Vol.47 2008.10.1
室蘭へ遠征!
会員の夢の実現 みんなで後押し
今年の9月は夏日が連続する(18日の小樽などは真夏日!)という異常。ウッディーズは、そんな暑さもものかわ、定例活動に加え2回の臨時作業を実施した他、各種の催しに参加した。まず、臨時作業の様子から。
■9月の活動経過
【9月14~15日】 室蘭市・下山山林 11名参加
室蘭市の郊外、緩やかに展開する傾斜地・約8haが下山さんの所有地。ここは元牧場で、畑地あり、山林あり、水飲み場まであるが、大半を占める牧草地は長いこと放置されていたために荒れ放題。相当の手入れが必要だ。
しっかり働いたから美味しくて、楽しくて…
( 9月14日 下山山林)
下山さんの夢は、早い機会にここへ「スーパーハウス」を持ち込んで腰を据え、椎茸や野菜を栽培することだ。
1日目の作業後は、米沢牛、白老牛、そして秋味と豪勢に食べて、飲んで、思い出に残るような宴に酔う。仲秋の名月がおぼろに浮か浮かぶ夕べだった。
【9月23日】 ワオーの森 15+3名参加
昨年に引き続き、薪割りと林床整理の支援。
昔とった杵… ならぬ マサカリを手に
( 9月23日 ワオーの森)
地域の若い人たちも参加したが、その一人の曰く
「ウッディーズの人、ホントに元気で歳を感じさせない。作業中も皆さんに優しい言葉をかけていただき、勉強になる話も聞かせていただいて、来て良かった! の一言でした。
ワオーの森はパワースポットですね!沢山の元気を貰いました!」
その他の取り組みは以下の通り。
【9月11日】 秋山記念生命科学振興財団贈呈式 会長出席 活動紹介パネル展示
【9月13日】 北の沢都市環境林 15+2名参加
【9月24~25日】 チェーンソー技術講習会 6名参加
【9月28日】 北海道神宮境内林 15+2名参加(参加者の+αは会員外参加者)
【イロハモミジ】
写真:沓間洋子 撮影地:南区澄川 紅桜公園
北海道の秋は、木々が山野を染めて命の限り燃え立つ。西日本に勤務していたころに見た彼の地の紅葉は茶色にくすんでいて、これは! と思うような紅葉に出くわしたことはなかった。北海道は、春の桜では一歩も二歩も譲らざるを得ないが、秋の紅葉は鮮やかさにおいて他の追随を許さない。赤と黄色にマツの緑、それに峠などで雪の白さが加われば、もう北海道限定版。
イロハモミジの紅葉は多くは赤だが、生育条件や個体差により黄葉するものもある。(髙)
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
Vol.17 【イタヤカエデ】
漢字では板屋楓と書く。枝が大きく伸びて板屋根を張ったように茂るところから付けられた名前。葉は他の楓類に比べ切り込みが浅く秋には黄色く色づく(変種には赤くなるものもある)。真夏には、気持ちの良い木陰を作ってくれるので、わが豚児等は、その下にござを敷いて風に吹かれながらよく昼寝をしたものである。
薪材としては、最上級の部類に入る。材が緻密で、堅いので火持ちが良く木炭の原料にもなった。幹は真っ直ぐ伸びるものが多く薪割りは楽な方であった。但し、乾き過ぎると堅くて釘が曲がるぐらい堅くなるので、なまくら鋸では歯が立たない。鍬、まさかり、鉈などの農具や道具類の柄として又くさびの材料としても利用された。昔の単板スキーには、選手用のヒッコリーを除けば、殆どイタヤ単板が使われた。
3月末から4月にかけて、樹液が増える。夕方枝先を折っておけば、翌朝小さな甘いつららが下がっている。早起きして、このつらら集めをした思い出がある。イタヤ以外の楓類も春先に沢山の樹液を出す。それを煮詰めたのがメーププルシロップである。
札幌市の街路樹としても植えられている。カエデ類全体で約12,000本で、数から言えば5番目に多い。街を歩いていると時々お目に掛かるが、あまり元気の良い木にあったことがない。車の排ガスと水不足に痛めつけられているので、秋の黄葉もあまり美しいとは言えない。お奨めは、大雪山系、天人峡は衣の滝への道で見られる大木である。
【参考図書】
・辻井達一「日本の樹木」(中公新書 )
・佐藤孝夫「新版北海道樹木図鑑」(亜璃西社 )
・朝日新聞社編「北方植物園」(朝日新聞社)
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
山中林思
~東前 寛治氏によるコラム~
Vol.7 【地租改正と入会権の変容】
~小繋事件を通して~ (その一)
前回は、封建社会の完成に伴い山林の所有と利用を巡って各地に入会地が形成されたことについて述べた。今回は明治近代国家の成立による山林の変化について触れる。
明治6年(1873年)明治新政府は、幕藩的領有権を否定し私的土地所有権を法認した土地改革を進め、財源基盤を確立する租税改革を断行した。これを地租改正と言い、そのねらいは「旧来ノ歳入ヲ減ゼルヲ目的ト」することにあり、近代常備軍の創設、近代工業及び運輸・通信施設の移植・育成、はては秩禄公債の財源まで、明治10年代政府租税収入の約60~80%が地租でまかなわれた。納税者は土地を所有する農民が殆どで、地価の3%が地租とされたが、その高負担に各地で一揆が発生して自由民権運動の温床となる。
明治9年以降、山林原野に対してもその所有者を判定し、所有の確かなものには地券を交付して所有の確証となす反面、所有の証拠を出し得ない山林原野はすべて「官有地」に編入することとした。この「山林原野官民所有区別処分」により、従来の入会地・秣(まぐさ)場等に関する所有関係は大きな変動を余儀なくされた。まず、(1) 多くの山林原野は官有地に編入され、その後従来の共用権利者はその地の使用を拒否された。一部の山林原野は、(2) 共用権利者の構成する村名義で地券を交付された(その後の村落統合により、混乱が生じた)。(3) 山林・秣場の所有権を証明するため、村民の代表者を定め代表者名義で地券を受けた。(4) 共用権利者全員が地券面上の所有者として、その名を列記した。
入会権を巡る訴訟で著名な「小繋(こつなぎ)事件」は、上記(3)に該当する。岩手県一戸町小繋集落では、実測2,000町歩の入会地が地租改正によって「民有地」と認められたが、地券が部落の代表者・立花喜藤太名義で発行された。その後、小繋集落の地頭であった立花喜藤太は、明治30年に小繋山の所有名義を柵山梅八・村山権十郎・山口清吉の三名共有に譲る。更に翌年一戸町金子太右衛門が小繋山を買い取り、明治40年には、茨城県那珂湊の鹿志村亀吉が金子より譲り受けている。そして大正4年6月に小繋集落が大火にあい、旧記録・証書類が消失してしまう。集落再建のため小繋山の伐採を試みたところ「俺が買った山だ。これは部落の山ではない。一木一草といえども山の木を勝手に伐ってはならない」という鹿志村との間に紛争を生じ、入会の慣習と所有権の間で訴訟となった。裁判は三度、足かけ50年をかけて争われたが、その概略を述べる。
大正6年に提起された「入会権確認訴訟」は、盛岡地裁、宮城控訴院、大審院を経て原告村人側が敗訴。次いで昭和26年、再度の盛岡地裁判決で入会権を認めたものの、所有権の時効取得を確認して原告敗訴。この際の調停の可否を巡って昭和30年森林法違反の刑事事件が発生し、昭和41年村人側の有罪が確定した。(以下次号)
【参考文献】
・戒能通孝「小繋事件」(岩波新書)
・篠崎五六「小繋事件の農民たち」(勁草書房)
・国史大辞典(吉川弘文館)
・岩波日本史辞典(岩波書店)
(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
仲間のプロフィール:佐藤 恵美子さん
本業はニット・デザイナー。ブラウス、スカートからウェディングドレスまで多彩なニット(編み物)製品の企画から製品化まで手がける。主宰する教室で指導するほか、「毎日新聞」主催のファッションショーや市内のホテル・デパートなどで催される展示会に作品を出品する。最近は、安価・良質な中国製品との競合を強いられているが、持ち前の負けん気で頑張る。
7年前、脳内出血で倒れたご主人を付きっきりで介護。その甲斐あって今は元気になったご主人が今度は所を厭わず車で送り迎えしてくれる。もちろん、ウッディーズへも。つまり、ご主人と二人三脚での活動参加、ということだ。
このごろ、料理に使われている木の実や古い木造建築を見ると立木が目に浮かぶ。ウッディーズに入会してから、心の視線が我知らず木に向かっている。
余録
「タイトルバックの写真の昆虫も名前を知りたい」というAさんのメールが気になって、小樽市総合博物館にY学芸員を訪ねて伺った。「アトボシハムシです」と、いともたやすくお答えいただいた。
ハムシ科。山地の草原でよく見られ、植物
(写真ではミヤマニガウリ)の葉や茎を食べる。
改めて見つめていると、暑さの一夏を生きて今はもういないこの昆虫に、得も言われぬ懐かしさのような思いが湧いてくる。「生命現象が生み出すかたちの美しさ」も感得する。 木野田君公『札幌の昆虫』(北大出版会)によると、同書に収録した昆虫を採集した圏域(札幌市・小樽市・石狩市の石狩川左岸側)は、北海道で最も昆虫が豊富な地域の一つだという。圏内の地名を冠した昆虫(サッポロフキバッタ、ジョウザンシジミ、モイワサナエなど)が100種類以上にのぼり、「『エゾ』などといった広い地域ではなく、狭い場所の地名がこれほど多くの昆虫名に使用されている場所は国内では他にはなく、札幌が日本の昆虫学の発祥の地であったことがうかがえる」ともある。
俺は由緒ある場所に住んでいるんだな~、と良い気持ちになりかけたが、「このように、色々な昆虫が生息する重要な地域ではあるが、草原、荒地や湿地の大部分は開発され、低地の昆虫は激減し圏内では見られなくなった種類も少なくない。平野部では、これに代わって街路樹、庭木、野菜などを食べたり、人工的な環境にでも適応できる昆虫や外来種が侵入しつつある。また、山地や丘陵地においても、砂防ダムや河川改修工事が継続して行われ、清流に住むトンボ、水生昆虫類や河川沿いに生息する昆虫なども減少の一途を辿っている。」との厳しい指摘に粛然とする。