森林人通信

Vol.62 2010.3.1

「苫東環境コモンズ」へ支援開始

 札幌ウッディーズの2010年は、「苫東環境コモンズ」が保全に努めようとする苫東・大島山林で始まった。森づくりを目指す新たな連携の始まりを告げるように、チェーンソーのエンジン音が林内に響き渡る。

2月27日 大島山林  参加13人

 2月7日 には役員を中心に9名の「先遣隊」が視察・「小手調べ」をしているが、この日が、会員一般に呼びかけた初の取組みとなった。
 山林入り口で苫東環境コモンズ・苫東ウッディーズの草苅さんが迎えてくれる。
隣接する地区の町内会長から「ここはガキの頃から親しんだ森で、現在は町内会員が散策や野鳥観察、歩くスキーを楽しんでいます。 皆さんに整備していただけば、ますます利用度が高まるでしょう」と挨拶をいただく。
 作業は、風倒木・枯損木の処理だが、見通しのきく空間がグングン広がっていくのが感じられ、疲れを覚えない。
 プロ会員のAさん個人は、昨年末以来、ここに足を運ぶこと20回を超える。プロの技をもってするこうした意欲的・奉仕的労働は どう意義づけれられるのだろうか。
 資本主義社会にあっては、労働は一方では賃金の、他方では利潤の獲得手段として捉えられるが、Aさんの働きはその対極に位置しており、 マルクスの以下のような労働観を想起する。
 人間は自然に働きかけ自然を変化させて、価値あるものを産み出す。そのことによって人間の生存を可能にし、その過程で人間自身も 変化(成長)する。人間本来の活動であり、生活の喜びである労働…。ウン、ぴったりだ。

一塊(かたまり)の傾斜木を処理すると…

苫東の森らしい景に…

 

2月14日 北海道神宮  参加14人
 2月14日北海道神宮(14名)「新山川草木を育てる集い」と共同で梅林の剪定作業。
 作業終了後、全員でIさ んが落とした携帯電話を探す。探しに探して諦めかけたとき「あったぞ~!」という声があがる。
 ウッディーズは、警察犬のように鼻がきく。財布、眼鏡、時計、作業道具などことごとく発見してきた。 「ウッディーズは落とし物を必ず見つける」―不敗神話は生き続ける。

やれ引け、それ引け ! 「ほだ木原木」を下ろす保育園児たち

「ほだ木」下ろし

  小樽にある「かもめ保育園」、子どもたちは雪山が大好きで、いつも雪にまみれて遊んでいる。
3月のある日、この日は伐ってもらったミズナラにロープをかけて麓まで引きずり下ろしていた。 子どもたちがつくるシイタケのほだ木原木だ。
 新しい年長さんが植菌するのは4月。収穫して給食で食べるのは、もっとズーッと先になるが、みんな、その日を心待ちしている。 (髙川山林・ワオーの森)

北極圏への旅 
~荒巻 義雄氏によるコラム~

第2回【長さ200キロのベストフィヨルド

 ナルビクは急斜面に張り付いていた。小樽よりもずっと勾配がきつく、鉄道駅も高台にある。 港に向かいながら振り返ると、威圧的な岩山が見上げる近さで壁となり、そのせいで、半年間は 太陽を見ることができない。9月がはじまったばかりなのに、昼の光が弱々しく、どこか白けているのだ。 急坂の街角に、ふーと妖精が現れそうな感覚さえある。

 船着き場に着くと、すぐ出港。北大西洋海流のおかげで、真冬でも凍らない峡湾上で、フェリーは 速度を上げる。デッキに出ると風が冷たいが、広い船室は温室のようである。 峡湾の幅が急に広がる。長さが200キロもあるベストフィヨルドを、南西方向へ疾駆する右手の 船窓は、あたかも巨大岩石彫刻のようなロフォーテン諸島だ。左窓側は輪郭がごつごつしたノルウェー西海岸。 稜線が金色の帯で縁取られ、断崖は真っ黒な影。私には既視感があった。どこかでみた景色だ。 少年時代、理髪店の壁にあったフィヨルドの着色写真かもしれない。

 私は、夜行列車の寝不足もあり、浅い睡魔に誘われながら、ユング的な大いなる過去に遡っていた……約1万年前に終わった ヴェルム氷期は、約7万年前からはじまっていた。北半球を覆った大陸氷の一つがこのスカンジナビアにもあり、 中心はバルト海の最奥だった。中心部の3000メートルの厚さは、現在の南極と同じであった。 そのものすごい重量で、スカンジナビア全体が押し潰されたが、現在は、毎年1センチずつ復元しているそうだ。 北極から南ドイツまで達していたこの氷の時代にも、人類はしぶとくマンモスを狩って命をつないでいた。 こうして、長い長い氷期が終わるまで2千数百世代を連綿と生きのびた子孫が見た地表は、表土が根こそぎ剥ぎ取られた沃野の残骸。 岩だけの陸地だった。

 フェリーの機関音が一定のリズムを奏で、私は、もはや、夢界の住人である。そこは、われわれ人類に遍く共通する 集合的無意識に支配されている世界だ。言で概念化する以前に、意識が見ていたかもしれない景色や出来事。 それらが様々な象徴を紡ぎ出す。 おそらく氷と岩、吹きすさぶ強風が起こす黄塵万丈の世界。人々は、鬱蒼とした緑の森林に憧れたことであろう。 我々の樹々に包まれる安らぎと信仰は、こうした太古の不安に根ざす願望であるにちがいない。   (つづく)

(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)

(コラム「北極圏への旅」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

白旗なあなあ日常 
~苗木 森之助によるコラム~

Vol.5

の冬は冬季五輪があったお陰で退屈しなかったけど、そろそろ冬眠穴から這い出て、躰を動かさなくちゃなあ…一丁、遠浅の大島山林で躰ごなししてみるか。手始めは、この蝦夷山桜の風倒木から…。ところで、一般的には、どんなことを思いながら伐木してるのだろう?「拙者は拝一刀になりきって」と言えば、「何を大袈裟な」と嘲笑されるのが関の山…か。拝一刀は「子連れ狼」に登場する公儀介錯人。勿論、架空の役職名の人物だが、刑罰的切腹の場合には、介錯人の役割を勤める者がいたようだ。
役目は、切腹人の介錯だが、闇雲に首を刎ねた訳ではなく、儀式として作法・手順があった。例えば、切腹の手順には「介錯人は切腹人の背後に控え、切腹人に恐怖心を与えぬように鞘を払い、左斜め後に立ち、八双に構える」とある。首を刎ねる時期にも四段階あり、介錯人が選択したとか。想像するに、切腹人が、恐怖も痛みも感じることなく、武士として潔い最後を飾られるように、との思い遣りなのでは…。となると、介錯人の役目は、かなり重要だ。恐怖心を与えないためには、殺気など以ての外で、心を穏やかに澄み渡らせ、痛みを与えないためには、刀も自身も鍛錬を重ねていたに違いない。

って伐木自体「そこに在る命を断つこと」とも言える。であれば、介錯人のように木と真摯に向き合うべきか。ガァーッと伐って、後はお任せとばかりに、ドォーンと倒すのではなく、シナリオ通りに、ゆっくりフワーッと、傷付けることなく伐り倒すことを理想としたい。それには、道具をよく手入れし、使いこなす技と躰を鍛錬し、如何なる状況下でも冷静に的確に判断できるような心を持つことでは…。

が、それでも最優先すべきは、やはり安全。自分自身も他人も決して傷付けないよう、自身の伐木作業にも、周囲の状況にも目配りと気配りすることが肝要。

携帯電話を片手に、自宅で寛いでいるように車を運転している人もいるが、瞬時に自分や他人を傷付け、時には命まで奪ってしまうことは想定外なのか…。「超危険な作業」と構え過ぎることはないが、その意識は常に必要。車の事故が車速と無関係に起きるように、伐木時の事故も木の大小に関係なく起こる。小指程の太さの伐木や枝払いにでも、常に心して当たりたいものだ。(つづく)

(コラム「白旗なあなあ日常」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

木霊(こだま) 読者の便り

★(「北極圏への旅」について)情景が浮かんできて、味わい深い文章…。タイトルバックのオーロラの話、いつ出てくるのか楽しみです。(Aさん)
(編集者注   北極圏=オーロラという短絡的連想でタイトルバックにオーロラをあしらったが、著者から「オーロラは、メッカのアイスランドでも見ることができなかった」というお話があった。残念でした)
★スカンジナビア半島の俯瞰からストックホルムの駅に降り立つ導入。旅の意図の呈示、彼の地の風景と自然、人々との交歓、著者の感懐などが過不足なく描かれ、僅か千字という短さを感じさせず、次なる展開は…と気を持たせてくれる。ウーン、さすが。(Tさん)
★「ハチドリのひとしずく」巻頭にいい作品をもってきました。要を得て簡。割付も美しく、会心の作とお見受けしました。(Tさん)
★中学生の時、カタログで取り寄せて植えたメタセコイアの苗木が、樹齢50年にして直径2・8m、樹高25以上の巨木に。メタセコイアの記事で「森林人通信」が身近に感じられました。近くだったら、参加したい気持ちです。(岩手県・Sさん)

林間独語

▼前号のトップを、作業後に満足そうな笑みを浮かべるメンバーの集合写真で飾った。会員の写真家・小牧さんの提供である。それが、我がパソコン師匠から「この写真、ボケボケでしょう!」と思わぬダメだし。「エー?そんな…。」と、老眼鏡を取り出して見てみたら、なるほど、ボケてる。「プロが撮ったもんなんだけどなぁ~」「じゃ、画像処理に問題が…」ということで手ほどきを受け一件落着

▼しかし、問題解決には老眼鏡を使うことが一番、古稀を迎えたんだし、とも観念した。老眼のことを中国の言葉で「花眼」という、と友人に教えられた。「花がよく見える眼」ということらしい。老眼鏡を「花眼鏡」と呼ぶならイソイソとかけるかもなぁ

▼ウッディーズは、この度の総会で決まった新方針により作業フィールドも活動量も拡大していく。くだんの写真で充足感に満ちた表情を見せていた会員たちは、既に苫東へ足を伸ばして今シーズンの活動を開始している。梢に花芽が膨らみ、雪の下でも草萌が兆す―新しいページをめくる春浅き。間もなく、花眼が忙しくなる。

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