Vol.72 2011.6.1
被災地の森林整備願い
募金を「国土緑化機構」へ寄託
原発大震災から間もなく3か月。新たな(伏せられていた?)事実も明らかに なり、状況は深刻化する様相さえ見せている。被災者の苦難は続き、日本社会 の先行きも見えてこない。木を伐り木を植える我々の営み ― それが将来の 何につながるのかを考えさせられる。
ウッディーズの震災救援募金額は20万円超
ウッディーズが取り組んだ震災救援募金に、会員から204口・20万4千 円が寄せられた。 この浄財については、「国土緑化推進機構」の【東日本大震災復興支援に向 けた「緑の募金」使途限定募金】が、会の設立趣旨や会員の思いに合致するも のと考えられることから同機構へ寄託した。
同募金の使途内容は、
・防風林等の森林整備
・居住地域や学校周辺の緑化等
・「組手什(くでじゅう)」の寄贈 (組手什 = 避難所などにおけるプライバシー保護のための間仕切りや収納棚な どを簡易に組み立てられるキット)
会員各位の志が被災地の復興・森づくりの一助となることを切に願う。
ふるさと福島の被災跡に立って
(大竹会員のメール) 南相馬で津波の後片づけをしました。田んぼには何隻もの漁船が打ち上げられています。集落に残るのは建物の土台だけ。松林が押し流された海辺の光景はショックでした。
かつて延々と続いていた松林。
潮騒がざわめき、潮風が吹き抜けたそこには、
大津波を耐え抜いた松の木がポツンと佇むだけ。
(南相馬市鹿島)
それでは、福島県民はなぜ原発を受け入れ、こんな事態を招いてしまったのだろうか。テレビからは「東北人は寡黙で我慢強い」という声が聞こえてきました。ほめられているようで、バカにされているようにも聞こえました。
変わらなければ、と強く思いました。
(4月19日 要旨のみ)
(註 次の詩は、震災の前、ズーッと前に書かれていた詩である。)
女川(おながわ)町のおばあちゃんの話 矢口以文
この頃は
大(おつ)ちな地震(ずすん)が来る度(たんび)に
こごの原発が
大(おつ)ちぐ踊るんだがすと
電力会社さんはその度(たんび)に
頑丈に出(で)来(ち)てえるがら
心配(すんぺえ)ばえらねえって
繰り返すんだげっとも信(すん)じられねーす
眼に見えないどこがで悪いものを
洩らすてえるんじゃねえべがねーす
工場が作(つぐ)られた時(どぢ)
神主(かんぬす)さんがお祓いばすたんだげっとも
祓われだ悪え神様だづが戻ってちて
悪さを始めたんじゃねえべがねーす
それとも住んでた山を原発に
ぶっこわされた良え神様だづが怒(おご)って
ただり始(はず)めたんじゃねえべがねーす
金華山(ちんかざん)さ近(つか)えこの美(うづぐ)すい所(どころ)さ
何でこんなあぶねえもんば
作ったんだべがねーす
矢口以文詩集 『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』
(コールサック社 2010年10月刊)
矢口以文(よりふみ) 詩人・北星学園大学名誉教授。宮城県石巻市生まれ・札幌市在住。
註 宮城県女川町を襲った津波の高さは14.8m。女川原発―その敷地は海面から同じく14.8m。紙一重の差で重大事故を免れた。同原発は、現在、運転停止中。
活動日誌(4月~5月)
4月2日 田嶋山林 15名参加
伐採と枝払い。吹雪模様のなか、深雪に足を取られ困難な作業。
4月9日 植苗病院 13名参加
苫東ウッディーズとともに除・間伐。玉切り。
玉切り材の集積・搬出は「森林療法」の一環として患者さんが行う。
休憩のひととき。早春の苫東、気持ちイイ-!
(4月9日)
4月16日 髙川山林 18名参加
除・間伐。 伐採した木は枝払いして雪の斜面を引きずり下ろしたり、玉切りして大ソリですべり下ろす。
4月30日 田嶋山林 14名参加
玉切り。
5月1日 田嶋山林 7名参加
玉切り。2日続きの作業。
5月5日 田嶋山林 9名参加
玉切り。
5月7日 柴原山林 16名参加
植栽箇所の決定など、植林準備。
5月14日 北山山林 17名参加
年に一度の山菜採りを楽しむ。
5月22日 髙川山林 20名参加
4月16日に山出しした原木を薪にする。
切って、割って、運んで、積んで。
秋には程よく乾燥しているはずだ。
薪割りに汗を流し、
昼食はジンギスカン鍋に舌鼓
(5月22日)
5月28日 柴原山林 15名参加
植林。
花実が咲く幾種類かの樹種を植える。
柴原じいちゃん! 見守ってください。
おじいちゃんの思いも植える出倉さん。
(5月28日)
ムー大陸の夢
~荒巻 義雄氏によるコラム~
第2回【ニューギニアに古代文明が……】
チャーチワードによると、この幻の大陸は五万年前に存在し、高度な文明を誇っていたが、一万二〇〇〇年前に海没したという。実は、この説明、今日、判明している地球の過去に合致しているのだ。すなわち、五万年前と言えば最後のウルム氷期が始まった頃だし、一万二〇〇〇年前は、それが終わった時期である。
大きな特徴は、両極や大陸に巨大氷床が発達、成長し融けないため、海面が一〇〇メートル以上も低下した。結果、大陸棚の大半が陸地化したこと。気候は寒冷化し、かつ極めて乾燥した。つまり、今で言う冬期間、インフルエンザが流行る環境だったわけだ。
かと言って、太平洋上に、巨大大陸が、忽然と姿をあらわしたわけではない。陸化したのはアラフラ海で、オーストラリア大陸とニューギニアが繋がった。
古気候図を見ると、オ大陸の大部分は、今のように砂漠であるが、タスマニア島と繋がっていた東海岸南部はツンドラ地帯、北は草原である。アラフラ海も同じだ。
ニューギニアから、われわれが連想するのは、昼なお暗きジャングルであるが、この時代はひらけた草原だったのだ。脊梁部の大山脈には氷河さえあったらしいが、平原となったアラフラ海とあわせると、印度にすら匹敵する広さである。
肝心の人類はいただろうか。むろん、いたのだ。当時、マレー半島とインドネシアは陸で繋がり、これをスンダランドと言うが、われわれの先祖は、ウルム氷期の最中に、中間のチモール海を竹の筏などで渡り、東の新天地に到達していた。
彼らがアボリジニの祖先であるが、今日、わかっている以外の遺跡群が、アラフラ海の海底に眠っていないとは言い切れない。 太平洋には、陸地が海没した言い伝えは多いが、必ずしも火山の爆発だけではないはず。種族の記憶に残った氷期の終わり、短期間に進行した温暖化と海進期の記憶ではないかと思う。
ニューギニアの先史研究はこれからだろうが、紀元前五〇〇〇年ごろの耕作地の跡などが発見されたりするらしい。石器や土器なども想像以上に古いものが出土するという。
想像の段階だが、たとえば、アラフラ海と印度との間で、ひょっとすると文物の交流があったのではないだろうか。少なくとも、噂は人から人へ伝わる。噂には尾ひれがつくものだから、この新世界のことは印度の種族にも知られていたのかもしれない。
(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)
(コラム「ムー大陸の夢」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
29【コシアブラ】
柴原山林の間伐を始めた頃(09年)ヒバの林の中にコシアブラの群生を発見して驚いた。コシアブラには滅多に遭うことがないので、本当にコシアブラかどうか自信がないので、家に帰り文献を見直して、間違いないことを確認した。
柴原山林全体に見られるのではなく、ヒバ林の一部のみに偏在していた。近辺に親木があるかと四方を探したが、発見できなかった。何故狭い地域に集まり、しかも殆どが若木か、の理由も分からなかった。
コシアブラ
ヒバ林のコシアブラ
もし、柴原爺ちゃんが植えたのであれば、もっと大きく育っているはずだ。そうなれば、考えられるのは、野鳥の働きだ。コシアブラの実を食べた野鳥が飛んできて、糞を落としたのが、発芽したのかも知れない。それでも、一カ所に集中している理由が分からない。野鳥がトイレを一カ所に決めているというのも不自然だ。土地の条件が良かった所だけに木が育ったのかも知れない。
ハッキリ分かっていることを紹介したい。コシアブラは、漢字で書けば「漉(こ)し油」である。この木から採取した樹液を漉して金漆油(ごんぜつゆ)を得て、漆のように塗料として使ったことから来ている。別名アブラボウ、アブラギとも呼ばれる。タランボウ、ハリギリと同じくウコギ科に属するが、トゲの無いのが特徴である。 多くは、湿潤な肥沃な土地に生え、ミズナラ、アサダ、カツラ、サワシバなどの落葉広葉樹と混淆する。北海道から九州まで、日本全国に分布している。高さは15~20m、直径は60㎝に達する。掌状複葉で小葉は5枚、倒卵状長楕円形で、中央片が最長(10~20㎝)、鋭鋸歯縁、先は急にとがり互生する。一見トチの葉に似た感じである。
花は黄緑白色で径は約5㎜、8~9月に開花し10月に黒熟する。実の付き方はタランボウとよく似ている。幹や枝の中心部に髄(ずい)が通っているのもタランボウ、ハリギリに似る。材は緻密、軽軟、帯黄灰白色で、白色の広い辺材がある。箱、器具材、楊枝、マッチ材、一刀彫りの原木などとして使われる。但し、材の量が少ないためか、コシアブラ材の製品を目にすることは少ない。 タランボウやハリギリと同様に、春の新芽を山菜として食べられると聞いて一度試してみた。タランボウよりも少し苦みが強いが、結構美味しくいただける。枯らさないように上手に摘んで、長く楽しんで欲しいものだ。
宮部金吾・工藤祐舜著、須藤忠助画『北海道主要樹木図譜』(北大図書刊行会)
奥田実『生命樹』(新樹社)
佐藤孝夫『新版北海道樹木図鑑』(亜璃西社)
(「木を友に」Vol.1~Vol.28は、「森林人コラム」で読めます)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
ウッディーズ歳時記
【苗木植う(なえぎうう)】
春の季語。
森林を育てる方法の一つで、種子を畑に播いて育てた苗木を林地に植えるこ
と(1ヘクタール当たり2 ~ 3,000本)。
よく根付いて健全に成長できる春季が適期で、開芽直前に行う(春植え)。人
為的な条件や雪解けが遅いなどの自然条件により、苗木の成長の終わった秋季
に行うこともある(秋植え)。
「植林」・「杉苗」なども春の季語とされる。
村人の強き絆や苗木植う 小田切力
古稀といふ齢を受けて苗木植う 松 潭
松苗の花咲くころは誰かある 一茶
ひざまづきぬかづき檜(ひのき)苗植うる 上田五千石
植うるとは大地にいのち託すこと 伊藤敏
林間独語
▼痩せさらばえて、うろつき歩く牛、餓死した豚や鶏 ― 物言わぬ福島の動物たちが今まで気づかずにいたことをわからせてくれる。企業献金に群がる政治家(屋)は異とするに足りないが、原発安全神話を鼓吹してきた芸能人やスポーツマン、「文化人」がこんなに多くいたとは。しかし、自らの不明を恥じる声は一つも聞こえてこない。それどころか、例えば、原発推進派に組みしてきたプロレスラーは「誤った情報に惑わされないようにしよう」(日本広告機構=ACの広告で)などと、イケシャーシャー。
▼この日本広告機構というものには、日本の有数の大企業が名を連ねているが、「♪AC~」の一つに「日本は一つ!」というのがある。ホントなら、300兆円(うち換金性資産99兆円)を超える大企業の内部留保を役立てたらよさそうなものだ(震災復興資金は15兆円規模だという)が、そんな気はサラサラなく、震災をビジネスチャンスと捉えることに汲々としているようだ。震災事故は権力や資本のいい加減さ、醜さをむき出しにしている。
▼メディアに登場する学者や評論家が「御用」という「冠」を載せていることもよく見えてきた。一方で、金銭や地位になびかず、人の幸せと真実の側に立ち原発の危険性を訴え続けてきた識者がいる(いた)ことも知られてきた。その一人が、「社会を変えるのは、数ではない、一人です…、二人です、三人です」と静かな口調で呼びかけてくる。