森林人通信

Vol.86 2013.12.1

充実のシーズン 無事終了

 木々がスッカリ葉を落とした森は、林床を雪が覆い、透明感と静寂が支配する世界になった。活動を無事に終えられたことを先ずは喜び、かつ、一年を振り返りつつ、来期へ向けて組織と活動のあり方を考える季(とき)でもある。

10月~11月の主な活動 詳細は「活動の記録」を参照

地域の人々が憩う森へ 高川山林・「ワオーの森」(10月12~13日、11月13日 )

 本年、ウッディーズが最も力を集中したフィールドの一つである。子どもたちが遊び、地域の人々が散歩を楽しめる森にしたい、という山主の意向を受けて、9月以降、集中的に取り組んできた。
 差しあたりは、遊歩道の整備と笹刈りである。
 遊歩道は既存ルートの拡幅から始める。等高線に沿った道は山側をL字状にカットして、掘り崩した土を谷側に寄せて道幅を拡げる。道の傾斜がきつい部分は焼き丸太や林内にゴロゴロしている自然石で階段をつくる。

一段、一段、階段が出来ていく

 笹刈りはネマガリダケの密度が濃く、石だらけの急斜面で苦労するが、スッキリと見通しのきく森に変わっていく。
 10月12~13日は2日連続の作業だったため、12日の作業終了後、多くのメンバーが山林入り口にある「山風庵」に泊まり込み酒を酌み交わし談笑した。
 11月13日は野ねずみ食害対策で、エゾヤマザクラの幼木にアスファルトフェルトを巻き付けた。その効果は、昨年の抜群の「成績」で実証済みである。

こんな簡単・安価な
仕掛けで、効果抜群

森のサイクルとつながろう! 道民森づくりネットワークの集い (道庁赤レンガ庁舎前庭 10月19日)

ポコポコ、カンカン…。おもしろ~い

 年に一度の恒例のイベントで、木と森に関わる道内40団体が一堂に会した。森をつくり森を楽しむ活動の紹介、木工品の展示販売、木を使った制作体験など各ブースは家族連れや観光客などで終日賑わった。
 ウッディーズのブースにも、切れ目なくお客さんが訪れ「ノコ切り体験」を楽しんでいた。
 会員のNaさんが制作したログドラム(木の皮を剥き、中をくりぬいて音響効果を高めた手製打楽器)も訪問者の興味をひいた。

地域の理解を辛抱強く求めつつ 大島山林(安平町 11月16日)

間伐材を薪用に玉切りし、
搬出に備えて道路沿いに積む

 苫東北部の安平町遠浅(とあさ)地区にある「大島山林」は、苫東環境コモンズによる徐・間伐が進行し、好ましい景観がつくられつつある。散策や歩くスキーに活用されるなど近隣住民に親しまれているが、年に数度支援に入る札幌ウッディーズ会員にも人気のフィールドである。
 この日の作業は、景観整備のための徐・間伐だ。作業の成果をたちどころに確認出来るのがこの森の良いところである。作業跡を満ち足りた思いで眺め、立ち去りがたい。

 我々が作業に入ったその日の夜、隣接する町内会へ山林整備を委託されているコモンズとして趣旨説明が行われたと、事務局長・草苅氏のホームページが伝えている。「山林には一切手を触れないのが一番」とする「自然保護原理主義」のような批判者の主張には笑ってしまうが、それに対する氏の辛抱強く懇切な説明ぶりにその見識の高さと人柄が偲ばれ、「森(づくり)は人なり」の感を深くする。

NPOの説明会にて 2013/11/16 sat

プルデンシャル生命保険(株)がウッディーズなど森林保全団体へ寄付

ウッディーズは、本年、プルデンシャル生命保険(株)から活動資金の支援を受け、活動を推進することが出来た。深甚なる感謝の意を捧げる。

 約款を電子化するなど業務のペーパーレス化を進める同社は、それにより捻出した金額を、毎年、全国の森林保全団体や東日本大震災の被災地に寄付している。森林保護へ、こういう形のアプローチがあったのか! という驚きをもって同社の貢献に注目したい。

自然に潜む危険と向き合う 

〜今内 覚氏によるコラム〜

第1回【ヒグマ ~ 過信は禁物】

 私は獣医師で、動物の感染症の研究に携わっています。研究調査のために牧場をはじめ山やジャングルにも入ります。北海道での調査もあれば、アフリカ等にも赴きます。私は道東の斜里町出身で、小さいころから魚釣りや虫とりで斜里岳の麓によく行きました。クマの足跡や糞、小麦が一面倒れている畑(クマが寝た跡)やクワガタが沢山ついている木に爪で引っ掻いた跡(クマの縄張りの印)を多く目にしてきました。

湯気の立つ糞(日高)

 子供の頃に見た三毛別羆事件(開拓時代の北海道苫前で起きた日本史上最悪の獣害事件) を再現した『熊嵐』という映画に戦き、道民としてもクマの恐ろしさと対策は十分理解しているつもりでした。 

破壊されたアリ塚。
この後、恐怖体験が…。(日勝峠)

雪上に残る巨大な足跡(斜里)

捕食されたエゾシカ(知床)

 ある調査で道央の山に入った時のことです。銃免許を持たない私の携帯品は、クマスプレー、熊鈴、ナタと爆竹でした。大声をあげながら進み、山火事に注意しながら100m進むごとに爆竹を破裂させました。入山開始3時間位の山奥でのこと、先頭の私は、倒木につくられた蟻塚が破壊され、右往左往逃げまどう蟻を発見しました。これは数分前に蟻塚が壊されたことを意味するものです。爆竹の効力を信じていた私は、なぜ爆音でクマが逃げていないのだろうと怪訝に思いつつ、その場で爆竹を再度破裂させました。その時です。視界不良の笹薮の中から地を這うような低い唸り声を聞いたのです。姿は見えませんでしたが、その距離はわずか数メートルで明らかに餌を守ろうとする威嚇の声でした。幸い無事下山できましたが、この体験は今でも時々夢に見ます。

 クマ対策は皆さんもご存知の通りです。基本的にはクマの方がヒトを避けて逃げるのがほとんどとされています。しかし、例外も有り過信しないことが大切です。クマは火を恐れないことが実験でわかっています。音についても鈴や声などが有効とされますが、風の強い日は木のざわめきで打ち消され、効果が低く気をつけなければなりません。薄暗い時の行動は避けるべきとされますが山菜採り等での事故は日中に発生しています。クマは執着心が強いとされ残飯や子牛の味を覚えたクマは再び事件を起こしています。奪われた物を取り返すようなことは決してやってはいけないことです。クマがヒトを襲うパターンとして考えられるのは

① 偶然の遭遇でパニックになる(風上で人間臭に気がつかなかった場合等)

② 餌など守りたいものがあるとき。特に親子グマには気をつけなければなりません(子を守りたい強い気持ちは人間と同じです)

③ 経験が浅い若いクマ(ヒトの怖さを知らないクマ)

などです。

 できれば単独で行動しない(クマによる殺傷事故はほとんど単独時に発生) ことや視界が悪い薮こぎ等には十分気をつけることが必要です。
 クマ出没情報は有効ですが北海道全域が生息域です。数年前、斜里町では繁華街に2頭も出没し大騒ぎになりました。
 クマとの共存は理想と思いますが、私がクマ対策を改めて考えることができたのも命あってのことです。さらに注意し来年の調査に挑む予定です。(続く)

(文・こんない さとる・北海道大学獣医学研究科准教授)

(コラム「自然に潜む危険と向き合う」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

ログハウスは終わらない 

~在定 真一氏によるコラム~

第1回【自然の中で暮らしたい】

 昨年、11月に長年の夢だったログハウスに住み始めて、1年が過ぎました。居間の窓から見える景色も雪景色から新緑、紅葉と移り変わり、それぞれの季節を楽しく過ごすことができて、ログライフを満喫しています。以下、3回の予定でログハウスについてあれこれ書いてみたいと思います。

 そもそも20代まではいろいろな場所に住みたいという考えもあって、家を持つということは考えもしなかったのですが、住むのなら木の香りの家が理想でした。また、自分でできることはできるだけやってみたいという性分で、車をいじったり釣竿(といっても、ワカサギ用の)を作ったりしてきました。そして、家も自分で建てることができたら、といつしか考えるようになりましたが、自分で建てることができる木の家となれば、やはり「ログハウスでしょ」ということで、札幌に引っ越してきたのを契機に本格的に考え始め、現在に至ります。

着工前の宅地

 自分の生い立ちを少し紹介しますが、子どもの頃から自然が好きでした。生まれ育った場所は九州の比較的都会の地方都市でしたが、時々田舎に帰っては遊びながら農作業の手伝いをしていたこともあり、中学校の時に自然相手の仕事として考えた将来の希望の職業が「農業」で、進学先は「農業高校」でした。しかし、零細農家の貧乏な暮らしから離れて会社員となった父は当然反対し、結局、県内の進学校から大学に進み、紆余曲折を経て高校の教員となりました。アウトドア派ですが「キャンプや山登りなどが趣味です」というほどはやってないし、大学の専攻は農学部の林産学科ですが、木の名前もうろ覚えです。

 中途半端なところもありますが、基本的にパチンコやTVゲームなどをして過ごすよりは、自然相手に遊んだ方が絶対楽しいという思いがあります。転勤で札幌に越して来る前は美深町という道北の田舎町で大自然を満喫した生活をしていました。教職員住宅のすぐ隣に天塩川が流れいていて、毎年冬になるとオオワシが飛来し、夏には支流の川にヤマメやニジマス釣りに出かけました。町の公園でクマゲラに出会い、車で鹿に衝突しかけたことは何度もあります。そこで出会った様々な人の影響も、今回、ログハウスに住むようになった理由の一つだと思います。

はじめての冬

 美深町では9年間過ごしましたが、その間に親しくなった音威子府村のHさん、名寄市のAさん、そして、同僚のKさんがログハウスに暮らしていました。特に、名寄のAさんは自分で(セルフビルドで)ログハウスのカフェを建てた強者です。ある日、そのカフェに行き食事をした時に「将来ログハウスを建てたい」という話をすると、Aさんの師匠を紹介してくれました。実はその師匠も名寄市を一望する高台に、自分一人で床面積100坪のログハウスを建築している超強者だったのでした。早速、お会いして色々な話をお聞きしたのですが、「家を建てるなら地元の木を使うのが一番」ということで近くの森から切り出した樹齢数十年のエゾマツやらトドマツやらを使って建築していたようです。お伺いした時は、ちょうど建具作りの途中だと言って、白樺材を使って立派なドアを作っていました。 (続く)

(文・ありさだ しんいち・会員)

(コラム「ログハウスは終わらない」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

林間独語

▼国連が毎年11月19日を「世界トイレの日」と制定した。世界の人口の3分の1に当たる25億人が衛生的なトイレを利用できず、途上国では下痢性疾患が乳幼児の死因の第2位となっている、そんな状況を改善しようというわけだ。

▼遠くない過去、日本でもくみ取り式便所が一般的で、尿と糞は貴重な肥料として循環してもいた。だから、家の中に蠅が飛びまわって食べ物に群がったり、春の野良に、そこはかとない臭いが漂ったりしていた。今や、そんなトイレ事情は一変して、90%を超える住宅が水洗トイレとなり、家庭内から蠅が姿を消した。更に、ウオッシュレットが出現し、その普及率が70%近くに及ぶとトイレはこの上ない快適空間となった。

▼居住者二人にトイレが二つの小欄宅ではそこが誰にも煩わされない隠れ部屋となって、つい長居しがちである。新聞などを持ち込もうものならなかなか出てこられない。ただ、その紙面に「戦争への道 秘密保護法案強行採決」などという見出しを目にする昨今は、安閑と座してはいられなくなった。安倍政権の発する前時代的異臭が満ちて息が詰まりそうである。(T)