Vol.79 2012.10.1
暑い暑~い。ホントに暑かった
でも、よくがんばりました(^_^;)/
「観測史上初めて…」というフレーズが連日のように新聞見出しやテレビの字幕を賑わし、異常な暑さが、異常に長く続いた今年の夏。そんな暑さにもめげず、力を抜かず、無事故で乗り切った。
爽やかな季節になった。色づき始め、華やいでいく森…、豊かな秋を迎える森に分け入ってみよう。
活動記録
※各活動日の詳細は、「ブログ 活動の記録」を参照
〈8月 延べ参加者38人〉
昨年植えた苗木の下草刈り。本年2回目。生育は対エゾシカ防護ネットも効果を発揮して順調である(写真1)。植樹前の、風倒木が林床を覆っていた光景(写真2)がウソのようだ。林内の歩道(写真3)もイイ感じになっている。
写真1
写真2
写真3
【8月11日・26日】 高川山林 (小樽市) 間伐、草刈り、道つくり
両日とも30度を超える猛暑。湿度も高く、黙っていても汗が噴き出る。ここ数年、高川山林(ワオーの森)に対する支援活動は、薪切り・薪割りが中心だったが、今年から遊歩道づくりを含め、心地良い景観を意識した全体的な森づくりへと歩を進めることにしていた。しかし、住宅地との境界線沿いの木々が生長して、住宅に影を落とすようになってきたり、森全体が薄暗くなるほど樹影が濃くなってきたことから、伐採を中心に作業を進めることになった。
山主が図面に示した箇所の、あらかじめピンクテープを貼り付けた木々を伐採していく。事前の挨拶をしているとはいうものの、恐らく窓を開放してるだろう住宅のすぐ脇でのチェーンソー音は相当な騒音。不快指数も上がるに違いない。ビクビクしながら伐倒・玉切りをしているところへ、直近の家のご夫婦が「ご苦労さん!」と、冷たい「手づくり紫蘇ジュース」を差し入れてくださった。お気遣いが喉と心を美味しく冷やしてくれた。
〈9月 延べ参加者60人〉
9月に入ったというのに、1日は29度という凄まじい暑さ、8日も27度。26日に至っても夏日の25度。どうなっているんだろう。
8月の活動日に、あまりの暑さから目まいを感じてしゃがみ込んでしまうメンバーもいたことから、1日は、午後の作業を止めることにした。8~9月の5回にわたる作業は間伐を中心とし笹刈りを併行させたが、チェーンソーと刈払機が活躍した一画の、薄暗かったその部分に光りが射した。やがて、下生えが萌え、緑輝く世界に変わるだろう。(写真4)薪材は来年の分もタップリ確保できた。
昼休みに、K子さんが作った「朴葉風車」—良く回る。猛暑の中で、心を和ませてもらった。(写真5)
写真4
写真5
キャンプ気分が付きまとう泊まりがけの下山山林。作業を終えるが早いかディナーパーティの準備に取りかかる。今回のメインは、O田さんの手打ちそば!!蕎麦打ち名人の手にも力が入る。(写真6)
写真6
【9月29日】 山田山林(当別町)草刈り、林相等調査
会員のY田さんが所有する20ヘクタールに及ぶ広大な山林で、その一画の笹刈りをし、施業計画を立てるために林内を踏査する。「当別森林ボランティア・シラカンバ」との共同作業。
こんな森にしたい「お手本」見つけた
今回、集中的に支援を受けることになって、持ち山をどんな森に仕立てるか考え込んでいたとき、とても手近に、そう、苫東コモンズ・KさんのHPに、そうだ、これだ!と思う「青写真」を目にした。以下に引用させていただく。
美しく、散歩したくなり、散歩すると元気が出て少し癒されなぐさめられ、たくさんの人を受け入れ、もちろん子供達を大歓迎で、産物は工夫して使えるものは生活に役立て、寿命に近いものはその直前で木材として利用し、繰り返し萌芽して出てきた若い木は薪炭やほだ木に回し、その代わり木々の都合も聞いて手助けも惜しまず、からまるツルはリースに、削りやすい手頃な木は木工で遊び、クマやシカ、鳥たち昆虫、花やバクテリアまでひとつながりで合わせもち、時折、マチに住む人たちが来たときにはありのままを見せ、くつろぐというのなら場所と簡単な作業を提供し、地域の人たちが「これはわたしたちの財産であり文化みたいなもんだね」としみじみ語り合う。
わたしがイメージするいぶりや苫東の雑木林はこんな風であり、こんな方向でこれからもつきあってみたいと思うものです。
座右に掲げ、朝晩、唱えつつ森づくりに邁進…できるかな。 (T)
キタコブシにも涙 ?
高川山林の9月の間伐作業中、誤って25年生くらいのキタコブシを伐ってしまった。 伐り倒されて地面に横たわる木を見ていて、「アー、勿体ない」と嘆いたが、毎年、春の到来を待ちかねるように白い花を咲かせていたことを思い出すうちに、「勿体ない」が「申し訳ない」に変わった。
ファーブル『植物記』に「クリの木の告白」というくだりがある。(以下に要約)
大きなクリの木が、朝方きこりの斧で倒されて、地面に横たわっているのが目にとまった。瀕死の木が私に話してくれたことを、人のことばに訳してみよう。
「今年で70歳になります。知り合いの多くの者のように5、600年は生きるつもりでした。忌まわしい斧さえなければ、少なくとも紀元2400年まで生きる力を感じていました。老いぼれることなく、元気に、実をいっぱいつけて」
ここで、クリの木はひと休みした。樹皮からはどっと涙が流れた。
我がキタコブシも泣いたはずだ。そして、美しい花を咲かせるキタコブシやサクラに限らず、全ての木々が人に対して悔し涙を流し、恨み言をつぶやいたかも知れない。
木々の声を聞きながら、森づくりを進めなければ…と思う。(T)
命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵
~春日 順雄氏によるコラム~
21【 オオハナウド】
純白の花、オオハナウドは初夏の花です。からかさ形の複散形花序の花を咲かせます。9月上旬のオオハナウドの写真をご覧下さい。
オオハナウドの複散形花序 撮影6月
茎頂の一番目の花序だけが結実しています。茎の腋から出る二番目、三番目の花序(矢印)は結実していません。雄花の時期で終わって、雌花には進まなかったのです。
どうしてでしょう。
オオハナウドの花は雄しべが先に熟します。その後、間期といって雄花でも雌花でもない時期を経て雌しべが熟してきます。一つの花が間期を境目として雄花の時期から雌花の時期へと移行していきます。複散形花序は沢山の花のあつまりです。雄花は周辺から咲き始めます。咲き方の時間的なずれは、先に咲いた雄花が間期で足踏みしてあとから咲いた花を待ちます。そして、一斉に雌花の時期に推移していきます。
結実したオオハナウド 撮影9月上旬
一番目の花序が咲き終わってから、二番目の花序が咲き始めます。二番目の花序も雄花の時期から雌花の時期へと推移していきます。ところが、一番目の花序の受粉がが成立している場合は、雄花だけで終わり、雌花へと進まないで終わるのです。結実しないのです。ただし、一番目の花序に事故あるときは、雌花の時期へと推移して立派に結実します。
どの花も結実するのはオオハナウドにとっては大変コストがかかることなのでしょう。コストを切り詰め雄花で終わり、せめて自分の遺伝子を花粉に託し運んで貰う。素晴らしいオオハナウドの生き方・戦略であります。
(文・写真 春日 順雄氏)
(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
秋あかね共にメールを読みゐるや携帯電話に止まるたまゆら
原 公子
客のごと殿様蝗虫を助手席に乗せて帰り来畑仕事終へ
原 公子
筒鳥の声を聞きつつ山道を苗木引き摺り息きらし行く
高橋千賀
飛びて来る柳の綿毛を気にかけず仲間と木陰に昼飯を食ふ
高橋千賀
ラッパ吹くオオウバユリの奏でるは短き夏と足早の秋
中野常明
(ワオーの森)
崖の上並べて植えしニシキギとコマユミ枯れずに色付くを待つ
中野常明
仲間のプロフィール:冨士本 充佐さん
子供の頃から無鉄砲が代名詞。4歳で自転車の補助輪が外れてからは自転車暴走族と後ろ指を指された。高校在学中に自動車運転免許を取得、現在までに乗り継いだ車は15台を数える。学生時代、夜な夜な山中の砂利道を疾走し2台、その後、「ダートトライアル」という自動車競技(JAF公認)にのめり込みさらに2台を廃車送りにした。エンジンの付いているものであればブルドーザーを始め何でも動かしてみたが、それが今はチェーンソーに刈払い機ときた!
音楽・楽器歴についても語りたいが、いずれまた。
平成19年に自宅を建築したが、薪ストーブを焚きたいばかりに、翌20年、屋根に大穴を開けて煙突を立ち上げた。灯油消費量に辟易した妻が下した判断であるが、大正解。とにかく暖かく、結露が極端に少ない。冬場は風邪をひかなくなった。
そして、薪欲しさが私とウッディーズを引き合わせた。今、ウッディーズ満喫しています!
将来の夢は田舎で山を買い、畑を耕しながらの自給自足な生活を送ること。座右の銘は「稼げなければ体で稼げ」 まあ自営業者ならではの弁だが。
空気を読むことなく偉そうに振る舞っているが、実は結構傷つきやすい性格。あまりいじめないで…。
読者の便り
肉体労働の活動の中でウロウロするわけにも行かず今年はなかなか参加できないでおります。春を待つ円山に登ったのが唯一となってしまいました。
「森林人通信」、盛り沢山の話題を楽しませていただいております。「77号」の写真、良かったです。薪割りのポーズには思わず笑ってしまいました。「火を噴くラーメン」もスゴイ!
若い人たちの参加はとても嬉しいことです。育てていく役割もあり、メンバーの方たちも張り切っているのではありませんか。女性の方々にも脱帽です。「ワオーの森」は私の関心の的です。いつかまた訪ねてみたいです。クマには襲われないように。
次の通信を心待ちに…。 (T・Kさん)
林間独語
震災・「核災」の被災地や沖縄の痛みと嘆きには頓着せずず、無人島の領有を巡って安手な愛国論を競い合った‐某野党党首選。またぞろ軍隊を繰り出して、白黒をつけようという愛国って?
一篇の詩を掲げる
まことの愛国とは
まことの愛国とは困っている人に手を差し伸べることではないの?
政府がおごり高ぶる時にそれを謙虚にすることではないの?
国外の困っている人にも手を差し伸べることではないの?
こちらが困っている時に差し伸べられる手を感謝して受けることではないの?
生けるものたちに思いやりを持つことではないの?
土と水と空気と大事にすることではないの?
自分の国にだけ富を集めないで隣の国と分かち合うことではないの?
この国と隣の国との間にいさかいが起きたら
武力でではなく平和な方法で解決し互いに信頼し合うことではないの?
政府から命じられるままに戦えば数十万いや数百万が亡くなることは
この前の戦争で分かったのではなかったの?
戦うことがどうして愛国と言えるの?
誰をもかたより見ず違う立場を認める人
国歌斉唱や国旗礼拝を強制しない人されない人
憲法九条を生かす人
このような人こそまことの愛国者でないの?
矢口以文詩集『詩ではないかもしれないが、どうしても言っておきたいこと』
(コールサック社2011年10月)から。
「土と水と空気を大事にする」森林ボランティアとしては、一戦も辞さずと好戦気分を煽り、煽られる風潮を恐れる。戦争は最大の環境破壊だから。
編集後記
「林間独語」に引用した詩の作者は、札幌在住の矢口以文さん。
昨年4月号(Vol.71)にも「女川町のおばあちゃんの話」を掲載させていただいた。いずれもズーッと以前に書かれた詩でありながら、現在の問題点を鋭く射貫く。
同氏とその作品については、もっと多くの紙幅を費やしたい。