Vol.80 2012.12.1
広がる仲間の輪 確かな歩みで前へ
白いものに覆われた森を風が吹き渡る。音もなく、或いは梢を鳴らして。時折、小鳥が鳴き交わし、静けさを引き立てる。ここはつい先日まで、ウッディーズの作業現場だった。警戒を促すホイッスルが鋭く響き、倒された木が音を立てて大地を打ち、仲間たちの元気な声が飛びかっていた。
札幌ウッディーズは、多くの新しい会員を迎える喜びの中で2012年の活動を元気に無事故で終えた。暫しチェーンソーを措くこの機に、これまでの活動を振り返り、これから進むべき道を探りたい。
活動記録
※各活動日の詳細は、「ブログ 活動の記録」を参照〈10~11月 延べ参加者214人〉
急斜面での作業。両日とも大量のキノコというご褒美。
取り組みに至る経緯、作業内容などは別項を参照。
「木と森」をアピールギコ、ギコ…ぎこちないが。
ヒノキの香りが素敵ですよ~!
私たちの活動はですね~
サケ、獲ったど~!
44団体が道庁赤レンガ庁舎前の広場に集まり、各種イベントや展示などで市民や観光客に森林の大切さなどを訴える。
ウッディーズの売りは定番の「ノコ切り体験」。
希望者が、用意されている直径10㎝ほどの丸太のなかから好きな樹種を選んで輪切りする。子どもからお年寄りまでが引きも切らず、真剣な面持ちで切る。見事に切りおおせたものを「コースターにする」などと言って大事そうに持ち帰っていった。
北大グループのヒノキチップも、その芳香が好評で、完売。もちろん、作業風景の写真パネルや山仕事で使う道具類を展示して、日頃の活動を知ってもらうことにも努めた。
ウッディーズのブースの隣がサケの「つかみ獲り」コーナー。オバさん挑戦者が結構多いが、サケだって死にものぐるい。大きないけすを必死に逃げ回る。「今晩のおかずに…」(?)という一念だけではなかなか捕まらない。「私なら…」と我がK子さんが挑戦、見事にキャッチ。若いI君とTu君が「俺たちも」と続き、首尾良く捕まえる。獲物はトバに加工して、忘年会のテーブルを賑わしたやろうということに。
荒巻山林に関わって11年目。09年以降は、毎年間伐を実施している。身の丈を僅かに超える程度だったアカエゾマツが格段に高く太くなった。ここでは、我が子の成長を見守る親のような気分になっている。
「体験参加」のMoさんが28日、Hiさんが3日、それぞれ入会を決意された。
降雨のため、林内散策に切り替え。雨に濡れて輝きを増す紅や黄色の落ち葉が得も言われぬ風情を醸す。
09年から始まった講習会である。これまで、10人ほどだった受講者が今回はなんと19人!
講師は、初回からお世話になっているスチール社の五十嵐さん。草刈り機やチェーンソーを分解しながら、優しい滑らかな語り口で要領良く説明してくれる。わかる、わかる、よく分かる!
調整万全の愛機で来季も楽しい作業が出来そうだ。
スキー場の存続を後押ししたくて
「オーンズ・スキー場」(小樽市)で伐採作業
「企業林」に関わることに慎重な札幌ウッディーズがこの作業を引き受けたについては次の経緯がある。
昨年、このスキー場はそれまでの経営会社が突然の表明で撤退してしまった。存続が危ぶまれるなか兵庫県の会社が名乗りを上げたが、その裏には、スキー場の存続を強く願う地元住民やスキー愛好者など様々な人々の思いがあったようだ。ウッディーズ副会長・Oさんも存続を求める署名を集めた一人だ。
ウッディーズとしては、ハードな作業で、その上、短時日の「突貫工事」というかなり厳しい条件でもあったが、「地域貢献」の観点から後押しを決めた。
平日中心の活動なのでリタイア組が主力だったが、仕事を休んで参加する現役世代のメンバーも。
樹高20mを優に超え、直径40㎝ほどもある大径木が地響きを立てて倒れる様は壮観だ。枝を払い、規定の寸法に玉切りした原木をユンボで集積場所(土場)
まで運ぶ。ユンボのオペレーターはS会長、大トビ一丁で原木を巧みに積み上げるのはMさんという息のあったSM(?)コンビ。
倒した木は大小合わせて約130本。草刈りなどの下準備から最後の材積(丸太の体積)確認作業まで実質3週間におよび、延べ107(実人員21)人が参加した。雨や風に見舞われる日も多く、過酷な条件下での作業だった。
エスペラント日本大会でウッディーズの活動を紹介
中野 常明
緑の言葉で緑を語ろう
去る十月八日のエスペラント日本大会(札幌)で、エスペラント会員でもある中野が、事務局の要請によりウッディーズの活動を紹介した。
今回の大会テーマは「緑の言葉(エスペラント語)で緑を語ろう」。それに関した講演やビデオ紹介があり、講演では元北大苫小牧演習林々長・石城謙吉氏の「人と自然との共存の歴史」があり、ビデオ紹介は、数年前にNHKのプロジェクトXで取り上げられた「よみがえれ、えりもの森」であった。海岸の森を皆伐して昆布や魚が育たなくなり、失った森を30年かけて甦らせて豊穣の海を取り戻した話である。
シマフクロウ、時計台、旧開拓使庁舎、
クラーク博士をあしらった
大会シンボルマーク
開会式のパフォーマンス
アイヌ民族の唄と踊り
その後に我がウッディーズの活動を紹介した。資料は、3年前に助成金をいただいた秋山財団での活動報告会に使ったCDである。
CDは主に田中前事務局長と会員の西村さんが作成し、助成金担当の中野が報告者だった。会の目的や今後の活動方針などは文字による説明だったが、施業活動は写真を映像化したものである。
秋山での報告会が終われば再びCDを利用する機会はないと考え、発表者の中野が保管していた。今回たまたま、その中野にウッディーズの活動紹介の依頼があり、再びCDを利用することになった。このCDは、作成者など一部を除き他の会員は見ていない。個人が保管しておいても利用の機会が少ないので、今後は事務局に保管してもらうようにお願いしてある。利用の依頼があれば貸し出したり、ホームページにアップして誰もが見られるようにしたらどうかと考える。
講演の反響はあまりないが、顔見知りの数人は、「大変よかった」とお世辞を言ってくれた。函館在住のエスペラント会員は、「保育園児が、自分の植えた苗木が野ねずみに皮を食べられて、白骨化したのを見て号泣した」という話に感動した、と便りをよこした。
エスペランと私
ところで、エスペラントと私の関わりは単なる偶然である。現役引退をした平成9年(61歳)、居住地から近いところで外国人講師による(無料の)エスペラント初心者講習会があると新聞で知り、野次馬根性で早速受講をした。
エスペラントは、人間が考案した人工の国際語であることは知っていたが、内容については全く知らなかった。受講して、英語に比べて 文法が大変易しくてすぐにマスターできると思えた。単語もヨーロッパで使われている英、独、仏、露語などからとったものが多いので憶え易すかった。また札幌には、札幌エスペラント会という組織があり定期的に勉強会を開いていることもわかり早速入会した。近くの地方大会から世界大会まで毎年一回の大会を開き、世界中のエスペラント仲間が交流していることもわかった。
易しいと考え「六十の手習い」で始めたが、懸命に勉強しなければ、自由に会話ができるようにはならない。暇を見つけて今も勉強中である。
子どもたちの歓声飛び交う、秋色 ワオーの森を歩く
高原 久美子
熊出没の看板を横目に見て階段を登る。今日は久しぶりのワオーの森へ。高川さんの案内で往きは新しく拓かれたルートを行く。
大小の伐採木が横たわっている急な斜面になんとか足場を確保してくれる。スリル満点だ。スックと立つ殻付きオオウバユリに見とれ、笹の根に足をとられ登る登る。高川さんは残っている笹を切ったり、邪魔な枯れ木を除けながら忙しく進んでいく。子どもたちの声が聞こえてきた。「頂上」が近いらしい。
「高川オジさーん、熊サン、いなかったよ~」と賑やかに迎えられる。
子どもたちが山に入る前に、オジさんが万一熊と遭遇したときの心得を話していたからだという。
トランポリンのような遊具が地面にくっついてしまい、「遊べな~い!」という子どもたちの訴えに、早速修理に取りかかる高川オジさん。他の自然木利用の手づくり大型遊具も点検し、危険箇所を見つけると腰の「七つ道具」で次々と直していくのも手慣れたもの。子どもたちとの会話も楽しい。
それにしても、この子たちの運動能力、活動量には脱帽だ。2~3歳児でも、たっぷり遊んでから山を降り、かもめ保育園まで2キロ以上の道を歩いて帰るという。お弁当の入った大きなリュックを背負って、「さようなら~」と元気に降りて行った。
春にはシラネアオイ、スミレ、マイヅルソウ、ヒトリシズカの咲いた道に今はドングリがコロコロと豊作だ。熊も冬ごもりに無事入れるのでは…。
帰りは、いつもの道。笹が刈り取られ木々もスッキリとして全体的に明るい。ユキザサの赤い実が美しい。黄葉の木々の木漏れ日には息を飲む。ルート沿いの笹は夏の暑いに時ウッディーズの作業が何日もあって、その時に刈ってもらったのだそうだ。正に汗の結晶だ。
遠くに見える桐の木に大量の穂先(?)がついているのにビックリ。手ぶらで歩かない高川さんは太い丸太を担ぎ、片手にも木を引きずっていく。
小屋に戻った。葉も実も真っ赤に色づいたニシキギは、今夏仲間が植えていってくれたものだという。
あたりを見上げると、草地になっている斜面に気がついた。上から転がったら、さぞ楽しいだろうなぁ…と、これは思うだけ (笑)
快晴の青空と色づき始めた山々、そして、石狩の海。大満足のワオーの森散策だった。
林間独語
▼本格的な薪ストーブのシーズンが到来した。暗いうちに起き出してストーブに火を焚く。それが最初の日課…、と言うよりは楽しみだ。立ち上がる炎に魅せられてその場を離れられなくなる。先日、ホームセンターで売られている薪を目にしてから、今までと少し違う思いで炎を眺めている。
▼一束30㎝くらいの薪に650円の値札が貼られていた。我が家でそれを焚くとしたら一日に7~8束くらいかな…、一冬分でいくらになるかというと…、いや、そんな薪など焚くわけがない、ムダな計算は止めておこう。つくづく思ったことは、薪は高いものだということ。価格や手間を言うなら灯油だろう。
▼薪切り、薪割という行為自体が楽しい。とは言っても、体の節々が痛む年寄りには、厳しい作業だ。それで、我が家では、伐倒から薪小屋に積むまでのほとんどの工程をウッディーズの支援に頼っている。だから、自らが投ずる労力も大いに軽減され、コストも微々たるものである。
▼だから、この薪にはコスト計算が出来ない、仲間の友情という価値が付加されている。その「高価」な薪が燃えている。炎がいっそう愛おしくなる所以である。
編集後記
「荒巻さんが道新文学賞受賞…」「道新に荒巻さんの連載コラムが…」と会員間でひとしきり話題である。荒巻山林の山主は、SF界の巨匠であり、本会報に長く寄稿いただいてもいた。受賞を他人事ならず慶び、連載「私の中の歴史」を毎回楽しみに読んでいる。御年79歳。「あと10年は小説や詩を書きたいし…」と意気軒昂。お山の木々の生長も末永く見守ってくださるよう…(祈)