Vol.97 2015.10.1
今年の作業 ホームストレッチへ
森の秋を 安全に駆け抜けよう!!
すっかり涼しくなって、山作業に快適な時期になった。全国で、そして、道内で「これまでに経験したことのないような大雨」に見舞われ…と、ここまで書いて、ふと、昨年の10月の「森林人通信」を取り出してみたら、殆ど同じ文言が記されていた(笑)
「異常気象」が異常に感じられなく事態を深刻に受け止めたい。
「年初計画通りに作業は終盤へと向かう。」とあって、それは本年も同じだが、一つ違うのは、本年は終盤になってテレビ取材の申し込みがあったこと。(次項参照)
それなりに注目されているのかなぁと改めて思う。だから、というわけではないが、社会からの視線も意識して活動の質や意識を高めていきたい。
ウッディーズ テレビに 10月17日撮影 24日放映
ウッディーズの活動の様子がSTVテレビで放映されることになった。
●番組名:「札幌ふるさと再発見」
●放送予定:10月24日(土)午前11時54分
●取 材:10月17日(土)の高川山林での作業風景。
取材のために特別のメニューを用意することはせず、通常の作業となる。
会員の皆さんも普段通りにご参加を!
8〜9月の活動概要
柴原山林(札幌市南区)
8月1日 参加者8人
山主・出倉さんの祖父・柴原茂松さんが生涯かけて丹精された山林である。柴原さんは04年の18号台風の凄まじい爪痕に心を痛めつつ、99歳で亡くなられた。
09年から倒木の処理、間伐、植樹、道づくりなどのお手伝いをしているが、ボランティアによる施業のあり方を我々自身が検証できる山林ともなっている。
荒巻山林(札幌市南区)
8月8・23日 延べ22人 +体験参加者4名
林道の草刈りを延々と行う。池周辺の雑草・雑木を整理し、チェーンソーによる枝打ちという荒技も駆使して作業を終わってみれば、気持ちの良い空間が生まれていた。
作家である山主が、ご自身の著書に「森を愛し、森を畏怖する心を、われわれ現代人は、もっと回復しなければならない」と記している。その思いが我々に乗り移ってくる山林である。
下山山林(室蘭市香川町)
8月29・30日 参加者 延べ 22名
ウッディーズが年に一度、泊まりがけの作業を行う山林である。行き帰りの長距離運転が少々しんどいが、月が照り、星が瞬く夜空の下での飲み食い、歓談の楽しさでお釣りが来る。
もちろん、会のあり方についても真剣な議論が交わされる。翌朝になると、あらかた記憶していないところが難点ではある。
高川山林(小樽市桂岡町)
9月12日 参加者 12名
遊歩道づくりに利用する資材の荷揚げと加工。土留めの杭丸太を固定する鉄筋の切断と曲げ、という慣れない作業に汗を流す。
この日の体験参加者Sさんに手ノコでの伐木を体験してもらう。
山林調査
9月19日 参加者5名
山林標準地調査の手法を習得するために前年末から実施している調査活動である。ウッディーズの主要フィールドの一つである高川山林でおこなっているが、調査が終了すると同山林の姿が数値的に明らになる。
山林を「見る目」を養うためには他にない貴重な活動である。
幾分かは薪の材料として持ち帰られた。
田嶋山林(札幌市南区)
9月28日 参加者 11名
伐倒木の整理と草刈り。薪とキノコのご褒美が付いた。
*各活動日の詳細は、ブログ「活動の記録」参照。
体験参加者を迎える喜び
会員つながりで、あるいは、ホームページを通じて、体験参加者が続いた。最終的には入会に至らなくても、一日、森づくりに関わることで森林に親しみを感じていただだけるとしたら、それはそれで良し…としたい。それが小さな子どもを伴った家族ぐるみとなれば、迎える側としても微笑ましく嬉しい限りである。
ましてや、「みなさんの大らかな雰囲気がとても居心地が良く、ぜひまた参加したいです。その時は三千円(会費)を握りしめて行きます」などというメールを返されたりしたら、もう嬉しくて、バンザーイ!である。
CuP of Tea(カップ オブ ティー)
〜菊地 憲浩氏によるコラム〜
その1
「人生に無駄はない」とはよく耳にするが、本当だろうか? 私の人生、無駄だらけ。ならば、「無駄な人生を歩むことで人生が豊かになる」と慰めてくれた方が気が楽だ。「無駄を楽しむ心の余裕を持つ人となれ」と励まされる。
会報の原稿を書き始めて、見合うような動植物や森林の知識がないことに気づく。困ったぞと悩んだが、あるのは無駄な人生の積み重ねなので、その断片を紹介することにした。読み流す程度に楽しんで頂ければ、と思いつつ筆を進める。
間伐ボランティア札幌ウッディーズに入って、あっという間に四年が経った。切っ掛けは薪集めのためだが、最初の一歩は、マシンカットのログハウスに住むことになったことだ。家を建てる時に右往左往して行き着いた先がログハウスだった。「別荘じゃないんだから」と妻には反対されたが、その反対を静か(?)に押し切って建ててしまった。後戻り不可。
ログハウスの課題は暖房効率だ。壁面が全てログなので、まずログ壁に熱を蓄積してから部屋の空気を温める。部屋を早く温めるには熱量の高い暖房器で一気に熱を蓄える必要があるので、薪ストーブの設置となった。一度熱が蓄えられるとその熱を徐々に放出するので、部屋の空気は冷め難くなる。寝る前にストーブの火を消しても朝まで部屋はほんのりと暖かく、寒くて布団から出られない朝を迎えることはなくなった。
私にとっては画期的な出来事なので「どうだ!凄いだろ」と自慢したくなるのだが、今時の高気密住宅では24時間暖房なので「そんなの当たり前じゃん」と軽くあしらわれてしまう。一日中家の中が同じ温度で温かく快適で、温度管理もダイヤル一つ回すだけという手軽さ…。むむむ。
暖かな冬を過ごすためには大量の薪が必要になった。薪の調達は思う以上に難しく、生活を変えるほど大きな課題となる。買うとなると高額出費になるし、自分で集めるにしても容易ではない。暖房なしで冬は越せないので諦めるわけにも行かない。どん詰まりだった。
そんな時に、会の存在を知った。間伐しているなら薪くらい簡単に集まるんじゃないか?と安易な思い込みから活動に参加することになった。結論から言うと、そんなに簡単なものではなかった。ただ、薪は集まらなくても個性豊かな仲間たちと接し、それなりに楽しい時間を過ごしている。
「ギリギリギリギリ・・・(薪)ギリギリ」。庭の片隅で鳴くキリギリスの力ない声を聞いて我に返る。冬も近いし、真面目に集めよう・・・。
(きくち・のりひろ 会員)
* 注 表題の意味は「一杯の紅茶」。イギリスの言い回しで、好きなもの、お気に入りなどの意味でよく使われる。勝手に好きなことを書くので、これがいいかな ? …と。 (菊地)
樹木、その不可思議なもの (シラカバの巻) 高川 勝
「シラカバの樹皮が欲しい」という、シラカバ工芸作家・Fさんとの出会いが物語の始まりだ。
シラカバ細工って、どんなものだろう? 秋田・角館の樺細工は有名だが、それはサクラの樹皮の加工であり、シラカバではない。高川山林・ワオーの森での作業日、お持ちいただいた幾つかの作品に「こんなに美しいものができるの!」と驚いた。
剥かれた部分がどう変わっていくのか、興味津々
シラカバの樹皮をフィンランドから取り寄せたこともあるなど苦労話を伺い、これは協力し甲斐があると勇んでシラカバの木へとご案内した。Fさんが慣れた手付きで皮を剥き取るが、結局、細工には適しないという。
樹木は開葉が始まって蒸散が盛んになると、上方への吸水圧が高まると共に木部の道管に水が少なくなるが、そのために樹皮を剥離することが難しくなるようだ。来年の適期へ向けて準備を整え再挑戦する、ということにする。
樹皮をグルリと剥いてしまうと、同化産物が下方に行かなくなるので木は程なく枯死するが、外樹皮だけの剥離なら樹木の成長には影響しない。(図の「C 成木樹幹」を参照)
シラカバの皮は、そのしなやかさの故に北方圏のフィンランドやシベリアでは篭(かご)や蓋付き容器など様々な形で利用されているという。北米の先住民はカヌーまで作っていたとも。日本でも、「ガンビ」と称して着火剤として重宝されたが、それも今は昔となった。シラカバの木自体は、近年、サクラやナラの代わりに床材として使われるようになっているらしい。
Fさんの作品
「小さなくつ」
Fさんは、シラカバへの思いを自らのホームページに書いている。
「白樺の樹皮が価値ある資源として活かされる日はいつか来るのかな。どうしていったらいいのかまだ分からないけれど、何かを変えていくこと出来ないかなと思います。森とともに生き、森林に造詣の深い方々とご縁をいただくことができました。私ももっと意識を向けて森のことを勉強し、森と関わっていこう(略)。」と。
そして、Fさんはウッディーズに仲間入りをする。Fさんが、柴原山林に見えられた際の模様は、以下に。
森の本棚
木を植えた男(あすなろ書房)
ジャン・ジオノ 著
フレデリック・パック 絵 寺岡 襄 訳
南フランス・プロバンス地方で、一人息子と妻を失い世間から身をひいた五十男が、独り木を植え続けた物語である。(以下、「 」内は、本文から)。
「海抜1300メートルほどの山深いそのあたりは、どこまでいっても草木はまばら、生えるはわずかに野生のラベンダーばかりという、まったくの荒れ地だった。天空に近い高地ゆえ、陽射しは身を焦がすほどに
降りそそぎ、強風は身を倒すほどに吹きすさぶ。」
そんな不毛の地に、老人はただ黙々と木を植え続けた。第一次世界大戦前から第二次世界大戦中、そう、世界中で無慮無数の命が奪い奪われた三十有余年間を、ただひたすら植え続けた。 その結果、かつての不毛の地は
「すっかり変わっていた。空気までが変わっていた。かつてわたしにおそいかかった、ほこりまみれの疾風のかわりに、甘い香りのそよ風が、あたりをやわらかくつつんでいた。」
「山の方からは、水のせせらぎにも似た音が聞こえてきたが、それは森からそよぎくる、木々のざわめく声だった。命の息吹は、地中からほとばしりでていた。」
「古くからある源の水が森のたくみな調節によって雨や雪どけ水をほどよく加え、とうとうとした流れとなった。」
そこに一万を超える人たちが移り住んできて、和やかに生活を楽しんでいる。
主人公の老人が「目にまぶしいほどの頑健さ」を保ち得たのは、「平和な規則正しい労働。高原の澄み切った空気。そして魂の清浄さ」の故であるとする。
そして、作家・新井満は、人生の第四コーナーをいかに生きるべきか? そういうことを考える上で、この物語は大きなヒントになる、と評している。
ウッディーズの、人生の第四コーナーに差し掛かった、或いは、とうに回ってしまったご同輩に申し上げたい。「魂の清浄さ」はともかく、「平和な規則正しい労働。高原の澄み切った空気」とは我らも手中にできるではないか? この書をウッディーズのバイブルと定めて精進しよう!
前号への 読者の感想
★長田弘『人はかつて樹だった』、読んでみようと思いました。大竹さんの写真のお弁当がとっても美味しそうで感動。石原さんの「ボードゲーム」にもチョット気を惹かれました。(K・Kさん)
★エゾタンポポ、見てみたい!(F・Nさん)
★『人はかつて樹だった』、いい詩集ですよね。「むかし、私たちは」は、一読、「粛然」という言葉が浮かびました。『長田弘全詩集』買いました。(T・Yさん)
林間独語
▼ 落ち葉が風に舞う季節になったが、過ぎた夏、戦後70年という歴史の節目に、メディアは戦争と平和をテーマとする多くの番組や記事を連打した。どれもが戦争は人間の尊厳と生命を徹底的に破壊するものだと訴えて止まない。
▼ 生命の破壊は人間にとどまらない。軍用に徴用された300万頭に及ぶ馬は、ただの一頭も帰還することはなかった。軍用犬もまたそうである。そして、ペット犬までもが「供出」を強要され兵士の防寒着、靴、手袋となる。樹木も例外ではない。寺社や墓地、屋敷や並木の木々までが「献木」を求められた。木造船の建造のためである。
▼ このなつはまた、一方で戦後70年の歩みをチャラにするような「安保(戦争)法案」が持ち出された夏でもあった。結局はごり押しされたが、国会周辺と全国各地で若者たち、ママたち、年配者、知識人による反対デモが繰り広げられた。60年安保世代としては、往時とは異なる彼等の美しくリズミカルな自己表現に驚いた。心を打つ確かな言葉と明確な展望が、事態はこのままでは終わらないだろうと予感させる。
▼ それを済んだことにしようとする意図が見え見えの「一億総活躍社会」なるラッパが吹かれた。すでに「一億○○」と戦争を煽った戦前のノリで不気味だが、こちらの言葉そのものは限りなく薄っぺらで軽い。風に舞い街路を吹き飛ぶ、落ち葉のように。(T.M)