足元に夕日が差し込んできたり。

▼こんな車、滅多にあるものではない。「見れ、見れ」と面白がって見せびらかしているうちはよかったが、車体がきしみ出し、ギー、ギーと音を発するに至っては笑っていられなくなった。

▼もはやこれまで。廃車常用者としては破格のン十万円を投じて買い換えた。美人営業ウーマンの色香に迷い、高い買い物をしちゃったかなと思わないでもないが、良いものは良い。何だかリッチな気分だ。

▼こんな風にトコトン乗りつぶしてこそ真のエコカーってものだ、と見得も切りたい。ン? エコカー減税の新車を買えない、引かれ者の小唄だ、ってか?