Vol.70 2011.2.1
ウッディーズ 活動積み重ねて10年
森の再生を願い 新たな飛躍へ
12月11日、雪化粧をした柴原山林で2010年の作業を終了した。ウッディーズは、創立以来10年の活動を積み重ねたことになる。
暫くは、からだと道具を休め、次なる10年の飛躍に備える。
11~12月の作業日誌
11月7日 北大苫小牧研究林 7名参加
同研究林「古里オンコの森」(「オンコの寄贈者・古里さんの名を冠した森)をエゾシカの食害から守るための市民の集い。
日浦・現林長、石城・前林長、などが企画したこのイベントにウッディーズを含む約80名の市民が参加し、約200本のオンコの枝打ちを行い、幹にプラスチック製の防護ネットを巻きつけた。
11月13日 荒巻山林 8名参加
カラマツの黄葉を残して、山は初冬の佇まい。前回に引き続き除伐を行なう。伐倒、枝払い、玉切り。チェーンソーのエンジン音が林内に響く。合間に、小鳥の囀り、風にそよぐ梢の葉擦れの音。
約2mの玉切り材をところどころに積み上げていく。この時、木と木がぶつかり合う、乾いた或いはくぐもった「コーン」という音の心地良さ! 身体に良い音だ。木樵だけが楽しめる山の音…。
アカマツの人工林に続く雑木林に目をやる。そこにも手入れをする楽しみが潜んでいるようだ。
11月23日 大島山林 12名
札幌から南下して苫東の雑木林に歩み入れば、そこにはまだ秋の気配が漂う。懐かしい土地に立ち戻ったように感じて、深く息を吸い込む。
作業は、風倒木・不良木の伐採・玉切り。玉切り材は町内会の人が薪の材料として搬出しやすいように道の脇まで運び積み上げる。
大島山林を整備する苫東コモンズの草苅さんは「環境を享受する側と供給する側」という視点を示し、その関係はアンバランスになっていて、供給側ボランティアはとても少ない、と指摘する。そして、ウッディーズを評して「道内最強の間伐ボランティアグループ」とも言う。「供給側」に徹してきて、「道内最強」とは何にも勝る評価だが、実は、ウッディーズは密かな「享受側」でもある。大島山林の場合は、作業の楽しさに加え、皆さんが薪ストーブに温もる姿を想像する…、そんな楽しみも「享受」するのだから。
この日、ウッディーズの「応援団」を自称する会員のS原さんがご夫妻で作業の「見学」に。メンバーを激励し、林内の散策を楽しんでいた。
亭々と天を突く、大島山林のシンボルツリー
「大島ドロノキ」。
夕闇が忍び寄る池の水面に、その影を
落としておさまりきらない-「大島ドロノキ」
11月28日 柴原山林 11名
新たに生じた風倒木の処理など。冷たい風に雪も舞いだして、荒れ模様になる。
12月11日 柴原山林 14名
雨がそぼ降る柴原山林は、一面の雪景色。
前回に引き続き風雪被害木の処理を行なう。雨がだんだんひどくなり、合羽の中まで浸み込んでくる。昼前に作業を中断し、これで本年の全作業終了とする。
*活動の詳細は、「活動の記録」の各作業日参照。
森は 自然は使い捨てるものじゃない
つかい捨て 大竹洋海
森のあるとこに
水はわく
水のあるとこに
人はすむ
人のすむとこから
森はきえる
森のきえたとこから
水はきえる
そして人は
べつのばしょをもとめる
自然は
つかい捨てるものじゃない
上掲の詩は、会員・大竹啓之さんの次男・洋海君の作品。(2006年ざぶん展:ざぶん環境賞受賞作品)
発表当時、小学生だった。一読して、人類の歴史と人間の愚かしさに思いが飛躍する。
古代の地中海文明はレバノン杉など豊富な森林資源によって栄え、濫伐とその
争奪をかける戦争で滅亡した。
レバノン山脈を緑でおおったレバノン杉の森林は今はなく、荒涼とした禿げ山
が連なるだけだ。
そして人類は今、アマゾンで、ボルネオで、同じ愚挙を犯している。日本でも森の荒廃は深刻である。
自然の使い捨てはダメ! 小学生の「叱責」をしっかり受けとめなければ…
シュレーゲルアオガエル
大竹啓之
シュレーゲルアオガエル
幸せそうだ
本当に幸せそうだ
不安も恐れも
まったく感じられない
彼の幸せを疑わせるものは
なにもない
間違いなく
この世で生きる幸せを
満喫している
たとえ次の瞬間
一羽のトビに仕留められたとしても
*写真は実家(福島・会津)の庭で撮影
広畑も国道もその区別なくわが遊び場とせしは遠き日
高橋千賀
無人駅となりて久しきこの町の一台きりのタクシーに乗る
高橋千賀
薪を割る音こきみよく山に響く日頃の憂い飛びかうがごと
原 公子
吹く風にさわぐ落ち葉の間より雀飛びたつ光をひきて
原 公子
薄紅の小さき船を揺らしつつツリフネソウは風に咲きけり
中野常明
チェーンソーを扱う力維持しつつ森に入りて楽しき一年
中野常明
絶海の孤島問題
~荒巻 義雄氏によるコラム~
第5回【モアイ製造所】
イースター島の石切場は、ラノ・ララクである。ラノは火山のことだからララク山だ。海底から噴出したこの火山は、今は死火山である。火口は緩やかで草が生え、中央に浅い水溜まりがある。
モアイ制作場は、火口壁外側の斜面にある。現場に行くと、掘り出し方がわかる。というのは、着手から切り離し寸前まで、様々な段階のものが見られるからだ。
イースター島の彫刻家は数人でグループを造り、斜面の輪郭を描き、黒い石器で根気よく溝を付けていく。同時に目鼻と短い首というか胴も作る。溝は背中にまわり、支えの二個所を残して完全に立体となる。
最後に切り離され、斜面から下に引きづり降ろされるのだ。
なぜか、作りかけだが巨大なモアイもあり、眼窩の凹みに人が横たわれるくらいだ。
むろん、これを起こすのは重すぎて不可能だろう。第一、モアイの素材は堅いとは言えず、折れてしまうだろう。現に、途中で胴が折れ制作が中断されたものもある。
外輪山の頂から平野を見下ろすと、運搬を中断したまま放置された横たわっているモアイがあり、幾筋かの線で結ぶことができる。
つまり、モアイの搬出路があったわけである。どうやら平らな玉石を並べ、おそらくこの島の湖に生えているトトラ葦のロープを引っかけ、何十人かで引きずったのであろう。
だが、戦争かなにか、原因は不明だが、モアイ建立の信仰は、突如、失せた。
古代人の重量運搬の技術は進んでいた。たとえば、英国南部のストーンヘンジ
の巨石も遙か遠くから運ばれたものだ。わが国では飛鳥の石舞台(墳墓跡)の
巨石運搬。
一方、ラノ・ララクの裾に半ば埋められている多数のモアイは、ずんぐりした海岸モアイとは形態が異なる。支配階級長耳族の歴代の王のもので、耳朶が異様に長く、鼻筋も通っている。
赤い石の髪型あるいは帽子は、まだ頭に乗っていない。目も別の色の石で彫刻して貼りつけられたらしいが、それもない。となるとこれは族長の像とは別の意味を持っているのかもしれない。
ともあれ、南半球の空を見上げているのである。
(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)
(コラム「絶海の孤島問題」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
白旗なあなあ日常
~苗木 森之助によるコラム~
Vol.8
いつ降るのかと思っていた初雪。10月下旬の湿って重たい雪は、強風と相俟って白旗山にも大きな被害をもたらした。枝折れ、根返りした木々が散乱し、林道入口にさえ辿り着けない。風の通り道だったのか、幹の折れた木々が墓地の卒塔婆に見えて痛々しい場所も多い。落葉松間伐作業中だった我々作業班は、必要最小限の林道等を空けて間伐作業に戻ったが、別班は雪害木処理を続け、漸く11月下旬に一区切り。
そんなこんなの白旗山では、8月からの「立入禁止措置」が、当の本人からの沙汰無しで12月から解除に。それにしても「なんで羆の糞は臭いがしないのか」と思っていたら、「熊のことは、熊に訊け」。
(註)岩井基樹『熊のことは、熊に訊け』(つり人社)
この本で己の無知さを再確認。ヒトが現代のクマを変え害獣にして殺しているようだ。悪いのはいつもヒト。反省。
先日、ボラ仲間と「安全な伐木作業」を
考える機会があった。伐木経験が浅い方々とだったので、こちらの一方的な話
になり、実作業でも言葉が足りず、理解して頂けたかどうか…伝えることの難
しさも感じたが、自分の「杣夫力」不足も。安全作業を語るには程遠い。ここ
でも反省。
いやぁ、ブッ魂消た。この原稿を書きながら見たテレビ番組のクイズコーナーでのこと。人気お天気キャスターの月収は百万円とか。予報の当たり外れに一切責任がない、的中確率も問題にされないアノお仕事の報酬が…。一方、各種保険でも危険度はお墨付「杣夫」の年収は、その二ヶ月分とチョット。
白旗山での間伐作業に続き、北広島市の西端にあるゴルフ場傍の椴松林に通い始めた。堆積された落葉で林床はフカフカだが、陽は届かず、随分前に除伐された丈高い伐根や幹、枝も土に還りきってはいない。その15町歩程の椴松林を切り捨て間伐している。樹高、樹径は様々だが、追口を切っただけでは倒れないのが共通点。一本当たりの作業時間が多くなり、森林の広さを合わせて推測すると年内に作業が終わるのかどうか…気が滅入る。
夜半から明け方までの雨が上がり、重たい心を引き摺って現場に辿り着き、作業を開始。いつの間にか気温も上がってきたようで、林床から蒸発した水分が霧となり、林内に立ち込めている。伐倒した木が周囲の木々に触れる度に枯葉がシャワーのように降ってくる。その一枚一枚が、空いた隙間から射し込む光の筋に黄金色に煌めく。降り掛からぬように顔を背けると、作業を終えた辺りには、天使の梯子のように、幾筋も陽射しが白く浮かび上がっていた。その一つが濡れた幹に当たり、立ち上る水蒸気が揺らめいている。こんな光景に巡り会うと、特別なご褒美を頂いたようで、山仕事冥利に尽きるというもの。でも、お金の方が…。 (つづく)
(コラム「白旗なあなあ日常」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
林間独語
▼菅首相が入れ込む、TPPと略称される環太平洋パートナーシップ。新聞・テレビに、「自由貿易のバスに乗り遅れるな」、「第二の開国を」とTPP加盟を求める論者の鼻息が荒い。
▼しかし、メディアはほとんど取りあげないが、地方での風向きはまるで違う。北海道・九州で上げられたTPP阻止の狼煙(のろし)は、東北・四国を経て、「中央」へ攻め上るかのように急速に波及している。全国町村会は2度まで反対決議を採択した。地方の動きで目を引くのは、一次産業のみならず、行政、消費者団体に加え地方財界が反対の足並みを揃えていることだ。これは全品目の輸入関税撤廃を求めるTPPが農林水産業を壊滅させ、その影響が地方経済全体に深刻な影響をもたらす、田園まさに荒れなんとす、地方はもたない、という危機感のあらわれだろう。
▼TPPは「開国」ではなく「壊国」への道である。土台、自給率が穀物26%、魚介類62%、木材28%(いずれも09年)などという「鎖国」などあるものか。海外市場で自動車や電機を売りやすくするための仕組み、それがTPPだ。その構図が透けて見える。
▼昨年(2010年)10月のCOP10で、日本は「SATOYAMAイニシァティブ」を提案し、主に途上国から大きな支持を得た。そんな国際的提唱を行いながらTPPに参加するということは、「SATOYAMAイニシァティブ」ならぬ「SATOYAMAつぶし」のイニシァティブをとることになる。「里山とは農用林」とする定義があるくらい、里山の多くは農家によって支えられている。農村・農家をないがしろにすると、里山は荒れるばかりだろう。