Vol.42 2008.5.1
森林の手入れを 楽しく 安全に !
‐新会員 研修を経てデビュー ‐
■4月の活動経過
「ウッディーズが目指すもの」と題して
語る河崎会長と
熱心に耳を傾ける新会員の皆さん
【4月6日】 札幌エルプラザで行われた研修に19人の新会員が参加した。
講師役の安部さんが自ら作成したテキスト「森の手入れガイド」に基づき、森林と林業、安全作業の基礎知識などについて講じ、道具や服装などの装備を手に説明した。「『林業は、代表的な3k(きつい、汚い、危険)産業』といわれるが、我々は『環境美化、感動、健康』の新3kをモットーに、安全で楽しい森づくりを」と諄々と説く講義。
受講者の一人から、「森林作業に精通しておられる方ならではの、素人新人への心配りのこもったお話は、感動的でした」との感想が寄せられた。
森づくりへの思い(新会員アンケートから)
「日本の山河が荒れていくのを心痛く思っていた」
「海に潜り磯焼けの海底を見るたびに森を活性化しなければと思っていた」
「木から癒しと勇気をもらっている。与えられるばかりでなく、何か役立つことをしたい」
「土砂崩れの事故がある度に、コンクリートではなく、木を植えて自然の力で防ぐことができないものかと、常々思っていたが、機会に関わるチャンスに巡り会えた」
「森づくりを通じて交流を広げたい」
などなど。様々な思いを込めてウッディーズへアプローチしたことが伺える。
さぁ、フィールドへ
なかなか切れてくれない。
「折角生きてきたのにゴメンナサイ」と…。
【4月12日】 研修会後最初の定例作業。新会員は8名が参加。「春は名のみの…」で、強い風が頬を刺し、時々、雪が吹き付ける最悪の気象条件だが、中野さんが伐倒の手順を示し、皆さんにも挑戦してもらうと、初めての体験に「面白い!」という歓声も出た。 午後からは自然観察。宮本さんがポケットやザックから写真や標本をマジックのように取り出して説明。植物の、生き残りをかけた精緻な仕掛けに感心。
【4月27日】 新会員の参加5名。「昨夜は、心配でまんじりともしなかった」と言う会田さん、「うまくいきました」と満足げな面持ち。
‐下山さん 経過良く退院‐
3月30日の作業中、「左下腿筋挫傷」を負って入院していた下山さんは4月26日に退院し、現在、リハビリ中。急斜面で伐倒木を持ち上げようとした、それだけが原因の負傷。「無理せずに…」という仲間への注意信号と受けとめよう。まずは、一日も早い全快を!
【キクザキイチゲ】
写真:沓間洋子(ワオーの森 08年4月)
雪のなごりのような白い花弁を広げ 冬の終わりと春の始まりを知らせる。たっぷりの光と温もりを独り占めして 仲間がドヤドヤとやってくるころには もう土に還っている。花影を幻に遺して ― スプリング エフェメラル
命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵
~春日 順雄氏によるコラム~
3【風媒花】
シラカンバの花が最盛期です。花粉を沢山飛ばしています。花粉アレルギーの人にとっては有り難くない存在です。カバノキ科の花芽の動きは早い。ケヤマハンノキは花の時期を終えました。ツノハシバミも終わりました。
花粉の運び役の虫たちの活動が不活発なこの時期、これらの木々は、花粉の運び役を風に求めました。まさに、風任せです。雄花は空高く茎頂にあり、穂状の形は花粉の空中散布に最適。気温が上がり、空気が乾燥するや、大量の花粉が空を舞う。「どんなに美しい花びらをつけても、どんなに美味しい蜜を用意しても、それらは、飾り物。一番肝心なのは、オシベとメシベです。」と、言わんばかりに、風媒花は、それらの虚飾を取り去った形をしています。
ハルニレやオヒョウも今が花盛り、雄しべの葯が群がるように梢について花粉を飛ばしています。盛夏に花をつけるトウモロコシやカモガヤ(牧草としての名称はオーチャードグラス)、オオアワガエリ(同じくチモシー)は風媒花です。花弁なし、蜜腺なし、虚飾なしです。
風任せで、ノーコントロールのようでありながら、シラカンバやウダイカンバ、ダケカンバなどは、それぞれに花粉を飛ばす時期にずれがあるそうです。花粉を届けるのに風任せでありながら、自分の種の純潔を守るために花粉を飛ばす時期を違えるという戦術を持つなど、自然は、味なことをするものです。
(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
13【サクラ】
本州のサクラはソメイヨシノが多いが、寒さと病菌に弱く道内では数が少ない。ソメイヨシノは、葉より先に花を出すエドヒガンと大きい花びらが特徴の花を咲かせるオオシマザクラという二つの品種を交配して生まれた。東京の「植木の里」と呼ばれる「染井」(現在の豊島区駒込・巣鴨)で出来たと言われている。こうして生まれた「大きな花びらの豪華な花が、葉に先駆けて咲く」という優れた性質のまま数を増やすのに挿し木という方法がとられた。(他種の花粉のみで結実し、その種から出来た子は親と異なる性質を持つ故)★道内のサクラは、殆どがエゾヤマザクラ(=オオヤマザクラ)である。色が濃く花が咲くと同時に葉が出てくるのが、ソメイと違う点である。エゾヤマザクラより遅れて八重桜が咲くがこれはサトザクラと呼ばれる。さくらんぼもサクラの仲間でセイヨウミザクラというのが学名である。道内でも道東、道北では寒さが厳しくミネザクラ、チシマザクラ(=エトロフザクラ)など耐寒性が強く小柄のサクラが多くなる。
道内には桜の名所が沢山ある。中でも道南の松前と日高の静内の桜は全国的にも有名である。松前が有名になったのは「松前の桜爺さん」こと鎌倉兼介さんのお陰である。同氏は、大正の初めから松前城跡を中心に約80種、3万本の桜を植えてきた。これらが4月下旬から6月初めまで咲き続けあでやかな花を競い合う。また同氏の遺志を引き継いで桜育成組織が結成され、将来も心配なさそうである。
静内の桜は、旧御料牧場の中央を走る二十間道路(約40m幅)の両側に長さ6㎞以上も続く並木である。背後に常緑のトドマツが植えられているので、桜が鮮やかに浮かび上がって見事である。かつては、馬車の上から悠然とお花見をしたらしい。如何にも北海道らしい風景である
エゾヤマザクラは、花が終わると小豆粒ほどの赤い実を付け熟すと黒くなり、軟らかくなる。食べると苦みのある甘い汁が出るので、唇を紫色にして食べたものである。また女の子を中心に、桜のヤニを親指と人差し指で挟み唾で濡らして糸を引かせ、もう一方の手の小指に巻き付ける遊びがあった。今から考えるとつまらない遊びと思うが、当時の子供達は、結構夢中になって遊んでいた。
ワオーの森で道内では珍しいシウリザクラを発見した。山地に生えて高さは20mに達し10~15㎝の総花序に径5~9㎜の白い花を付ける。エゾヤマザクラのように見栄えがしないので、イヌザクラ類として一段下の桜と見られているようだ。シウリは、アイヌ語のシウ・ニあるいはシウリ・ニ(苦い・木)に由来しているらしい。「ワオーの森」には直径10㎝ほどの成木2本が見つかっているが、残念ながら一本は既に頭を切られていた。しかし、周りには自然に生えた実生苗が沢山見つかり、地主の高川さんは、それらを近くに移植して増殖をはかっている。「ワオーの森」は、将来、珍しいヒメアオキ、シウリザクラの見られる森として有名になるかも知れない。
【参考図書】
・辻井達一「日本の樹木」(中公新書 1995)佐藤孝夫「新版北海道樹木図鑑」(亜璃西社 2002)
・朝日新聞社編「北方植物園」(朝日新聞社 1968)
・田中 修「ふしぎの植物学」(中公新書 2004)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
山中林思
~東前 寛治氏によるコラム~
3【森林と人間との関わり】
前回まで森をどう思ってきたか…という「森に入る意識」を、文学作品を通して取り扱ってきた。そこには作者の創造性と主観性に基づき、直截に森に入る意図が示されるからである。以上をプロローグとして今回からは、森が実際にどのように扱われてきたか、歴史的・社会的な流れの中で見て行くことにしよう。そのことによって人間の思いと現実との関わり、いわば人間の思いを事実を通して検証することになる。更に言うなら私たちが森に入る気持ちを反省する、あるいは照射する事になるだろう。
自然はいつでも人間の生活とかけはなれた、異空間に存在するものではない。人間がどんな働きかけを積み上げてきたか、今回は縄文時代の三内丸山遺跡から、考えてみよう。三内丸山遺跡は、青森県にある巨大な縄文遺跡で、今から5500年~4000年前に縄文人およそ500人が、1500年にわたって生活した集落跡である。こうした縄文人の生活を可能にした訳は何であっただろうか。
「三内丸山集落の背後には、八甲田に続く落葉広葉樹の森林が広がっていたという。こうして集落ができる以前のこのあたり一帯は、ブナ林を中心とした落葉広葉樹林であった。ところが約六千年前に、森林から草原へと植生が大きく変化した。残った樹木もブナからクリやナラ、ドングリへと変化していった。その理由として火をつけるなどの人為的なインパクトがあったと考えられている。そこに人間が入る。あるいは住み始めると集落周辺の森林は減少し、土地の乾燥化が進んだ。そしてクリの木が増え始める。これは遺跡から出てくる花粉化石の八割以上がクリであり、縄文人が意図的に人為的なクリ林を作って維持管理していたことを意味している。通常自然界ではクリ林の純林はまれで、ドングリやトチなどのいろいろな樹木で構成されている。」
三内丸山の縄文人がいかに周囲の山林に働きかけてきたか…ということがわかると思う。クリ林にするために、伐採・採取・育苗・植樹・下草刈…と、森林を集団で管理し食料の確保に努めたことであろう。「それは、有用植物の管理栽培にほかならない。」 その結果として約1500年にわたる、縄文人の定住生活が保障されたのである。縄文時代とはいえ、決してそこにあるだけの採取経済がすべてではない、顕著な事例である。三内丸山の人々の森を見る目は、私たち現代人が田畑を見る目、あるいはスーパーで今晩の惣菜を物色する目と、何一つ変わらないのでは…と考えてみると楽しいのではないだろうか。
結びとして、森林は人間の生活との関わりの中で変化してきた。そして、森林を見るとその周囲に住む人々の生活もまた読みとれる? 少なくともその森林の歩みを読みとることができるのではないか。一個の化石から、大地の変動が読みとれるように。
【参考図書】
・『日本の時代史1 倭国誕生』(吉川弘文館)
・有岡利幸『ものと人間の文化史 里山1』(法政大学出版会)
・岡村道雄『日本の歴史01 縄文の生活誌』(講談社)
(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
余録
★この春は、コブシの花付きは悪いし、サクラの開花がバカに早いし何だかおかしい。以下、中野さんの「木を友に」の端(はし)書きから。「今年は温暖化の影響を受けてか例年より1~2週間早まっているが、道内では例年だと、五月初旬に道南で花見ができ、道北では連休明けになる。通常サクラより一足早くキタコブシと黄色のレンギョウが咲き、急かされるようにサクラがピンクの色を混ぜ、梅はサクラに遅れて咲く。白一色の冬が過ぎ、待ちかねた色と光が北国にあふれ出す」 そう、異常気象であれ何であれ、「待ちかねた」春に心の浮き立ちを抑えかねる
★「森の時間」の沓間さんは小樽市桂岡在住のアマチュアカメラマン。草花や野鳥などを被写体に、ファインダーを通して自然に目を向けている方である。数年前、我が山林でご夫婦で撮影されているのを見て「ここに写真に撮るようなものがあるんですか」とお声をかけたことがあったが、最近、久し振りにお会いし、「作品を『森林人通信』に掲載させて欲しい」と厚かましくお願いした。
★私たちは、多くはない時間を費消して一生を送るのだが、森で働く時間は失う時間ではなく木々に蓄積される時間だ、と思うことがある。多くの新会員をお迎えした。皆さんと共に木々と向き合い、失われることなく循環する「森の時間」に身を委ねたい(高川)