Vol.69 2010.11.1
今年の活動も あと少し
安全第一で 乗り切ろう
長い残暑が去り、爽やかな秋風が吹き始めた、と思う間もなく、例年よりも早い初雪に見舞われた。事故もなく、作業日程も順調にこなして、今シーズンもそろそろ終盤。気を緩めることなく…。
10月の作業日誌
9日 柴原山林 15名参加
本年の「主戦場」で除・間伐。
「窓ノコ」に挑戦するも、なかなか難しい
23日 森づくりネットワークの集い 7名参加
各地から森の達人や熱中人が道庁・赤レンガ前庭に集結。
来場者は、過去最高の2200人。
ウッディーズの「ノコ切り体験」コーナーには、家族連れ、観光客、スーツ姿のビジネスマンなど、老若男女が次々に訪れ、ノコ切り体験をした。
今年初めて設けた「古い造材道具」展示コーナーでは、年配者が「あぁ、こんなのがあったよな~」と、展示品を懐かしげに見たり、手に取ったりしてい
た。
24日 荒巻山林 11名
黄ばんだ蓮葉が浮かぶ池。広葉樹の黄葉と、エゾマツの濃い緑のコントラスト。ウッディーズ揺籃の森・荒巻山林は、秋色に塗りつくされている。
この日に先立ち、16日に石田事務局長始め5人のメンバーがアプローチの笹刈りに出動しているが、そのときに出会った地区の「用水路管理組合(?)」の方々が、
「荒巻さんの山がきれいに整備されているけど、誰が管理しているのだろうかと思っていた。あんた方だったのか」と話されたという。
林床に陽が差して
チャンと見ている人がいるモンだな~!
人様の評価って、やっぱり嬉しい。
一年ぶりの作業は、アカエゾマツの除・間伐である。作業内容の確認、準備体操などの後、それぞれに林内へ散る。
昨年までに間伐を終えた部分は、陽が差して明るく、林床を丈の短い草や苔が覆う。
そして、ミズナラやイタヤカエデの稚樹がそこかしこに生えていて、一丁前に黄葉し輝いている。
人工林に適切な管理を施せば、自然に針広混交林が形成されるという話を絵に描いたような景である。
一本の木を伐り倒すと、その空間がスポットライトを当てられたように明るくなる。
作業が進むにつれ、林内に徐々に光が満ちてくる。
作業の効果がたちどころに現れ、作業者の心も明るくなっていく。
30日 大島山林 11名
大島山林は、「神々の棲む林」、「心と体を育む林」。関わらせていただくだ
けで幸せ。
除伐作業を楽しむ。
現状を見据える契機に - 生物多様性会議 閉幕 -
名古屋で行われていた「生物多様性条約第十回締約国会議(COP10)が、2020年に向けた生態系保全の目標「愛知ターゲット」などを採択して閉幕した。
議長国の責務として…
日本は率先して国内政策を充実し実効を上げるべき立場にある。しかし、目先の利益を優先して目標達成に消極的な経団連と、企業献金受け入れの再会を決めた政権党 ― この政・経の枠組みで、課せられた責務の遂行ははなはだ覚束ない。
現実に、「ジュゴンなど海生ほ乳類の捕獲を禁止する法律を制定した」という国(パラオ)もある中で、日本は沖縄の珊瑚やジュゴンの生息域に軍事基地の建設を強行しようとしている。日本各地で開発という名の自然破壊もとまらない。
TPP参加は環境破壊も
加えて、菅内閣は日本の農林水産業を壊滅させるような環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加を進めようとしている。
前原外務大臣は、批判の声に対し、「日本の国内総生産(GDP)における第1次産業の割合は1・5%だ。1・5%を守るために98・5%のかなりの部分が犠牲になっている」と述べた。御用評論家ならいざ知らず、主要閣僚がこうまで明け透けにその視点の倒錯ぶりと傲岸さを晒した例を寡聞にして知らない。
戦後日本の政治経済運営は一貫して第一次産業に背を向けてきた。犠牲にされてきたのは第一次産業の方である。1・5%は犠牲の結果ではないか。農林水産業従事者の減少と高齢化、農林水産物自給率の極端な低下、農山漁村の過疎化と消失、森林の荒廃など現在の惨状が何よりの証拠だ。
TPP→農林水産物の完全自由化→農林水産業の壊滅→そして、多様な生き物を育む水田や里山を見守る人の離村。山村が荒れ、集落に熊や鹿が出没するのを生物の多様性とは言わない。
この機会に、自然環境と生き物の、現状と行く末を見据えたい。
絶海の孤島問題
~荒巻 義雄氏によるコラム~
第4回【イースター島人なぜ滅びたか】
国家や文明が滅びる原因は幾つもある。たとえば、強国による征服。しかし、
イースター島は世界から隔絶された孤島だ。彼らは征服されたわけではなく、
人口増加が内乱をひき起こして衰退した。
イ島は、ほぼ鈍角三角形をしており、面積一二〇平方キロメートル。奥尻島の約八五%だ。全島が草地で、羊と馬が主要産業である。この社会には、最初の移住者ホッマッアの血統を引く貴族や神官。その下に戦士、召使と農夫の四階級があった。
長耳族と呼ばれる支配階級をあらわすモアイは顔が長く、耳飾りで耳朶が垂れ下がっている。これらは神格化された大王であろう。一方、各部族の族長のモアイは、顔が丸か四角で胴体はずんぐりである。
その数、約千体。一二世紀から一五世紀にかけて熱狂的に制作され、当時の人
口は一万人。今の奥尻島でさえ約四三〇〇人であるから、いかに過剰かがわか
る。
一六世紀~一七世紀にはさらに人口が増え、部族間で戦争がはじまり、島は疲弊。モアイ制作も途切れた。
しばしば、樹が薪のために切り尽くされる例はアフリカなどでよく見られる
が、イ島も同じだった。しかも、ここは強風地帯だ。森林が守っていた耕地
に、塩分を含んだ海風が吹きつけ、作物を枯らす。植林しようにも、苗木のう
ちに枯れてしまう。
始祖であるホッマッア七兄弟が赤道付近からきたせいもあると思うが、たとえばタヒチ島などでは、緑がむんむんするほど、植物が元気である。しかし、高緯度のイ島では、容易に、植生は再生しないのだ。
前にも書いたが、木がなければ魚とりのカヌーが作れないし、飢餓の島からの脱出も果たせない。最後は食人に追い込まれた。
辛うじて生き残った島民は、スペイン人によって奴隷とされ、ペルーの燐鉱石採掘に送り込まれた。が、隔離された島で暮らしてきたため免疫力を持たず、
次々と死んでいった。ようやく一部は島に送り帰されたものの、彼らが持ち込
んだ天然痘や肺結核が大流行し、ほぼ絶滅した。
これからの世界でも、同じことが起きるだろう。たとえば、今日、すでに問題になっているような、抗生物質が効かないウイルスが出現すれば、人類は滅亡の危機に直面する。幕末開国のころ外国人がもたらした病原菌で、大勢の日本人が死んだ。欧州の人口を激減させたペストも、東アフリカからの積み荷に紛れ込んでいた鼠が運んだものであった。
(あらまきよしお 作家・荒巻山林 山主)
(コラム「絶海の孤島問題」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
―残暑の記憶―
イタドリ、ミツバチ、アワダチソウ…
イタドリの花
Tさんお久しぶりです。チョッと興味を持って撮った写真を送ります。
これ(写真①)はイタドリの花です。9月12日に朝里峠で撮りました。
イタドリって、なんとなく気になります。名前の不思議さ、図体の大きさ、成長の早さ、でもなんの役にも立っていなさそうな…。唯一、昔、タバコの代用にしたってことだけ聞いたことがあります。あと、「虎杖」って書くのも、なんか大げさな…。
数年前、赤井川の温泉でハチミツを買いました。真っ黒なハチミツ。色も味も黒糖みたい。「イタドリ蜜」って書いてありました。イタドリからハチミツが採れるなんて聞いたことありませんが、採れるんですね、ハチミツが。そもそも、蕎麦と同じタデ科で、道理でソバ蜜みたいに真っ黒なわけだ。
北海道には無数のイタドリが生えているから、ミツバチにとってはかなり存在意義のある草なんでしょう。イタドリの花は、なんか、白くって小さくて、本体の図々しさとは対照的です。
話は飛びますが、先日、東京の浜離宮庭園に行きました。きれいに整備された、だだっ広い庭に、黒松がいたるところに植えられていました。まさしく、伝統的な日本の庭園といった風情。でも、北海道の雰囲気にすっかり馴染んだ
身にとっては、「日本の伝統」といった感覚にあんまり親近感を感じませんでした。松は、盆栽を大きくしたような、妙な枝ぶりの木よりも、どっしりと地面に踏み込んで、まっすぐに天に向かって、でっかい松ぼっくりをたくさん落とす北海道の森の松の木のほうが好きです。
で、黒松は写真を撮りませんでした。なんとなく物足りない気持ちで最後に発見したのが、キバナコスモスの大群落です。
そこにはミツバチがたくさん働いていました(写真②)。きっと、銀座のビルの屋上に棲んでいるミツバチたちなんでしょう。ミツバチって、すばらしいと思うんですよ。平和主義で、花の蜜を集めて生きている。人間はそれを掠め取って生きている。
東京のミツバチ
蜜と言えば、セイタカアワダチソウもハチミツの蜜源ですね。これ(写真③)も9月12日の朝里峠で。あんまりきれいな花には見えませんが、秋の青空にはけっこう映えてるかな。
セイタカアワダチソウ
オオハナウド(写真④)もイタドリと同様、北海道を代表する植物という印象があります。なんといってもでかさが潔いです。
オオシシウド
今年の夏にサロベツに行ったとき、道端で巨大な3メートルくらいのオオハナウドの根元を切断したら、大量の水がどどっと噴き出してきました。すごい生命力を感じました。それだけなんですけど。けっこう好きなんですよ。
あと、さっきのイタドリの写真で書き忘れましたが、ミツバチじゃなくてアリが写っていました。アリも蜜が目当てなのかなぁ…
そろそろネタが尽きてきました。またお便りします。
10月10日 大竹啓之
仲間のプロフィール:大竹 啓之さん
出身は福島。札幌の人には想像できないような山の中、奥会津です。
大学生のときサイクリングで憧れの北海道を一ヶ月半も走ったり、留年して十勝の酪農家に住み込んだり、そのあたりが北海道との馴れ初め。
仕事は、企業の会計ソフトなどを作成するSE(システムエンジニァ)。時代的にも年齢的にも曲がり角です。東京での仕事が多いため札幌に帰るのもままならず、最近も10月末まで2か月間、東京に缶詰めでした。
マイカーは持たないけど、マイバイシクル(つまり、自転車)は2台。1台は、28年前、大学生のとき親に買ってもらった丸石エンペラー(かつての名門ブランド)。もう1台は、18年前にセミオーダーしたもので、チョッと凝ったスペックです。2台とも、たくさんの思い出を纏っています。近くは札幌・幌見峠、時間が許せば、道東・道北も走ります。このところ「森林人通信」に掲載している写真もサイクリングの途上で撮影したものです。
好きなこと-酒をじっくり味わって、楽しく酔うこと。山に登ること。山をスキーで滑り降りること。山菜やきのこなど山の幸を味わうこと。自然に抱かれ、自然の造形の美しさを発見すること。音楽を聴き、奏でること。それから、…。
(普段は無口なこの人、語るべきことをイッパイ秘めて、意外に饒舌である。)
今月のことわざ 人は見かけによらぬもの (別項「残暑の記憶」参照。)
林間独語
▼薪ストーブを楽しむ季節になった。揺らめく炎を眺めたり、薪の爆ぜる音に聞き入ったり…。一日は起き抜けの「火祭り」で始まる。ほの暗いうちに床を抜け出し、身仕舞いももどかしくストーブの前に陣取る。「祭り」の手順、筆者の場合はこうだ。まず、着火材(ガンビ = 樺類の樹皮や牛乳パック)に点火し、焚き付けを足していく。火の勢いが強くなったところへ大小の薪を投入する。細かい手順が必要なのは、冬も間近になって泥縄式薪づくりをやるために薪の乾燥が充分でないためである(恥)。湿った薪で盛大な炎を得るには相当の技術が必要になるわけだ。
▼焚き付けがポイントであるが、これは「薪割り支援」の際、仲間の皆さんが作業場の地面をさらうように集めてくれた「木っ端」やニセアカシアの樹皮である。
有り余る木があるのだから、捨て置いてもいいのだが、燃料の乏しかった時代
を生きた我々世代にはそんなものでも有効に利用する智恵がある。先頭になって集めてくれたNaさんなどは、名だたる大企業に勤務し、海外でいくつものプロジェクトを展開してきた方だ。そんな華やかなキャリアと「木っ端集め」という地を這うような行為の取り合わせが妙である。自然の恵みを粗末にしないという心根、理屈ではない。
▼我が山林は、薪を伐り出すにつれ樹間が程よく空いてきて、見通しが良くなった。焚きつけ用に樹皮や枯枝を拾い集めるので林床もスッキリしてきた。「森は適切に利用することで甦る」。だから、ストーブのガラス越しに、炎を眺める楽しみがいや増すのである。
▼部屋がすっかり暖まり家人が起き出してくると、火祭りの祭主たる心躍る務めは終わる。この楽しみ、請われても手放すわけにはいかない。