Vol.44 2008.7.1
下草の茂りに 負けない
広大な植林地、刈払機のエンジン音が響く
- どろ亀さん記念・当別22世紀の森 -
‐うなる刈払機、したたる汗‐
野山が万緑に染まる6月。草木の勢いに促され、ウッディーズの活動も勢いを増す。当初は予定していなかった28日(土)にも出動し、結局、第一週から全ての週末が活動に当てられた。
■6月の活動経過
【6月6日】 北海道神宮 境内のヨーロッパアカマツ林の下草刈り。18名参加。
【6月11日】 札幌南高学校林で高校生にトドマツの枝打ちを指導。「森の仕事が好きです。ウッディーズの作業に行ってもいいですか?」と言う生徒さんがいた。大歓迎! 会員4名参加。
【6月14日】 新山川草木を育てる集い「どろ亀さん記念・当別22世紀の森」で下刈り作業。3時過ぎまで粘り、5㌶までもう少し、というところまで頑張る。刈り払い機12台、大鎌1丁、手鎌1丁をもって14名が参加。
【6月22日】 当別町茂平沢河崎山林のアカエゾマツ(1㌶)下刈り。炎天下、汗をぬぐいつつ作業。9名参加。河崎さんのお話 植栽後から今回まで7年にわたる下刈りで、アカエゾマツは草丈を超えるまでに生長しました。今後は自分で生きていけると判断し、本年を最後に下刈りを終了いたします。ありがとうございました。
【6月28日】 北ノ沢登山口に近い「美山荘」の高野幸太郎さんの植林イベントを急遽支援することになり、そのための地拵えなどを行った。昼食には、「美山荘」でバーベキューなどのご馳走にあずかる。イベント「マイ苗で環境に関心を 植樹会」は洞爺湖サミットに連動して、7月6日に実施される。
矢村さん 秋田へ
ウッディーズに多大な貢献をいただいた矢村さんがニセコを引き払って秋田へ引っ越される。05年、脆弱な財政と装備に泣いていたウッディーズは矢村さん率いるコンサベーション・アライアンス・ジャパン「アウトドア自然保護基金」から助成金をいただいた。この助成がウッディーズの活動内容・技術水準の向上をもたらす起爆剤となった。矢村さんはウッディーズの活動に共鳴し自らも汗を流したいと入会され、悠々たるライフスタイルで我々に多くの示唆を与えてくれた。併せて感謝申し上げたい。メンバーの間から、「白神山地と矢村さん家を訪ねるツアー」を、と再会を望む声しきりである。
元気一杯 青柳さん
4月に道立林業試験場 道北支場へ転勤した青柳さんからの近況報告。
女子職員が珍しいのか、お巡りさんやガス屋さんなどに、「前はどこに? 親は?」等々の質問責めにあいました。
支場はフルメンバーが3人ということもあり、カラマツの人工交配や土壌や林内照度の調査、高齢者学級の森林教室など美唄の頃よりも忙しくて…。 先日、林床にかがみ込んで広葉樹の稚樹を探す調査でウルシにかぶれ、おでこが悲惨に腫れ上がりました。
楽器の方は、片道160kmを運転し旭川のオーケストラに通って続けています。美唄の楽団も本番だけお手伝いに行っています。
中川町は、山菜採りや釣りの穴場、天塩川の美しい夕暮れ、大雪山系並の満天の星空などが楽しめる自然豊かな町。是非、遊びに来てくださいね!
フォーラムで提言
河崎会長が「協働の森づくりフォーラム」(6月6日 道民の森)で、ウッディーズの理念と実績を披瀝しつつ、森林ボランティア活動のあり方と課題について提言した。【北大演習林】 写真:沓間輝男/洋子
演習林の一角に湧出し林内を貫流する幌内川
-その遊水池と水紋
空の青も 木々の緑も
原初の清澄も 世の汚濁も
万物を映して流れる-水
何ほどのものでもない
おのれ自身の影も映って…
木を友に
~中野 常明氏によるコラム~
15【ハクウンボク】
高さ15m、直径30cmになるエゴノキ科の高木。葉は円形~広倒卵形で長さ10~20cmと比較的大きい。そのためか別名ハビロ(葉広)とも呼ばれる。葉の裏には星状毛が密生していて白っぽく見える。花は総状花序を作って6月頃下向きに咲く。白い花びらは5枚で深裂する。秋には軟毛を被った実が付き、中には褐色の実が一つある。日本各地に分布し、道内では道東、道央、道南の太平洋岸に多い。樹皮は黒っぽく滑らか。材は緻密で弾力があるので、彫刻、器具、ろくろ細工などに用いる。
この木に出会ったのは、20年程も前のゴルフ場だった。とんでもない方向にボールを曲げてしまい、探しに行った先で、真っ白に花を付けている1本の木を見つけた。今まで見たことのない木に見惚れていて、キャディに呼び戻された。家に戻ってから図鑑で調べ、ハクウンボクと分かった。花が木全体を覆うように咲いていたのを思い出して、ハクウンボクという命名に納得した。
その後、この木に対面する機会が沢山あった。北大植物園、大通公園、知事公館の庭、芸術の森美術館の前庭、ウオーキングの途中にある小公園、ワオーの森等々であった。気を付けてみていると発見できるが、漫然と見ていると見逃すことが多い。植樹数は少なく札幌市の広葉樹の並木としては、ベスト18に入っていない。丸い葉は愛らしく、夏には立派な日陰を作る。房状に咲く白い花は清楚だ。実はギンナンの果肉を落としたほどの大きさだ。丸々としていて子供がおもちゃにしそうだ。一度、実を拾ってきて庭に埋めてみたら、発芽率は10%程度。これでは苗木屋は儲からないだろう。
3~4年前に藻岩山北の沢の登山道沿いに10数本のハクウンボクを植えた。酪農大学の学生さんが手伝ってくれた。余りよい苗でなかったのと手入れ不足で、後の成長が良くない。横に枝を張る習性があり雪害を受け易く分枝点から裂ける。従ってこの木の大木を見ることは少ない。ところが先日、南高の学校林手入れの手伝いの帰途見事な大木に出会った。白旗山の営林事務所近くで、直径20cm、高さ10mの独立木が1本見事に花を付けているのに出会った(写真)。流石専門家、育て方が違う、と感心して帰ってきた。
【参考図書】
・佐藤孝夫「新版北海道樹木図鑑」(亜璃西社 )
・宮部金後他「北海道主要樹木図譜」(北大図書刊行会)
・鮫島淳一郎「北海道の樹木」(北海道新聞社 )
(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
湖底より湧くごとく見え白雲の映る支笏湖ただに明るし
原 公子
林床の明るきうちにと草踊る舞鶴草が踊子草が
中野常明
園児等に小道を整え山に呼ぶ準備に励む好爺の友は
中野常明
西空の雨雲の間にわづか見え凝縮されし残照光る
高橋千賀
山中林思
~東前 寛治氏によるコラム~
5【山林は駆込寺!】
戦国時代、「山林に走入る」とは、駈込寺に逃げ込むことを意味した。この場合、「山林」は寺院を指すのだが、中世前期には山林がアジールであった。アジールとは、「外敵の攻撃から免れうる不可侵性を帯びた特定の地域・人・場所」をさし、特に場所については「避難所」「平和領域」と訳される。
そこで、領主の無謀な振舞や課税から逃れて敢行する「逃散」で村ぐるみこもったのが山林であり、主人の支配を逃れるために下人・所従が立てこもる場所として選ばれたのが山林であった。無論、「駆落ち」にも使用された。山林に入ることでそれまでの主従関係、親族関係等々のしがらみ、世俗の縁と断絶することができた。無論それは、別なあるいはより強大な権威者の力に寄り添うものではあったが、当座の責め苦からは逃れることができたのである。
森鴎外の小説「山椒大夫」の中で、安寿が逗子王を山林の寺へと誘っているのは、その一例である。もし、国木田独歩がこの時代に生存していたら、やはり同じ感慨を詠ったことだろう。「嗚呼 山林に自由存す」
一方、山から山へと行き来をする人々も、諸国往来自由のフリーパスを公認されており、勧進上人・修験者・山伏等に加えて、連歌師・茶人、鋳物師・魚売人等の芸能民や商工民もその仲間であった。
文政11年9月8日、鈴木牧之は平家の落人村という言い伝えのある秘境秋山郷を訪れ、「秋山記行」を著した。牧之は越後魚沼郡塩沢村の縮商人で、雪国の風俗について述べた「北越雪譜」で有名である。越後から国境を過ぎて信濃に抜け、湯本(切明温泉)で、牧之は秋田藩領から稼ぎに来ている猟(漁)師に出会う。
彼らは背に熊の皮、前に熊の皮で作った胴乱を下げ、鉄張の大煙管で煙を吹き出す偉丈夫。米と塩のみで深山幽谷を栖となし、猪・熊・鹿を獲り、岩魚を漁して食すると共に上州草津に卸す。山の幸を糧に商いをして諸国を渡り歩くという。秋山郷の生活も浮世離れをしているのに加えて、この秋田の猟師の暮らしに驚かされる。 封建社会の完成と言われる江戸時代、国内の往来は制限され、特に「入鉄砲に出女」は関所で厳禁であったし、「お伊勢参り」が唯一旅行の口実であった。それなのに遠く秋田から長野まで出稼ぎに来て、群馬・長野・越後を縦横に行き来する猟師、これこそアジールの系譜をひく民の生き様であったろうと思う。
中世から江戸においても、山林は半ば自由の地、駈込寺であった。ひるがえって、現代はどうか? 限られた山菜の集中採取、入林税に環境税、乱伐と放置の果ての荒廃…。
はたして、ゴーギャンではなくとも「われら何処より来たり、何処にあり、何処に行くや?」
【参考図書】
・岩波日本史辞典
・網野善彦「無縁・公界・楽」(平凡社選書)
・鈴木牧之「秋山記行・夜職草」(東洋文庫)
(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
余録
★ウッディーズでは、作業中の落とし物はみんなで捜す。そして、「失せものは必ず見つかる」という神話めいた実績があり、編集子は幾たび助けられたことか。しかし、6月8日北海道神宮での落とし物は、よりによって…。皆さんに言えなかったが、作業終了後、少し離れた駐車場まで道具を運んでくれたWさんに、歩きながら打ち明けてしまった。「探しましょう」と言ってくれる彼女と現場へ立ち戻り、一緒に探してもらった。翌日も出かけていって探してみた。見つからなかった。大事なモノを不用意に胸ポケットなどに入れたりするうかつさ。亡くしたものに費やした時間とお金。思うだに悔しい。何度繰り返せば気が済むのか…
★その夕、お通夜があり、帰途の車中、無念さを紛らわしたくて同乗の友人に顛末を話した。聞き終わった彼女曰く「高川さんの弔辞 決めたわ。聴いて ―故人はウッディーズを愛し、少しの木を植え、多くのモノを落としました。時計、眼鏡、よりによって入れ歯まで。そしてこの度、命を落としました」
★二週間後、伐木中に足を打撲して歩行がままならなくなる。時あたかもまた知り合いに不幸があり、同席したくだんの女性、足をひきずる姿を見て、「弔辞」に一節を追加すると言う。「晩年、手足を傷め肢体不自由爺となり…」
★ウッディーズのNさんから「手の方が良くなってきたと思ったら今度は足ですか。次は頭辺りかも。注意して」と追い打ちメール。忠告がチョッと遅かった。頭は、既に…
★ところで、ウッディーズのみんなが本当に探しているものは何だろう― 失われた里山、森と人との連帯、自然への畏敬…? そして、それらを求めて行うささやかな営み、気の良い仲間たちとの交わり…?