Vol.49 2008.12.1
初雪 小春日 森づくり
北の沢環境緑地 2008年 仕事納め
雪折れしないように 11月8日
8日 北の沢都市環境林 16人参加
夜来の雪が降り積もり、笹を刈り込んだ斜面が白い広がりを見せてせり上がっている。
昨年植樹した苗の雪折れ防止対策がこの日の作業。苗を支柱に添わせヒモで結びつけていく。作業が始まるころから、時々、鉛色の雲が裂けて青空が覗き、陽光が降り注ぐ。初冬の小春、散りやらぬ枯れ葉を満身に纏い黄金色に輝くカラマツ、滑るように山肌を吹き降りてくる風、笹の葉擦れ、小鳥のさえずり。贅沢な作業環境が嬉しいが、何よりも新入会員と久し振りに参加の会員を迎えて心が弾む。 とは言うものの、動きを止めれば体は冷えてしまう。テントを張り、コンロで暖まりながらぬくぬくと昼食・休憩をとる。
午後も同じ作業を続け、キリのいいところで終了する。
23日 北の沢都市環境林 5人参加
風倒木を玉切りする 11月23日
積雪15~20㎝のこの日は、ウッディーズ「史上」最少の参加者か。それでも、「今日は、精鋭部隊だ」とうそぶいて意気軒昂。駐車場所の上部〔東側〕斜面で雪に足を取られながら風倒木処理に取りかかる。時折の風に、樹上に積もった雪が重たげに落ちてくる。境界線沿いに北へ移動しながら作業を進めるが、ここの風倒木処理もそろそろ終了と思われる。
【冬もみじ】
写真:沓間洋子 撮影地:春香山登山口
朱〔あけ〕よりもはげしき黄あり冬紅葉 井沢 正江
降り来るものと交錯し
名残りの美を誇り
やがて命きらめかせて枝を離れる
それは凋落ではなく…
仰ぎ見る 人もまた冬もみじ 同じめぐりの輪の中に
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
18【ハルニレ】
ハルニレは、漢字では春楡と書く。別の呼び名として、アカダモ、ニレ、エルム等がある。エルムは英語名で、アイヌ語では、チキサニ「われら・擦る・木」という意である。乾いた楡の木をこすって火を起したためらしい。和名のハルニレは、春に花が咲くことに由来する。本州以南には秋に花が咲くアキニレがあるというがまだ見たことがない。同属にオヒョウ、ノニレ(マンシュウニレ)等がある。
北海道では、平地のやや湿った肥沃なところに生える落葉高木で、肥沃地の目印になる木。高さ30m、太さ1・5m以上にもなる。開拓前の札幌は、ハルニレに覆われていた。その名残の木が、北大、知事公館、植物園などに見られる。少し前までは、札幌駅前通りの分離帯にも植えられていたが、枝が大きく広がると車の見通しが悪くなり冬は枝から雪が落ちる危険があるというので、見るも無惨に枝が払われていた。現在では大通りまでの地下道建設のため地上部の並木は全て撤去されている。北大キャンパスのハルニレも老木になると幹の中心部に空洞ができ、強風で倒れる危険があるというので、大分切り倒された。しかし、まだでんと構えた立派な木が沢山生き残っている。(写真)
子供の頃、薪切り薪割りをやらされたがアカダモは一番嫌いな木だった。繊維質が強く絡まり、乾くと堅くなり、すぐ鋸が切れなくなった。割るときには、大きなマサカリを力一杯振り下ろしても一度で割れるということは先ずなかった。しかも、一度食い込んだマサカリは薪から外そうとしてもなかなか外れず、仕方なく薪もろとも振り上げてへとへとになった思い出がある。木材にしても乾くと釘が曲がるほど堅くなるので、扱いにくい材料とされている。
一方で、この木の繊維を上手に利用したのがアイヌの衣服アツシである。ハルニレよりオヒョウの方が白みがかった強靱で長い繊維がとれるという。オヒョウの木は、葉のある季節なら簡単に見分けることが出来る。葉の形は基本的には楕円形であるが、楕円の葉の先が食いちぎられたように切り込みが入った葉が混じる。魚の大型のヒラメをオヒョウといっているが、どうやらオヒョウの葉の形に似ているところから来ているらしい。
朝日新聞社 「北方植物園」
辻井達一「日本の樹木」(中公新書)
佐藤孝夫「新版北海道樹木図鑑」 (亜璃西社)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵
~春日 順雄氏によるコラム~
8【ツユクサ】
先端の二本が本物、他は飾り雄しべ
ツユクサは人の心を惹きつける鮮やかで清らかな青の花を咲かせる。その清らかさが人に愛され文学にも登場する。徳富蘆花は『みみずのたはごと』のなかで、「花では無い、あれは色に出た露の精である」とたたえている。万葉集の歌には「ツキクサ」の名で出てくる。
ツユクサの花の青は水や光に弱くすぐに褪せてしまうが、花の汁を衣にすりつけて染めていた。その色は縹色(ハナダイロ)という言葉で今に引き継がれている。滋賀県草津市の木ノ川町付近では、ツユクサが突然変異して生じたオオボウシバナを栽培して青紙を作っている。友禅染の下絵の絵具として使うのである。
蜜を出さないツユクサの花には4本の飾り雄蕊と花粉を作る2本の本物の雄蕊がある。色鮮やかな飾り雄蕊を目指して虫がやってくるとすかさず本物の雄蕊が花粉を虫の背中につける仕組みである。 ツユクサは朝開き、夕方にはしぼむ一日花である。残念ながら虫が訪れず受粉の機会のなかった花がしぼむとき、雄しべは雌しべのほうに曲がって花粉をつける。他からの花粉を待ったが果たされないときには自家受粉をして命をつなぐのである。
ツユクサは畑に侵入すると厄介である。茎は地面を這い、節からは次々と根を出し茎を出す。引き抜いても根を出し茎をのばす。乾燥し、かなり干からびた状態でも蘇る生命力をもつ。
(文・写真 春日 順雄氏)
(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
仲間のプロフィール:石田 豊勝さん
技術向上と作業の安全を課題に
今年3月まで神奈川県藤沢市に在住し、NTT系列の会社に勤務していた。定年(管理職55歳)を機に故郷・北海道に戻り、グループ会社に再就職。
神奈川にいたころ、最先端技術を扱う職場で精神的な疲れが蓄積されていたからか、ある日、テレビで放映された間伐ボランティアの活動を観て、‘これだ!’と感じるものがあって…。気がつけば、毎週のようにイソイソと山へ向かう自分がいた。県や市が関係する団体、個人が組織する団体など4つの林業ボランティアに入ってしまったため、活動日数は年間50日~60日にも。
家に居着かなくても格別文句を言われることはない。むしろ、出かけなければ、「具合悪いの?」と心配されるくらい。それまでゴルフやテニスに入れ込んで、家を空けていたからかなぁ~。
神奈川では、チェーンソーなどの機械を使うことがなかったので、ウッディーズでは、これらを扱う技術レベルを高めていきたい。今ひとつの課題は、作業の安全を意識と体制の両面で更に徹底させることだ。このことは神奈川での経験から強く感じる。
80歳になる父親の介護も怠らず、ウッディーズを楽しみたい。
余録
今年も余すところ僅か。あれをしなければ、これもまだ終わらないと焦りまくる、いつに変わらぬ師走になりそうだ
▼マルクス・アウレーリウスは『自省録』の中で、「もし心安らかにすごしたいならば、多くのことをするな。必要なことのみをせよ。我々の言うことやなすことの大部分は必要事ではない。これを切り捨てればもっと暇ができ、いらいらしなくなるであろう」と言っている。その通り、だが、この人は奴隷制社会でもあった古代ローマの皇帝で、「必要なこと」だけをやっていれば良かったご身分。英明な君主だったが、奴隷や農奴の暮らしなど思いもしなかっただろう
▼為政者が民衆の暮らしなど意に介さないのは、悲しいかな現代も同じ。我が宰相が日々身をもって示してくれる。「下々の皆さん!」と、この人は初出馬の演説で聴衆に呼びかけたそうだが、「下々」の暮らしや気持ちが全く見えないようだ。職や住まい、病の治療など生きるために「必要なこと」から排除され、不安におののく人々にこの寒さは身に沁みるだろう。暖かさのない世の中だ
▼だが、我が私的空間に限って言えば極めて暖かい。ウッディーズの皆さんがつくってくれた薪のお陰でぬくぬくしている。揺らめく炎に見入っていると、不必要なことを切り捨てられず、益にもならぬことであくせくする、それはそれでいいじゃないか、と思えてくる。これも森の恵みである。(髙)