森林人通信

Vol.48 2008.11.1

森づくり・「木づかい」の楽しさアピール
 道民森づくりネットワークの集い

 10月25日、今年で4回目の「道民森づくりネットワークの集い」(主催・北海道、共催・北海道森林管理局)が 開催された。道庁赤れんが庁舎前庭いっぱいに「森のテント村」が開設され、約50の団体・企業が写真やポスターで活動の 様子を紹介したり、「木づかい」グッズや商品を展示即売するなど、それぞれに森づくりの大切さや楽しさ、木のぬくもりの 素晴らしさをアピールした。多くの親子連れや観光客などが各ブースを訪れ、展示資料を読んだり木工体験をしたり、 穏やかな秋の日を楽しんでいた。

「子供のころ、薪きりした経験ありますの」
(10月25日 道庁前庭  撮影・田中)

 ウッディーズはパネルや写真を展示して、持ち前の実践的な森づくり活動を紹介したが、「呼び物」は会場に持ち込んだ 直径10㎝ほどの丸太を「お客さん」にノコで輪切りにしてもらうことだった。
 悪戦苦闘して切り終わった人は、意外(?)に滑らかな切り口を撫でさすり、満足げにバッグなどに納めて去っていった。多くは1㎝くらいの厚さで、持ち帰ってコースターなどにするようだ。
 それにしても、ノコを手にして真剣に或いは楽しそうに木を切っていった人々の多くは、日ごろ、土に触れることもなく、木々のざわめきに身を浸すこともないのだろう。ノコギリ体験をした人の半分ぐらいは子どもだったが、この先、もし土もなく樹も生えていないネット世界だけが彼らの身の置き所になったら悲惨なことだ。関係者が連携して、森をつくる運動や森に親しみを抱かせる運動を発展させ、人が森と共生する社会を、との思いを強くした。
 「ウッディーズの持ち味を大事に守りつつ、他団体の活動にも多いに学ぼう」との会長挨拶を受けて散会した。


珍客 クマゲラ・ヒゲの小林さん 来訪
~10月 その他の活動経過~

【4日】 支笏湖「復興の森」・北山山林  17名参加
 支笏湖「復興の森」では、 ウッディーズが受け持った植林地で樹高成長と植生の調査を行う。そろそろ調査終了というとき、「キョーン」という大きい鳴き声。「クマゲラだ!」と沸き立つ。すぐ近くのトドマツに飛来して、あの姿形、あの色彩、そしてドラミングの音。初めて実物に接して大感激。目と耳にしっかり焼き付けた。
 昼食後、千歳・北山山林で枝打ち。慈愛のような秋光を浴びて快適な作業。林床に落ちる影が心なし伸びてきた。(この項  那須川記)

 

【11日】 北海道神宮境内林  15名参加
 今日は、サワラとオンコの枝打ち。時折、地面の落ち葉がカラカラと吹き飛ばされるほどの強い風が吹くものの、暖かい日差しが降り注ぎ、暑くもなし寒くもなしの作業日和。
 七五三の参拝者が多いので、参道脇の作業では回りに配慮する。
 高枝ノコで、付け根が10cmもあるサワラの枝を伐るのはしんどい。手をずっと挙げっぱなしで4mに延ばした重いノコを挽く。先端の刃から一瞬も目を離すことなく切っていると、首が痛くなってくる。 しかし、作業を「高枝ノコで切り落とす→小枝を払う→運びやすい長さに伐る→運ぶ」と一連の流れとしてスムーズに行うと、疲労の度合いが違うような気がした。
 休憩タイムに「ボリボリ畑」発見。こんな所に…、よくもまあ誰にも見つけられずに…。 (この項  高橋記)

 

【26日】  北の沢都市環境林  20名参加
   そろそろ雪が…と思わせる寒い朝だ。会員の車が次々と到着する。
先ずは、樹名板用に丸太を手ノコで薄く輪切りにする作業。盤渓小学校が森林学習の際に樹木に取り付けるものだ。3台の馬(丸太を載せて切る台)それぞれに直径20~30㎝の材を載せ、直角と斜めに切る。材を抑える人とノコを挽く人、人生(?)を語りながらの作業。時間はかかるけどチョッと楽しい。作成した円形と楕円形の40枚のプレートは切り口がうっとりするほどきれい!
 午後は風倒木の処理。環境緑地の西側の裾を回り込んで北へドンドン進んで作業現場へ。04年18号台風の「風の通り道」の「終点」に近く、北の沢の風倒木処理作業もそろそろ終焉か…?
この日、小林さんが何年ぶりかでヒョッコリ顔を見せた。任地の留萌からはるばる! 昨日別れた人のようにすんなり作業態勢に入る。何にでも違和感なくなじんでくれる不思議な人だ。
お昼どき、坂東さんからの差し入れ。お母さんらしいダイナミックなぼた餅だ。ごちそうさま~! (この項  那須川記)
森の時間

【一葉の輪廻】

一葉の輪廻

写真:沓間洋子

葉擦れの音も絶えた森に
微かな陽光を捉えて生彩に満ちて輝き
やがて 気まぐれな風に吹きちぎられて地に還る
今が過去になり 変転して時は連なる
その一点を証す かつてあった景の記憶

命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵 
~春日 順雄氏によるコラム~

7【サルナシ(コクワ)】

コクワ雄株

 和名がサルナシ、別名で「コクワ」と呼ぶことを知ったのは、かなり大人になってからである。子どもの頃、「コクワ採り」に、友達と誘いあって山に出かけた。だから、実の着くもの着かないものがあることは十分承知していて、雌雄異株とばかり思い込んでいた。  自然観察案内駆け出しの頃であった。「コクワは、雄株と雌株があり、雄株には雄しべ、雌株には雌しべだけがつきます。」と説明して、「雌株」の花をを見てびっくり。何と、雌しべと雄しべがあった。雌株でなく両性花の株だったのである。悔しい思い出である。

コクワ中性花

 サルナシは、雄株と両性花の株のツル性の木である。両性花には退化して花粉を作らなくなった雄しべがある。この雄しべは昆虫を呼び寄せるなどの役割をしているらしい。なるほど、自然に無駄なしである。 花時のサルナシ。雌花は、1~3個、まばらに見えるつき方である。雄花は、3~7個が群がってつくという感じである。 雄花の散り方は思い切りがいい。花の柄のところから丸ごと、落下する。これから実を稔らせる大事業を控える雌花は、花びらだけが散り落ちる。  山道に散り敷くサルナシの花を見て、頭上に繁茂するのが雄株か両性花か、と思いを巡らせることも楽しいものである。 マタタビ、ミヤママタタビも雄株と両性花の株である。実は両性花の株のみに着く。 

(文・写真 春日 順雄氏)

(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

山中林思 
~東前 寛治氏によるコラム~

7【地租改正と入会権の変容】

~小繋事件を通して~ (その二)

 前回は、地租改正の様子とそれに伴う入会権の変化を小繋事件の概要を通して述べたが、今回はその中に含まれている問題点について触れていこう。「明治と年号が変わり、地租改正により各自で山林を保有することとなって税の負担もあったが、山林の利用は江戸時代のそれと原則的には戦後の昭和30年代後半あたりまで変わることはなかった。」 しかしこれは、山林の所有者と利用者が同一の場合であり、事実、 小繋の集落でも地租改正による変化は、当初極めて些細なものだった。

 旧時代は無税だったが、年20円前後の地租は村民が各自50銭足らずを地頭である立花喜藤太方に持参して、喜藤太から受領証をもらう。それだけのことで、小繋山の利用状況は全く以前と同じだった。もともと小繋山は南部藩の「御山」とされ、制札、ナタ札、鎌札の必要がなく、地元村民が自由に立ち入って草木を採取していた山であった。従って旧庄屋の立花喜藤太が村民を代表して小繋山の地券を受けたのは、あくまでも名義上に過ぎず、一人一人の地券交付となっては各自が家の相続に当たって証紙代がもったいない…とかいう事情もあったようだが、代表者の交付にしたのは岩手県の方針も絡んでいる。

 新生岩手県は、山林原野官民所有区別処分を、努めて民有にする方針を打ち出した。一方、山梨県は、官有化強制の方向で臨んでいる。それは民有申請を行わず「官有地」として無税のまま従来通り収益する方が、出費が少なくて済むからであった。では、岩手県の民有化促進の理由は何か?

 明治8年2月の「各戸長・副・組総代宛」の県の通達には「売買商人ナキモノハ保証人ヲ立テテ出願セシメ、依ッテコレヲ民有トナシ」とある。

 本来なら村というより村民総体の名を一枚の地券に記載し、数十名もしくは数百名共有の名義で発行すべき所を、村方有力者もしくは数人として実は村持山山林原野の大部分を個人所有形式に導いた…と言えるのではないか。当座の手続き上その方が速くて楽、それに保証人さえいれば個人所有にできる、ただ名義上だけ…。もし県の役人が村の上層部にのみ意図的に達しを伝え、個人所有化を促進したとすればその責任は重い。所有権の保持がどんな利益を生むかは、後日明らかになることだとは言え…。

 また国税を増やすか、民の財力の温存を図るかという視点でも考えられるが、戦後入会権の問題は富士山麓や内灘の基地闘争で再燃し、入会権より国家の行政権が優位に働く方向で収束が図られていく。小繋事件の原告敗訴もその延長線上で処理されたと言えるだろう。

 ちなみに明治5年、北海道開拓史は「北海道地所規則」を公布、「深山幽 谷人跡隔絶の地」以外は、山林、川沢、従来アイヌ民族が狩猟、漁労、伐木に利用してきた土地であっても国家が取り上げて和人に払い下げ、地券を与えて開拓を進めた。昨日まで利用できた山野が、ある日突然出入り禁止となりそこへ開拓者がやってくる…という場面を数多くの文学作品から知ることができる。北米でも満州でも、また朝鮮でも見られた光景が、かつて北海道各地の山林原野で行われたことを忘れてはいけない。

参考文献
戒能通孝「小繋事件」(岩波新書)
「新版北海道の歴史 下」(北海道新聞社)

(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

森の本棚

「21世紀を森林の時代に」

天野礼子、山田寿夫、立松和平、養老孟司共著 (北海道新聞社)
 

食べていかれる林業を

★林業革命の仕掛け人
4人の共著であるが、中心は現役技官である山田寿夫(北海道森林管理局長)。九州森林管理局長時代、九州で林業革命を起こして話題となった人物である。

★新流通・加工システム
氏が林野庁木材課長時代に、低迷する国産木材の需要拡大を目指して考えたテーマの一つ。それまであまり利用されなかった曲がり材や間伐した小径木(B材と呼ばれる)を、集成材や合板の原料として低コストで、大量に安定供給する方法である。直材と曲材の両方を挽ける大規模木工場に原木を送り、直材は住宅用、曲材は合板の原料として出荷した。原木運搬には従来の15~20トントラックに代わって25~30トンの大型トレーラーを使った。また木工場には、自動選別機を設置して、従来、山元で1本ごとに人間が調査選別していた作業を省略した。これによって、従来法に比べ70%のコストダウンとなった。

★新生産システム
氏が本庁の計画課長時代に考えたシステムで、先ず低コストながら崩れにくい路網作りを目指した。従来のブルドーザー方式ではなく小回りのきくバックホーの利用が中心となった。切るべき木を全数検査後に間伐するのではなく高性能機械による列状間伐を採用して、作業効率を上げた。捨てられていた小径木や曲がり材も回収して利用率を上げた。山元で1本ごとに行っていた選別仕分け、記録などは、前述の如く木工場の自動選別機に掛けることで省略できた。

★森森林認証制度度
第三者機関が基準を定め優秀な森林と認証する制度。この制度は日本ばかりでなく国際的に採用されている制度である。認証林の原木から生産された木材や木工製品には、ラベルが貼られ住宅業者や消費者が選べるようになっている。山田氏の前任地九州では、既に認証林住宅50棟が販売されている。現任地の北海道でもオーツク紋別地区で、国有林、道有林、民有林を含めた大規模な認証林が生まれている。

★林業再生
山田氏は「生業(なりわい)としての『林業再生』を目指す」と題する一章で、豊かな森林資源を有し長い歴史のある林業を、食べていかれる仕事として再生したいという強い意欲を表明している。  (中野常明)

私はこんなひと

仲間のプロフィール:宮本 健市さん

 創立会員でありながら、その「正体」は歴然としない。寡黙さ故に、自らを語ることが少ないからだ。しかし、こと自然観察となるとたちまちにして雄弁、その説くところは極めてわかりやすい。わかりやすさの秘訣その一は、ポケットやバッグから次々と取り出しては示すサンプルだ。瓶詰めあり、袋詰めあり、美麗なる写真あり、さながらマジシャンの如し。「植物を説明するにはサンプルが最も有効」と言う。高い木の上にあって見えにくい花も、大きく明瞭な写真にすると一目瞭然だ。
 種を集めるのが一番の勉強と、3年前から始めて木本120種、草本110種以上のタネを収集した努力の人でもある。
 植物に興味を持ち始めたのは、あのヒゲの小林さんに木の名前を教えられた(クイズ形式でいじめられた)ことからと言う。元は航空自衛隊気象隊勤務。気象観測や気象情報の収集・伝達等が業務で植物とは無縁だった。ご自身が、6~7年の努力で一流の自然観察案内人なれるという生きた「サンプル」でもある宮本さん、今日はどこで誰を相手にマジックショーやっているのかな。

木霊(こだま) 読者の便り

 新装なったホームページで、不特定多数者への強力な宣伝媒体を獲得しましたね。「紙」の「森林人通信」には、情報量には限りがあるものの、「紙」で届く暖かさがあり、両々相俟ってウッデイーズの広報は磐石のように見えます。(非会員 Tさん)
 「山中林思」、かなり読みやすく、解るようになりました。原野商法で大勢の地主が生まれてしまい、荒れた森林の手入れもできない現状にも思いがおよび、気持ちが沈みます。(Aさん)

余録

 経済価値のある森などは最初から思いの外、自分の「憩いの場」であればいい、と始めた森づくりである。小径をつくり、のんびり歩くだけで充分楽しかった。それが、保育園の親たちと遊びの空間をつくったら、2歳の子どもまでが平気で坂道を登ってきて、時を忘れて遊んでいくようになった。卒園児が「クラス会」をしにやって来た。教師に伴われて小学生が課外授業に来た。PTAが親子ピクニックに使わせて、と言ってくる。「小学生の孫に、絶対に行ったらいいよ、と言われて…」と老夫婦が杖を手に登ってくる。家族連れも来る。中年のオバさんたちが熊よけの鈴も要らないほど賑やかにやって来る。

ルナ

愛くるしさと野生と…

 最近の一番のお客さんは近所のルナちゃんだ。朝夕の2回、時には昼も、来る。そこら中を駆け回るルナに、若い「父親」は「そっち行ったらダメでしょ~。危ないよ~」と猫なで声で目尻を下げる。親バカ丸出し、愚かしい、と冷やかしているうちに、やがて気がつけば、こちらまで孫を迎える爺さんのように「オー、ルナちゃん、来たか来たか」と相好を崩している。ルナもキスしてくれたり、「お手」をしてくれたり…。ア、ルナは生後3か月のアイヌ犬ね。

 薪ストーブ人気と燃油高騰の折柄、薪を取りに来る人も増えてきて、ワオーの森は「入会地」の趣である。「貨幣には転化しないけど、経済価値、結構あったじゃない」と得をした気分もある。隠居老人の秘かな楽しみと考えていた我が森づくりは、実は、多くの人と共有できる、より大きな楽しみだったのだ、との感を深くしている。

<< 前の号へ    次の号へ>>