森林人通信

Vol.52 2009.4.1

サァ、今年も安全第一で!
 早春の里山で 思い新たに

 暖冬・少雪の当然の結果、雪融けがいつになく早い。喜んでいいのかと危ぶみつつも、里山の斜面に響くチェーンソーの爆音を心地よく聞く。

 

荒天の不安におびえ

3月14日 ワオーの森

 参加者16人(うち新会員2人)。北海道を横断中の発達した低気圧の影響で夜来の風雨止まず、決行か中止か判断に迷う。現場に立ってみると、激しい山鳴りがして尾根筋の木が揺れている。しかし、沢筋にある作業ポイントは無風 だ。GO!を決断する。
 作業が始まるころには雨が上がる。暖気で腐った雪に足を取られながら斜面を上り、形状不良木の除伐にかかる。昼頃には陽も差してくる。午後、予定した伐木を早めに終え、今年の安全作業を誓って散会した

ピーカンの春空のもと

3月29日 ワオーの森

 参加会員20人(3人が初参加)。会としては例外的(?)に若い世代(20代と30代)の青年を迎えてどことなく気分が浮き立つ。前回とは打って変わり、「山笑う」春日和のこの日は、間伐とツリーイングを併行して実施した。
 プロの山田会員は、新会員に対するチェーンソーの操作指導を行うほか、難度の高い伐木で「さすが!」の技倆を示す。18号台風で幹が90度に折れたニセアカシアが、4~5本の木の樹上に「橋渡し」になっている複雑な懸かり木を見事に処理。終わってみれば、真ん中の保残木がほとんど無傷でスッキリ天を指している。芸術的な伐倒術!

ツリーイング

 ツリーイングは、TMCA (Tree Master Climbing Academy)の高木・外山両氏の指導で、空中での浮遊感と「絶景」を楽しむ。女性陣も臆せず挑戦。枝打ちにも有効な技術である。

写真は研修風景。インストラクターと共に地上10数メートルに浮かんでリラックスしているのは元お転婆・今アラカン(つまり、アラウンド還暦)のおばさん。気分よさそう。
もう一人のアラカンおばさんも「恐くないの?」 とたずねられると、「あまり気持ち良くて、樹の上で笑っちゃった」と宣う。
澄みきった春の大空、視線の先には石狩湾を隔てて雄冬岬と増毛連峰。気持ちいいだろう。が、度胸もいい。(3/29)

チェーンソーって面白い!
チェーンソー安全技術勉強会を実施

  3月15日、チェーンソー勉強会がワオーの森で行われた。安部さんを講師に3人が受講(非会員1人)。
 午前中は座学で森林の手入れ方法やチェーンソーの構造を、午後からはチェ ーンソーの操作技術を実地に学ぶ。
 指導は、チェーンソーの運び方(カバーをつけて肩に担ぐ)に始まり、構え方、切り方など基本事項について懇切丁寧に進められた。
 まず、右腕の肘を脇腹などに付けチェーンソーの後ろハンドルを握り、左手で前ハンドルをしっかり握って構える。次に鋸断方法。バーの上側・下側での切り方、スパイクを利用した回し切り、受け口・追い口の切り方など。受講者が入れ替わりつつ学んでいく。他人の不適切なやり方も「反面教材」。講師と受講者の息も合い楽しそうな雰囲気である。「面白かった」「ためになった」など異口同音の感想から、技術を習得する喜びが感じとれた。
 ウッディーズの、技術・安全重視という行き方を今後も追求するなら、定例活動においてもこの種の研修機会を増やす必要がありそうだ。指導体制の整備も求められる。

白磁の六弁 最後のひと花 折れたキタコブシ 開花

キタコブシの花

 間伐の巻き添えで、キタコブシの太い枝を引き裂いてしまった。
花芽がいっぱいついていた。
「弔い」の思いも込めて挿しておいたら健気に花を開いてくれた。
勿体なくて、少しでも長らえてもらおうと願い、暖房を落とした。

一弁の疵つき開く辛夷かな    素十

林を歩き 感じ 語る 「林とこころツアー」 実施予定日 4月18日 

林の中の小屋-苫東・雑木林ケアセンター

 苫東・勇払原野の雑木林と北大研究林を歩く。
 ご案内いただく草苅健さんは、実践と思索の書『林とこころ』を著し、各種委員会や講演等で旺盛に発言されている方である。
 苫東雑木林は氏自身が景観形成に尽力してきたところであり、北大研究林は掌を指すように熟知したフィールドである。氏の語るところに耳を澄ましたい。

 近世イギリスの詩人は、「(心は)創られしもの全てを無となし/緑蔭の緑の想いに帰する(注)」(マーベル「庭」)と、緑蔭における冥想の優越を詩(うた)い、現実的な行動世界と対立させたが、現代の行動的求道者は二つの世界を見事に統一する。
 曰く、「林の手入れとは現代の一つの生き方であり、行動的冥想のひとときである。」(『林とこころ』)
(注) 原文は、10連からなる詩の第6連、最終の2行
Annihilating all that's made
To a green thought in a green shade.

 

草苅さんのHP 雑木林&庭づくり研究室
http://hayashi-kokoro.com

木を友に 
~中野 常明氏によるコラム~

20【キハダ】

キハダ

 ミカン科キハダ属の落葉高木、高さ25m,幹の外皮は淡い黄褐色で厚いコルク質、幹に縦溝があり、葉は対生複葉、シンジュ、ヤチダモの葉に似ている。北海道では、別名「シコロ」と言うがその由来ははっきりしない。樹皮の薄いものを「ヒロハノキハダ」と呼ぶことがある。雌雄異株、5~6月に径8mmほどの黄緑色の花を付ける。8~10mmの球形の果実は、秋には黒く熟する。

 分布は、日本、朝鮮、中国、アムール、ウスリー地域である。北海道では、渡島半島を中心として、後志、胆振、日高、石狩近辺まで見られる。薬木、染料木として古くから有名。江戸時代に幕府や諸藩は、この木を切ることを禁じていた。そのため明治初期までは、大木が残っていたが次第に切り倒されて少なくなってしまった。近くの防風林の中にも何本か見られるが、数は少ない。

 幹の内皮は、鮮やかな黄色で、漢字では「木膚」と書く。内皮は黄柏=黄檗(おうばく)と呼ばれ胃腸薬となる。健胃薬としては、「熊胆」(くまのい)より効き目があると言われる程である。すごく苦い薬で、主成分はベルベリン。大腸菌、チブス菌、コレラ菌に対して殺菌力がある。鎮痛、収斂作用があり胃痛を止め、腸内の炎症を和らげる。子供の頃「シコロの内皮は、腹痛に効く」とおふくろに教えられたので、試しに煎じて飲んでみた。あまりの苦さに、以後いくら腹が痛くなっても二度と飲む気は起こらなかった。昔あった陀羅尼助丸、ワカ末、百草丸などという名の胃腸薬は、皆この黄檗が主成分であった。内皮ばかりでなく実をすりつぶして、虫下し、打ち身、リューマチなどの薬にした。アイヌが目薬に使ったという記述もある。

 キキハダを染料にする方法は、中国から渡来した。中国では、古くから階級を着物の色で区別したが、その中で黄色は最上位だった。この染料に黄檗が使われた。外皮のコルクは水をはじいて軽いことからガラス玉の浮きが出来る前には、漁網用の浮標として使われていた。  

 アイヌは、この木の皮とぶどう蔓で丸木船を造り、仕留めた熊や鹿を運んだとのこと。木材としては、水分や湿気に強いので、洗い場の板などに使われた。戦時中アルミの弁当箱を供出した代わりにキハダの弁当箱が配給になったことがある。これは中味が黄色になるので閉口した。

参考図書
朝日新聞社 『北方植物園』
辻井達一『「日本の樹木』(中公新書)
佐藤孝夫『「新版北海道樹木図鑑』 (亜璃西社)

(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵 
~春日 順雄氏によるコラム~

10【ハルニレ】

ハルニレの花

 ハルニレは、葉に先立って花を付けます。花の写真(右)は、昨年4月17日、野幌森林 公園で写しました。群がるように咲いています。
 果実の写真(下)は、5月18日恵庭公園で写しました。群がるように沢山、そし て、翼があり、扁平で、見るからに軽そうです。6月には成熟、褐色になり、 風に乗って旅立ちます。翼を持ち、種子を軽量化して、大量に広範囲に飛ばす 戦略です。

ハルニレの種

 さて、風に乗って旅立った翼果は、様々なところに着地します。条件のいいところに着地したものは、直ちに、発芽。そして、光合成を始めます。軽量で、栄養の蓄積の少ないハルニレは、いち早く光合成が出来ないと生き残れないのです。
 日陰に着地したものは、翌春、林床に光が注ぐまで眠りにつきます。目覚めのサインを出すのは太陽の光です。野菜などの農作物の発芽のサインは水と温度ですが、ハルニレは光環境も条件として加わります。
 土の中には、沢山の種類の眠れる種子があり、目覚めの時を待っています。「腐植や土中に存在し、発芽適期になっても発芽せず、休眠した状態が続き、地表が攪乱され、光環境が好転すると発芽してくる種子を埋土種子といいます。」(注)
 北の沢でチシマザサを刈り取った後に沢山の草木の芽吹きが見られましたが、光環境の好転があったからなのですね。

注 『森林 林業 木材・基本用語の解説』(北海道林業改良普及協会)から引用

(文・写真 春日 順雄氏)

(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

詩

 ジョイス・キルマー

一本の木と同じくらいすてきな詩に
ぼくは一度も出会ったことがない

木はやさしい大地の胸に吸いついて
流れてくる恵みをのがさない

木はずっと天を見上げて
腕をいっぱい広げて祈りつづけている

夏になればツグミたちがきて
巣のアクセサリーで木の頭を飾る

木は雪を深々とかぶったこともあるし
だれよりも雨と仲よく暮らしている

詩はぼくみたいなトンマなやつでも作れるが
木を作るなんてそれは神様にしかできない

(アーサー・ビナード、木坂涼共訳)
「朝日新聞」(09年2月26日)から

林間独語

★髙川オジさんは、保育園児にとってはスーパーマンである。まず、チェーンソーを使えるのがその証。それに、山のモノはみんなオジさんが作った(ことになってる)。「この山の木は全部オジさんが植えたの?」。「ウン、そうだ よ」。「この山はどこから持ってきたの?」。「オジさんが、ヨイショ、ドッコイショと運んできて、ここへ置いたんだ」。正に民話の「八郎」である

▼卒園児・柊平との会話。「オジさん、いくつなの?」。「ウーン、90歳だな」。「エーッ!(のけぞって驚き)それなら、もう死んでるしょ」。「イヤ、まだ、死んでない」。何でも大きく言うクセがついてしまい、年齢までついウッカリ…

▼昨年秋に柊平たちと卒園の思い出にと植えた苗が全部エゾネズミにやられた。樹皮が剥かれ幹が丸裸。植林後5年も経過したエゾヤマザクラも2割方は絶望である。木を育てることは難しい、とつくづく思う。己が生き長らえることも同様に難しいだろう。しかし、柊平たちが立派な青年になったころ、大きく育ったサクラの木の下で「ホントに90歳だぞ」と言っているシーンを思い描いている。

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