森林人通信

Vol.94 2015.4.1

第14回総会を契機に 活動を更なる高みへ

調査活動を重視する

 3月14日(土)、ウッディーズ第14回総会が札幌市Lプラザで開催された。活動経過及び方針の眼目は、山林調査活動の定着化であろう。それにより、会員個々と組織としてのウッディーズが、森を科学的に評価し、適切な施業を進める力を身につけていくことが期待される。
 参会者からの、KY(危険予知)活動を導入するべきだという提起に対し、ノウハウについては知見があるのでサポートが可能であるという応答があった。頼もしい! 救命講習の受講を制度化すべしというもう一つの提案と併せ、事務局として対応を検討することとした。

街路樹の「呻き」を聴く

街路樹たちの「苦悶」が紹介される(3月14日)

小樽市桂岡町のカツラ

 議事終了後、会員のプロカメラマン・Kさん撮影の作業風景がスクリーンに映された。作業中あるいは休憩中の会員が良い表情に撮られていた。活動の楽しさを象徴するような画像を楽しんだ。
引き続き、森林インストラクターでもあり樹木医でもあるKK会員による「樹木のボディランゲージ」と題する講演を興味深く聴いた。
 KKさんが札幌駅など身近な場所で写した街路樹、それは日ごろ何気なく見ているものだが、過酷なストレスを強いられている有り様が多くの例で示された。根周りをアスファルトで完全に覆われたり、樹形がバオバブのようになるまで枝を切り落とされたり、正に「植物虐待」と言うべき仕打が加えていることに今更ながら気付かされた。
 我々は、樹木が発する「ボディランゲージ」をしっかり見なければ…と痛感させる講演だった。
 KKさんは昨年末から開始された「山林調査ワーキンググループ」の講師も務めているため、これまでの活動内容についてもあわせて報告された。

「山林調査WG」、フィールド実習へ

機器を用いて計測実習(2月21日)

 12・1月の2回の座学を終え、2月の3回目からはフィールドでの樹騠測定や標準地調査など実習の段階へと進んだ。4回目(3月28日)の高川山林では、併せて、樹形や内樹皮から樹種を特定する方法についての指導もあり、参加者の関心をそそった。
 それ以上にそそられたのは、KKさんが企画した雪上のジンギスカン鍋である。
 雪の上に木を積み上げ、その上に枯れ木を載せて着火し…、画像のような仕掛けとなる。雪中の熱いメニューにこの上なく盛り上がった。

内樹皮で樹種を特定する(3月28日)

樹形で樹種を特定する(3月28日)

初体験にチョットはしゃいで(3月28日)

初めての雪上ジンギスカン鍋!(3月28日)

ウッディーズが関わった森 写真雑誌、2誌に

 「DAYS JAPAN」1月号(古っ)で植苗病院の散策路が、そして、3月発行の「faura」で大島山林が紹介された。その整備に些かでも与った森が描かれてる…、少し嬉しくなって何度か読み返す。

「かたくりの里 とうべつ」「グリーン・ビズ」に認定

ペレットストーブ1台で全室暖房

 ウッディーズ会員・大澤さんが経営する大澤産業(http://www.ohsawa-ap.jp/)が「環境に配慮した企業(グリーン・ビズ)」として北海道から認定を受けた。

 環境配慮型の賃貸住宅「次世代型エコアパート」の 構造材に道産木材を100%使用、断熱材の素材に道内の林地残材や間伐材を使用したこと、ペレットストーブ1台による全室暖房、噴火湾のホタテ貝殻を活用した漆喰壁などが評価された。 
 同アパートは前庭に専用の家庭菜園を用意し、室内と菜園をつなげる土間には江別産の蓄熱作用のあるレンガを用いたほか、菜園用に雨水タンクを設置。また、入居者には町内会への加入を促すなど、地域コミュニティの形成にも配慮している。

道産材の梁と丸柱、
ホタテ貝殻を活用した漆喰壁

 

「森」を食べちゃう

かもめ保育園の子どもたちにとっては、楽しく遊んだ思い出がいっぱいの「ワオーの森」(高川山林)。それを子どもたちに「丸ごと食べさせたい」というお母さんたちと職員の思いを形にした特別メニューがテーブルを飾る。なぜだか、ひと山むこうの「はるか小屋」も引っ越してきている? 木も草もキノコも階段もみんな食材だ。石ころ だって食べられる。
子どもたちが「うまい。うまい!」と食べ終わったときには、「ワオーの森」は「更地」になっていた !

随想 「福島」を訪ねて (1)  高原 久美子

堆積する除染廃棄物と動き回る重機
(手前の白い部分は周囲にめぐらす塀)

 11年3月11日の大災害から4年が過ぎ、被災地はどうなっているのだろうか。立ち入り規制が部分的に解除になった地域への視察ツアーに参加した。

 福島県南相馬市小高地区は、津波にさらわれたその上に放射能が降り注いだ。地元福島交通のマイクロバスは、通行禁止の柵を警備員が少しずつずらしてくれる中を海岸近くに進んでいく。かつてそこに何があったのかもわからないほど荒れ地と化し、遠くに何万本とあったという松林はほんの数本立ち残っているのみである。除染する重機が何台も動き回り除染廃棄物が詰められた黒や青のビニール袋が積み上げられて不気味である。バスの中は0.08マイクロシーベルトだが車外には出られない。

 車窓からの光景を見ながら地元ボランティアガイドの話しを聞く。
 「東電にはひどい目に遭わされた。阿武隈高地にも、高地を超えて福島市にも放射能は流れた。山は除染できないと思うが、国は落ち葉を集めて焼却すると言っている。集落には日中は滞在できるが夜は泊まれない。来年には除染が終わり帰還できるそうだが、どのくらいの人たちが戻るのか。国も県も信じられない」と不安気である。相馬野馬追いの民謡を唄い、ほら貝を吹いてくれたが、切々と胸に迫るものがあった。

 いわき市の久之浜小学校の校庭に建つ仮設「浜風商店街」は近くの仮設住宅に住む人々の生活を支えている。しかし地元の産物ではなく他県や外国産の原料をもってきて加工して売っている。秋田産のわかめやさきいか、ごぼうチップなどがパックされて買い易く並べられていた。私たちにはコーヒーが振る舞われた。駄菓子やおもちやの店から子供たちの賑やかな声が聞こえる。群れて校庭を走り去っていった姿には何の屈託もなさそうに見えたが、心の中はどうなのだろうか。

 3月1日、常磐自動車道の放射線が高く通行できなかった区間が開通した。新聞に載った写真を見ると5・5マイクロシーベルトである。人も物流も時間が短縮され東京方面へ向かえる。経済効率が優先され「いのち」は二の次だ。
 バスの運転手が言っていた言葉を思い出す。「お客さんを乗せたバスをあの区間は走らせない!と、うちの社長は言ってます。遠回りになるけれどもできるだけ安全な道路を選んで走れ、と言います」という言葉を。

(たかはら・くみこ 会員)

ふるさと福島   大竹啓之

 わたしのふるさと、会津は福島県の一地方だ。でも会津の人は出身を聞かれると「福島」ではなく「会津」と答える。また、自分たちのしゃべる言葉を「福島弁」ではなく「会津弁」と呼ぶ。福島県は浜通り、中通り、会津に分けられ、それぞれ歴史的にも風土的にもかなり異なり、救いようがないくらい一体感がないのだ。
 原発事故以来、飯舘や浪江など浜通りの人たちのインタビューをテレビで聞くことがよくある。それは、ひと言聞いただけですぐわかる、「絵に描いたような」見事な福島弁だ。わたしは思わず、なんともいいようのない温かさと懐かしさにかられる。そう、遠く離れて暮らす日々の中で思いがけず耳にする言葉に、福島弁と会津弁の違いなど大して意味がないことを気づいたのだ。
 そして次の瞬間、わたしはわたしと「同じ」言葉をしゃべる人たちがそのふるさとを奪われた現実を前にして戸惑い、まるで自分の心を踏みつけられているような、どこにもやりようのない胸苦しさを感じるのだった。

(おおたけ ひろゆき・会員)

人と木のひととき 

〜石原 亘氏によるコラム〜

第7回【木は時を刻む】

 いつのことだったか、休日に(珍しく)ダラダラと寝そべりながらテレビを見ていた時のことである。某番組で、山口県萩市の誇る伝統工芸、“萩焼”(写真1)が紹介されていた。この萩焼、焼き物本体と釉薬の収縮率の違いから、焼き上がった茶器に幾つものヒビ割れが入るのが特徴で、使用の度にそのヒビの間に茶渋が擦り込まれて風合いが変化していくそうである(これらの現象をそれぞれ「貫入」と「七化け」と呼ぶそうである)。この変化(「七化け」)を嗜(たしな)むのがツウのスタンスというもので、日々の生活の中に美意識を見出すのは、いかにも日本的な発想でおもしろい。

萩焼 (萩観光協会HPより)

 そして、天賦の木材も本来は「貫入」と「七化け」の美しい素材といえよう。屋外に曝された木材は、紫外線により主要構成成分のひとつであるリグニンの分解が進み、晩材部(注)は浮かび上がり、材色は白っぽいグレーへと変化していく(写真2)。これはクリアの木材塗料を使用した場合でも同様である。日照環境にもよるが、濃色の木材保護塗料でさえ、3年程度のスパンで塗り直ししなければ当初の風合いを保つのは難しいとされている。

白っぽくなったって良いじゃない。

 尤も、構造材の劣化はともかくとしても、こうした現象は決して嘆くことではない。おそらくは東寺五重塔や平等院鳳凰堂といった古の名建築も、建立当時と現在とではそのオモムキが異なっていただろうが、そのどちらが美しいと思うのかは個人の趣味の問題だ(ちなみに、鳳凰堂は最近になって「キレイに」改修されたのだが、ごく個人的にはちょっぴり残念である)。

 塗装に限らず、昨今の我が国における建築産業は引渡し時の状態を「完成形」として、それを永続的に維持することに重きが置かれすぎている感がある。乾燥材が流通する以前の時代は、構造材でさえ未乾燥のいわば「半製品」のような状態で引渡しを行い、その後の生活の中で職人が都度改修していったと聞いたことがある。もちろん、こうした住宅性能面での不合理は解消されるべきなのであるが、せめて外部に露出する木材については、「七化け」を見越した設計者側と使用者側の心構えがあってもよい。

 素人意見で恐縮なのだが、本当の意味でのスバラシイ木造建築とは、「『七化け』を楽しめる設計と、それを受け入れることのできる心の豊かさを涵養するもの」と定義してみようと思う。

(注) 木材で、夏以降の生長の遅くなる時期に形成される材部を晩材と呼び、この部分は密度が高く、しばしば濃い色にみえる。

(いしはら わたる ウッディーズ会員)

(コラム「人と木のひととき」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

森の本棚

おおきな木

(S・シルヴァスタイン著 村上春樹訳(あすなろ書房))

 本書の原題は“The Giving Tree (与える木)”。一本のリンゴの木が一人の少年に葉や実から幹までの全てを与えつくす物語りです。
 最後、切り株にされてしまった木が、「もう、あげられるものはなにもない…」と謝ります。老いて疲れた少年が「なにもいらない。こしをおろしてやすめる、しずかなばしょがあればいい」と言うと、「ぼうや、わたしにすわって、ゆっくりおやすみ」と坐らせます。そして、「それで木はしあわせでした」と結ばれます。
 あどけない少年と優しい木との触れあいを好ましく思って読み進めるうちに、やがて、与えるばかりの木に要求ばかりする少年、何か理不尽を感じてきます。しかし、それは木と人間の関係 — 自然から恩恵を受け続けてやまない人間の手前勝手さ — を暗示していることにに思い着きます。
 原書では、木は「彼女」と書かれているそうで、確かにここに描かれる木は女性、母性を象徴しているような…。前号で紹介した『葉っぱのフレディ』もそうですが良質な絵本は大人をも考え込ませるものです。

木霊(こだま) 読者の便り

●「人と木のひととき」(第六回)で、国産材使用を推奨する政策があることを知りました。
(政策目的が曖昧になったことについて – 編集者注)何のため、誰のための政策なのか? そんなことは直ぐに忘れられ、動き出せば都合よく解釈されて、行き先を間違ってしまう。行政にはよくあることです。大きなダムも、建設理由はもう関係なくて、ただ、計画通りに進めていく。一度動き出すと怖い。(N・Nさん)

●「森林人通信」を母共々楽しく拝読しております。ブログ「活動の記録」も楽しみで、馴染みのお姿を拝見するとホッコリした気持ちになります。ことに動画を興味深く拝見しております。お礼としては些少で心苦しいのですが、不要の切手を同封しました。お役立ていただければ。(A・Bさん)

林間独語

▼キタコブシやエゾヤマザクラが花芽を膨らませて、時は春。しかし、あれから4年、原発被災地・被災者が希望を膨らませる春はほど遠いようだ。性懲りもなく再稼働が画策される一方で、手ひどい被害を蒙った人々が置き去りにされている。

▼原発は社会に等しくある種の恩恵をもたらしたかも知れない。しかし、それがひとたび破綻すると、被害は社会的弱者の存在基盤を根こそぎ破壊つくした一方で、企業、政府、学者など原発を推し進めて利益を得てきた側にはさしたる痛痒を与えていない。原発被害の不平等は社会構造・社会的格差に照応していることに多くの人が気付いている。

▼この構図は今ひとつの災害 — 戦争を思い起こさせる。戦争も原発と同じく経済の範疇にあって、それを推進することによって利益を享受するものがいる一方で、特に社会的弱者に計り知れない悲惨と痛苦をもたらし、新たな弱者を産みだす。

▼よもや戦争なんて…と思っているうちに、国会では「我が軍」、「八紘一宇」などの言葉が平然と口にされ、不気味この上ない雲行きになってきた。戦争は最大の自然破壊でもある。草木の花のほころびを心静かに愛でられる春を失いたくない(T.M)