Vol.56 2009.7.1
工具の点検整備 安全への出発点
故障を防ぎ、長持ちさせるためにも
7月12日 メンテナンス講習会
7月18日、要望の強かった「チェーンソー・刈払機メンテナンス講習会」が「新山川草木を育てる集い丘珠苗畑詰所」を会場に開催された。
冒頭、I 講師から、チェーンソー・刈払機とも、振動と大音を発し、刃が高速回転する危険な道具なので、取り扱いには細心の注意が必要、という心得が述べられた。
脛当て、ヘルメット、フェースガード、イアマフ(耳栓)、防護手袋などの機能と装着法について丁寧な説明がされた。
次に求められたのは、機械の安全装置や構造に対する理解である。例えば、チェーンーの破断に対応するチェーン・キャッチャーの働きなど。構造に関する説明は懇切を極め、受講者は「なるほど!」を連発、身を乗り出して分解された部品などをのぞき込む。(写真)
正しい目立て、エアフィルターの清掃など日常の保守点検は必須である。 古い混合油は使わない。混合油のペットボトルでの保管は御法度(ペットボトルの組成が溶け出る)。
刈払機は、エアフィルターの清掃が点検項目の第一。ギヤケースへのグリース補給も怠らない。未燃性ガスがカーボンやタールとなってエンジンに付着しがちなので、時々は高速回転させ、焼いてやるのも有効である。
最後に、機械のメンテナンスがなぜ必要かについて、次の3点をあげられた。
①作業の安全を確保するため(「切れない刃物ほど怪我が多い」とのこと)。
②正確、快適に作業をするため。
③機械を長持ちさせる。
講習会を終わってみれば、予定時刻を大幅に過ぎていた。面白い時間ほど早く流れる。
I講師の「これからも、いつでもお手伝いしますよ」との言葉に力強い援軍を得た思いである。
参加者からは、異口同音、「イヤー、勉強になった~」という声が聞かれた。 チャンとやるぞ!という思いが湧き、機械の手入れにいそしむメンバーの姿が目に浮かんできた。
雨と蒸し暑さのなか 七月の活動 元気に展開
4日 支笏湖復興の森・北山山林 11人参加
復興の森植林地は、下刈り不要かと思われる繁り。ここでの作業を1時間ほどで終了し、北山山林へ移動する。
昼食をとりながら、なだらかな丘陵地を眺め、北山山林は広いなぁと、つくづく思う。
高枝ノコと手ノコでトドマツの枝打ちをする。切り口から漏れる木の香を胸一杯に吸い込む。
丈高く伸びたイタドリを刈り払うと、トドマツ林の中を光が通り抜けた。
12日 新山川草木を育てる集い「どろ亀さん記念22世紀の森」 17人参加
刈払機に初挑戦のSaさん
冷夏とはいえ夏は夏。雲間からカッと照りつける太陽に汗がほとばしる。
エンジンを止めて汗を拭っていると、それまで聞こえなかった小鳥の囀りや虫の声が…。
下刈りは、刈り跡を振り返ったときや作業後に植林地全体を見渡したとき、作業の成果がハッキリ目に見えるところがいい。
ここの下刈りは今年2回目で、前回(6月)から余り日にちが経っていないので、草はさほど伸びていない。
個人及び会所有の刈払機合わせて15台で余裕をもって作業を終了する。
新山川草木を育てる集い
「どろ亀さん記念・22世紀の森」のこと
名称の由来 「泥だらけになって山を歩き、亀のように酒好き」だからと、自らを「どろ亀さん」と称した故高橋延清東大名誉教授を偲んで命名された。
当初、「新山川草木を育てる集い」藤原理事長は林業学者の立場から世紀をまたいだ森を展望し「23世紀の森」を提案したが、会員の「遠すぎてイメージが湧かない」という声に「妥協」して、「22世紀」で折り合ったとか。
北海道土木現業所アダプトプログラム(注)の一環をなす森づくりである。どろ亀さんの「札幌から道民の森まで100kmもある。途中に息抜きの場所が欲しい」という思いも引継いだ。
(注)企業・ボランティアなどによる道路や河川など一定の公的区画の環境整備事業
事業規模 03年から各年1ヘクタールに自生樹種を植林。今年度で、23樹種・約6000本に達する。12年に植栽を完了する。
課題 一番は雪害対策。丈の高い支柱に植栽木を一本ずつ慈しみながら結束していく。木は年ごとに生長し、脚立に乗って行う難しい作業が増えていく。
下刈りはウッディーズが全面的に支援している。
19日 北海道神宮 9人参加
神宮の作業は、この日で3回続けて雨の中。植樹予定地の草刈りをしたが、午前で中断。
径づくりに鍬を振るうSiさん
26日 柴原山林 参加14人
梅雨模様の天気が続き、この日も、夜来の雨は上がったが、蒸し蒸し、ムシムシ。
汗みずくになって林床に散乱する玉切り材を集積・整理する。
遊歩道(兼作業道)の作設にも汗を流す。山主さんが家族や友人と、整備された路網で散策を楽しむ情景を思い浮かべてみる。
作業終了後、シャツを絞ると水が滴り落ちた。
山主・出倉さんの謝辞で、この日が奇しくも柴原さんの祥月命日と知る。
29日北海道神宮 10人参加
曇天であるが、4度目にして初めて雨の降らない作業日。前回から続く草刈り作業を終る。
体験参加のHoさんが入会。
【苦節の軌跡】
写真:沓間洋子 撮影地:春香山登山道脇
打ちひしがれ のたうち 身を捩(よじ)り
なんとしても生きる
ただ ひたすら生きて 意味など知らない
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
23【シナノキ】
山地に生える落葉高木で、高さ20m、太さ1mになる。葉はハート形で縁は鋸歯状、大きさは4~10㎝、葉の付け根から長い柄を出して淡黄色の小さな花を付ける。漢字で木偏に品と書くが当て字である。札幌の街路樹としては約6000本植えられている。街路樹として有名なのは、ドイツ、ベルリンの「ウンター・デン・リンデン」で、日本語で言えば「シナノキ通り」である。 近縁種にオオバボダイジュ(大葉菩提樹)がある。シナノキより葉が大振りで葉の裏と冬芽に毛が生えている点が異なる。但し札幌の藻岩山には、毛の生えていないモイワボダイジュという変種がある。
シナノキの並木
日本でボダイジュと呼ばれる木には3種あり少々ややこしい。本来のボダイジュは、インド原産で、その下で釈迦が悟りを開いたと言われる。二番目は中国原産のボダイジュで、栄西禅師が中国から種を持ち帰り日本中に広がったものである。これはオオバボダイジュに近くインド原産種とは全く異なる。中国で、葉の形がインド種と似ている木を見つけ寺院の境内に植えたのが始まりらしい。その種を栄西禅師が名前と共に日本に持ち込んだという次第。三番目はオオバボダイジュで、日本の在来種である。北半球の温帯には、シナノキの仲間が約30種ある。
シナノキの木質は軟らかく、強度も弱く構造材にならない。板材にしても変形しやすいので、そのまま使わずに、ベニヤ板として使うことが多い。木彫り、割り箸、薄皮(経木)、楊枝などの材料として広く使われている。北海道土産の熊の彫り物は殆どシナ材である。この木の皮の繊維は大変長くて強いので、昔から縄、漁網、船舶用ロープ、畳の糸、柿の吊るし糸、酒や醤油のこし袋、馬の腹掛けなどに利用された。北海道の開拓時代には、この糸からカヤを作ったとのこと。戦中に大砲や戦を覆っていた迷彩ネットが戦後に放出された。ネットに偽装用に染色されたシナの内皮が沢山結ばれていたので縄代わりに利用したことがある。薪にもなったが、鋸引きは容易だが柔らかすぎて割れにくく火力は劣った。オオバボダイジュの材質・用途はシナノキに同じ。
シナノキの花
シナの花は、蜂蜜の大きな供給源でもある。北海道には、七月中旬から多くの養蜂家が集まってきて採蜜する。昭和40年頃の数字では、国産蜂蜜生産量は約6千トンで、そのうちの約二割がシナ蜂蜜であった。開花期にシナやオオバボダイジュの下を通ると、甘い蜜の香りが風と一緒に流れ、耳を澄ますと蜜集めに忙しい蜂の唸る声が聞こえる。
参考図書
朝日新聞社 『北方植物園』
辻井達一『「日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫『「新版北海道樹木図鑑』
(亜璃西社)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
白旗なあなあ日常
~苗木 森之助によるコラム~
Vol.1
初めまして。山仕事に転職して4年目。札幌市清田区にある白旗山を主な仕事場にする大して面白くもないボクに編集長から「何か書いてみないか」と寄稿の話が。独り言みたいなものでも構わなければと引き受けたので、悪評だと今回限りに(ボクには好都合ですが)
時機外れですが、ジューンブライドに纏わる話を。
6月、見目麗しい知人が結婚するとのことでおめでとうのEメールを「いつまでもお幸せに」と書き始めたものの…、ってことは、お一人様は不幸な人? 結婚=幸せってこと? 誰でもそうなるの? 抑(そもそも)「幸せ」って、何が幸せか、どんな状況が幸せかは人それぞれで、価値観によって千差万別では?
NHK「ゆうどきネットワーク」の「にっぽん幸せさがしの旅」では、日本各地を「あなたにとって何が一番幸せですか?」と尋ね歩くが、平穏な日常に関わることで幸せと答える人が多い。なかにはリポーターに「あなたは幸せですか?」と訊き返す人もいて、言葉に詰まる場面も。
今のボクは? お一人様でいようと、公務員から季節労働者に転職していようと、健康で、自然を体感しながら山仕事ができて十二分に幸せだ。
ってなことを思っていたら、気の利いた言葉も思いつかないまま送れず終いに。そのうち、何か手作りのモノでも贈ろうかなぁ。
数少ない有給休日の翌日、不義理していた会に参加。「どろ亀さん記念・当別廿二世紀の森」で植樹した畝の法面を刈りながら…、いやぁ刈り辛い、何で畝肩や法面に刈草の塊を置いとくかなぁ。くそっ、石だっ、除けときゃいいのに…ブツブツ。もっと幅広く刈れば風通しも良くなるのに。柳を残したら直ぐに大きくなって作業し辛くなるわ、陽当たり悪くするわで…植樹された木の身になって考えれば解りそうなものなのに…ブツブツ。プロだったらこんなこと…、ってことないか。プロでも人それぞれ、だしなぁ。
抑(そもそも)「プロの仕事」って?丁寧? 綺麗?上手い?早い? 正確? 正しい? 何だろう? 請われる優先順位通りに仕事ができること? 例えば、1日仕事を半日でと請われれば半日で、百万の仕事を半額でと請われれば五十万で仕事することがプロなのか? んーっ、難しい。
「森林を考えて木をみる」ことができるプロになりたいが、些細なことが気になって手早く良い加減に仕事ができないボクは、差詰めボラプロ(頭がボランティアで躰がプロ)ってとこか。治したいけど、生まれ持った性格だしなあ…ブツブツ。
因みに「なあなあ」は造語で、意味は「神去(かむさり)なあなあ日常」(三浦しをん著)をお読みください。
(コラム「白旗なあなあ日常」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
読者の便り
▼ 仲間が増え何よりですが、「ウッディーズの心」と安全技術を引き継ぎ、向上させていく機構づくりも急務でしょうか (Aさん)
▼ 初めて作業に参加して、山に対して今までとは違う思いを持った。自ら汗を流したからだろうか。ウッディーズの一員になれてよかった~♪ (Dさん)
▼ 石狩支庁主催の先進地視察研修で、下川町森林組合「ゼロエミッションシステム」を見学して、木材を徹底利用する仕組みに感心した (Mさん)
▼ 毎週奉仕活動をされる皆さんに、ただただすごい人たちがいるものだと感じ入っている (非会員Tさん)
林間独語
★知人の若い女性が、車の行き交う路上を「毛玉」のように転がる子猫に気がついた。走り寄って抱き取ってみたら、閉じた目がひどく爛れている。取りあえず動物病院で治療してもらったが、さて困った。彼女には猫を飼えない事情がある。保健所に相談したら「殺処分になります」と言われ途方に暮れているという。
★その後、必死に奔走して貰い手を見つけたと聞き、救われた一つの命を思いホッとした。その時、自らにまつわるセピア色の光景が甦ってきた。子猫が必死に「猫掻き」をしながら川を流れ下っていくシーンである。耳に残った悲しげな鳴き声も。死が日常だった戦争が終わって間もない頃だったし、猫の不妊手術などは想像の外だった。だから、どこの家でも、産まれた子猫は目が開かないうちに処分していた。我が家では、近くの橋の上から川に流して「始末」していた。今にして思えば酷(むご)い話しである。
★しかし、時は移ったが変わっていないな、年間40万頭ものペットが「始末」されているとあっては。犬猫ばかりか、今年は自殺者が3万5千人に達しそうだとか。そんな惨(むご)い現実を自らがつくりだしておきながら、責任を知らぬげに「我こそが安心社会を」とうそぶく政治家たち。その無神経な感性の対極に、くだんの女性の優しさはある。