森林人通信

Vol.67 2010.9.1

天高し 元気に楽しく 森づくり!

と、いきたいところだが、猛暑の夏が居座り、爽やかな秋がやってこない。
 8月29日の柴原山林も、あわや熱中症! というほどの暑さ。9月の第1週も30度近い気温が続くらしい。
 しかし、もう夜風にのって虫たちの涼やかな歌声が聞こえ始めた。
 9月、気持ちイイ山仕事を楽しもう。…。

チェーンソー整備講習会

北の沢環境林
手際よく分解していく

北の沢環境林
チョッと待ってください。ここは…

北の沢環境林
5月15日(柴原山林)

北の沢環境林
8月21日(柴原山林)

北の沢環境林
枯れたカラマツ

北の沢環境林
カラマツハラアカハバチ」の幼虫
森林総合研究所北海道支所HPから

北の沢環境林
「しんぶん赤旗」から

メンテナンスのコツ 学ぶ

 8月21日、柴原山林でチェーンソー整備講習会を実施した。
昨年同様、スチールのIさんにチェーンソーの仕組みと整備の手法を学んだ。
会所有・個人所有のチェーンソーを次々と作業台に載せ、分解・整備の「実演」をしてもらう。
中には、「焼き付けの見事なサンプル!」と折り紙をつけられたものまであって、「教材」に事欠かない。
● 点火プラグ、ダイヤフラム、ストレーナーなどパーツは「消耗品」と考え、適宜交換する。
● 旧くなった混合油を使用しない(目処は調合後1か月以内)など、いくつかの留意事項が示された。
 要は、取扱説明書を読んで理解し、整備点検をこまめにおこなうことが肝要だと教えられ、納得する。

様相一変 ― 「台風禍広場」

  柴原山林「台風禍広場」が優しい顔に…。
 Sさん・Mさんコンビが大車輪で働き、室蘭から運んできたSさんのユンボが威力を発揮した。
 折り重なる倒木が地面を覆い尽くしていた広い一画がすっかり整理され、夏草に覆われた緑のキャンバスという趣きになった。
 柴原じいちゃんなら、ここにどんな絵を描くだろうか、山を引き継いだDさんの思いは?
 みんなの知恵も出し合って夢を育みたい。

カラマツが枯れている!

 先日、夕張方面で広範囲に立ち枯れているカラマツを目にした。
 南会津から呼んだ親父とドライブ中に、親父に言われて気がついた。
 後日、定山渓から朝里峠の途中でも見かけた。(写真上)
 ネットで調べたら、「カラマツハラアカハバチ」の幼虫による食害のようだ。
ときどき大発生するものの、カラマツが枯死することはないらしい。
(会員・Oさん発)7月17日)

基本技術の習得怠りなく

 「確かな技術で安全な森づくり」に技術研修は必須。刈払機安全講習会(6月24 日)・チェーンソー特別講習(7月14・15日)にそれぞれ3人が参加した。

環境・森林ウォッチ
林業の新規就業者 増加

2010年版『森林・林業白書』によると、林業への新規就業者が増えている。
 近年の自然志向の中で、特に若い世代では、林業を「自然の中で働ける職場」として捉える傾向が生じていることに加え、03年度から実施されている「緑の雇用事業」の政策効果もある、としている。
 同事業実施以前は、新規就業者は年間平均約2千人だったが、実施後は約3千3百人になっている。

動静 春日さん「ボラレン」会長に就任

 ウッディーズ会員の春日さんが「北海道ボランティア・レンジャー協議会」(略称ボラレン・会員数143人)の会長に就任した。
 多くの人たちに自然に関心をを向けてもらおうと、一杯の抱負を胸に意気盛んである。
 春日さんは「ウッディーズの仲間との楽しいお付き合いを熱望してやまないのですが、土・日は動きがとれないことがほとんどで…」と残念がっている。

絶海の孤島問題

第2回
イースター島ロマン異聞

   あえて〈世界〉とは言わず〈地球島〉と言おう。われわれが棲む地球は、大宇宙からみれば芥子粒にもみたないちっぽけな星だから、島同然なのである。
 一方、南東太平洋に孤立するのがイースター島だ。南回帰線のやや南、西経一一〇度にあるこの孤島に、人々はどこからきたか。北西へ四〇〇〇キロ離れたマーケサス諸島かららしい。しかし、そんなことが実際に可能だったのだろうか。
 中間にヘンダーソン島があるが、それにしても、小さな丸木舟でよく渡れたものだ。むろん、彼ら移住者は新天地を目指したわけではなさそうだ。考えられるのは難破である。嵐や未知の海流に運ばれ未知の島に着いた。
 南米エクアドルに、縄文土器そっくりな土器があることをご存じだろうか。紀伊半島にある製材会社の焼き印がついた材木が、台風の影響で流出、エクアドル海岸に流れ着いたという例からもわかるとおり、海流の道でアジアとアメリカ大陸が繋がっていたらしい。
 そんなわけで、イースター島人が、神代の昔、大和三山に都を造ったという途方もない奇説さえあるのだ。
 余談を戻し、イースター島に最初に流れ着いた住民はホツ・マツア七人兄弟であった。彼らの像はセブン・モアイと呼ばれ、他のモアイが海を背に海岸にあるのに対し、内陸部の斜面アフ・アキブにある。彼らの視線が北西方向のヒヴァオア島を経由して、わが北海道に向いていることを発見したのは他ならぬ筆者だ。道新にも記事が載ったことがあるが、多分、そのせいだと思う、札幌滝野霊園に行くと彼等のコピーが立っている。
 ついでに、ヒヴァオアは、巨石と巨大ツチノコ(ヒバゴン)で知られた広島県比婆(ヒバ)地方に通じる。さらに、太平洋の仮想超大陸ムーロアは紀伊半島の牟婁(むろう)郡に通じ、ここはムーの神人が上陸して神都をつくったという説さえあるのだ。
 などなど今回は本題からづれてしまったが、いずれも戦前に流布した説であり、太平洋戦争に突入した日本の思想背景の一部にもなっていると思う。
 ともあれ、この島には気候的に大きな樹がなかった。従って、舟が造れず、脱出できなかった。やむなく暮らしたが、代を重ねるうちに人口過剰になった。食糧不足に陥り、支配者長耳族と奴隷階級短耳族の間で戦争が起きた。樹木の有無が歴史さえ支配するのだ。

(あらまきよしお  作家・荒巻山林山主)

白旗なあなあ日常

Vol.7

の糞は臭いがしないらしいよ、と差し出された黒いカタマリは確かに無臭だった。7月21日林道上でソレが発見されて以来、続々と方々で糞、足跡、掘り起こし跡が発見され、遂に8月7日から山は閉鎖された。糞等の発見は後を絶たず立入禁止措置は継続中で、いま白旗山都市環境林は、ひっそりと静まり返っている
 8月7日21時過ぎに自動撮影された彼は細身で脚も長く見え、「若い雄1頭とみられる」という報道とも一致する。とはいえ、ピースサイン姿の羆がハッキリ写っている訳ではなく、真っ黒な画面の片隅に、小さくボワーッと輪郭があり、白い点は眼かな?という程度

十年白旗山で仕事されている方も「初めてだ」。これは森林の手入れを続けてきた結果、生物多様性に富んできた現れだと喜ぶべきことなのか。確かに、数日前にはエゾクロテンが獲物を追いかけて林道に飛び出してきたり、ホンドイタチ?が林道脇の薮に姿を消すのを目撃したが…
 そうは言っても、羆の糞等を目の当たりにするとゾッとする。できれば、挨拶したくもない。物音がある間は近寄らないだろうが、歩いて林道を移動中に曲がり角でバッタリとか、休憩中や機械に燃料を補給する間に背後にきているのではと思うと落ち着かない。なので、命根性が汚いボクは、熊撃退スプレーを携帯することにした。1万3千円もしたが、4年の有効期間で割れば1年当たり3千円余りの「保険」と思えなくも…

のところ、川沿いの限られた区域を中心に生活しているらしいが、畑作物の美味しい味を覚えれば、やがてはイザコザを起こして不幸な結果を招きかねない。そうなる前に…例えば、糞等でDNAを調べて個体数を特定するとか、罠で捕獲し、発信器を取付けて行動を監視するとか、何か積極的にイザコザを防ぐ手立てはないものだろうか。出没の痕跡が発見されたから、その区域を立入禁止にするというのでは如何にも○○がない。また、いつ、何を根拠に立入禁止を解除できるのか。ハンターの警護付きで巡視する人が、その痕跡を確認できなくなれば解除されるのか。だとしても、冬眠前に脂肪蓄積するため「白旗山ビュッフェ」に戻ってくる可能性はないのか
 こんな状況は正常なのか異常なのか。大都会の縁で起こるから不自然な自然になってしまうのか…不幸にしてバッタリと出会い、襲われて喰われたとしても「自然」に還るだけのこと。喜んで喰われてやるさ。と、それなりの覚悟と緊張感を持って山に入るものの、きっとその場になれば、大きな悲鳴を上げて逃げ回るだろうなあ。 (つづく)

(「白旗なあなあ日常」Vol.1~Vol.6は「森林人コラム」で読めます)

木霊(こだま)

読者の便り

★ウッディーズの皆さんの自然や他人を大切にし、思いやる優しさが感じられホッとします。「林間独語」幾度も読みました。沖縄の方々の不安な日常、(…)一日も早く平穏な生活を取り戻せるよう願わずにいられません。        (K・Mさん)

★「北極圏への旅」から「絶海の孤島問題」へと、突然シリーズが変わってビックリ。イースター島もかつては「密林」だった、という話を聞いたことがありますが、いずれそんな話も出てくるのでしょうか…       (A・Bさん)

★今年は一度も参加していませんが、皆様の様子がわかり、本当にご苦労様という思いです。「イースター島序曲」のように地球規模で自然を育てる心 勿論ですが…、先ずは、お体に気をつけて。     (S・Eさん)

* 以下は、前号「林間独語」の「(沖縄戦おける戦死の)多くは強制された無駄死だった」に対する感想から。

★人間には無駄死はない。無駄も含めてみな意味があると重く受けとめることが大事だと思います。どんな思いで死んでいったのか、それが想像できなくては。 また8月15日が近づいてきました。憂鬱になる季節です。   (A・Yさん)

★ひめゆりの塔を訪れたとき、「この酷い無駄死を誰か止めることができなかったのか」と感じました。(…)負傷した兵士が薬品もなく傷にウジが湧くような事態になっても、戦の負けを認めなかった愚かしさ。それでも必死に看護を続けたひめゆり部隊。決断すべき人間が決断しなかったための「無駄死」の多さ。腹立ちと悔しさに涙が止まりませんでした。また、満州や樺太での「無駄死」も同じことです。「無駄死」を増やしたロシヤの戦後権益の獲得のための参戦を今でも腹立たしく思います。「無駄死」を避けるには、戦争を止めるしかないと考えています。   (N・Tさん)

* 無慮無数の人々が何故死ななければならなかったのか、日本軍(人)の加害責任も併せて、惨劇をもたらした思想・社会体制はどうだったのか、戦争遂行の責任体系は? そうしたことをしっかり検証し、忌まわしい歴史を繰り返さないという体制的保障ができて初めて、一つ一つの死は辛うじて「無駄死」であることを免れるのだろう。  (*は編集者註)

林間独語

▼一つの信仰が日本を徘徊している、「経済成長」という信仰が。例えば、「貧困を解決する唯一の策は経済成長だ…」と呪文を唱えながら。だから、GDP(国内総生産)世界第2位の座を中国に奪われそうな趨勢は憂慮すべき事態以外の何物でもない。そこへ、仏の経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュが「脱成長論」をもって一石を投じた。

▼「いくら経済が成長しても人々を幸せにしない。成長のための成長が目的化され、無駄な消費が強いられている。そのような成長は、汚染やストレスを増やすだけだ。地球が有限である以上、無限に成長を持続させることは生態学的に不可能だ。『持続可能な成長』は語義矛盾だ」と主張する

▼本紙前号の「絶海の孤島問題」で荒巻義雄氏も同趣旨の論を提示している。「地球はその表面を閉じられた球体であり、従って有限だ。(…)当然、資源も有限である。資源に頼る物質文明も然りである」と。

▼正に同感。我々は、有限な資源を節約し、無駄な消費を抑えることによって、地球を長らえさせなくてはならない。「定額給付金」などをばらまいて消費を煽ったり、エコポイントとかエコカー減税などで、まだ使える電化製品や車を買い換えさせる。こんな経済が良いはずはない。
 と、言ってる本人がエコカー減税に目がくらみ新車を買っちゃった。「新車を買うやつの気が知れない」と豪語し、頑なに「廃車寸前」の老朽車を愛用してきたというのに…。解体工場に山と積まれる「廃車」の堆積をテレビで見た。今さらながら胸が痛んだ。

▼先のセルジュ・ラトゥーシュは言う。「資本主義はもっと節約すべきだし、人々はもっと幸福に生きられる。我々の目指すのは、つましい、しかし幸福な社会だ。」

 

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