Vol.51 2009.3.1
社会貢献を目指し 魅力溢れる集団へ
活動内容を充実し、フィールドも新たに
ウッディーズはこのほど第8回総会を開催し、向こう一年間の活動方針を決めた。
フィールドの拡大と普及・教育活動の充実を掲げ、7年間の実績を踏まえ、新たなレベルを目指すことになった。
概要は次のとおり。
施業
★これまでの北海道神宮境内林、札幌市都市環境林、そして5箇所の会員所有山林に加え、新たに荒巻山林、
柴原山林を施業対象とすることになった。
荒巻山林は、かつて枝打ち(人工林)や除伐(天然林)を行っているが、昨年、状況を検分して間伐の必要を認めたことから、
山主さんにお話ししてお任せいただくことになった。
柴原山林は、 新会員Dさんの今は亡きお祖父さん・柴原茂松さんが、慈しみながら手を入れてきた山林である。
面積は 5.3ha、札幌市南区滝野にある。 18号台風で見るも無残な姿になってしまったが、手を施すすべもなく
、柴原さんは思いを遺して逝かれた。Dさん自身も子どものころに木登りなどをして親しんだ森とのこと。
大好きだったお祖父さんと遠い日の自らを想う森である。
★「どろ亀さん記念当別22世紀の森」、「支笏湖・復興の森」、札幌南高学校林については引きつづき支援していく。
普及・教育活動
★会員の旺盛な学習意欲に応えるために、2回の研修・視察を行う。
① 苫東雑木林・北大研究林 4月18日(土) 講師 草苅 健氏 (『林とこころ』の著者)
② 東大演習林(富良野) 6月中~下旬 講師 倉橋昭夫氏 (元東大演習林勤務)
★機材メンテナンス講習会を独自に実施するほか、刈払機・チェーンソー等の安全技術講習会の受講促進を図る。
★道民森づくりネットワークの集い2009に普及活動の一環として参加する。
★HP運営チームを整備して内容の充実を図る。
美味しい実がなるように 北海道神宮梅園で ウメを剪定
2月28日 13名参加。本年初の定例活動は「新山川草木を育てる集い」と共同のウメの剪定である。
最初に、同会の樹木医 ・Wさんから剪定方法の指導を受けるが、いざ取りかかってみると、どの枝をどこで切り落とすかよく分からず、
戸惑うばかり。「外野席」から「真ん中の太いの要らない。大胆に剪れ。」など指示が飛ぶ。
傍目(おかめ)八目、離れて見ている方が的確のようだ。
おっかなびっくり剪っているうちに度胸と勘が働いてくる。
剪定し終わって眺め見ると、ウン、なかなかスッキリした樹形だ。満更でもない、と自画自賛。
お昼に、「新山川…」の美味しい豚汁をいただく。
持ち帰った枝に咲いた気品溢れる花を見ていると、収穫も手伝いたくなった。
やぁ、こんにちは! 2月7日・北大苫小牧研究林で
4月18日予定の研修ツアーに先立ち、草苅さんをお訪ねした。
焚き火を囲んでお話を伺い、北大苫小牧研究林もご案内いただいた。
草苅さんが、江戸家小猫みたいな鳴き真似をしたらハシブトガラが飛んできて手にとまった。コガラかも、と。
山中林思
~東前 寛治氏によるコラム~
10【森に「子どもの村」をつくる(1)】
森林が人間の成長に与える影響について、今回は徳村彰さん、杜紀子さんを
紹介する。
徳村彰さんは1970年頃大病を患い「余名2~10年」の宣告を受ける。そこで「くだらない一生だった」と後悔することのないよう、横浜市で『ひまわり文庫』を開設して子供達に開放する。ところが子供達は設置者の意図を知ってか知らずか、やりたい放題の利用を繰り返し、プライバシーどころではなくなる。「本好きはいい子だ」という先入観は「ガキ」どもに木っ端微塵に粉砕されたという。
ところがやがて子ども達が放埓を超え大きく飛躍する姿を見つけた感動から、子供達とのキャンプ生活を通して森に入る。そして九三年から北海道滝上町に移住し、夏・秋の『子どもの村』を始めた。村の運営を支える徳村さんの信念は、「逸脱有理」と「子どもが主人公」で、今では年間二百名ほどの利用者にあふれるという。
前回紹介した『森の力』で言えば、徳村さんの実践も森の「癒す・育む」作用に該当するのであるが、筆者のつたない仕事の経験からすれば学校教育における森の活用効果について、さしあたり以下の事柄を挙げることができる。
①学校教育=教室(座学か体育)という拘束からの開放
②周囲の環境に対する学習意欲の向上、というより能動的な姿勢の催促と顕現化
③共に行動するというところから協力的態度、共同性の育みが見られるようになる。
これらは一般的に屋外での体験的な学習でも言えることだが、○年生は○コースというふうに決まった内容よりも、山林など初めての経験を伴うものの方がよほど効果的で、子ども達が喜ぶ。ここで上記の②について、例を上げて説明をしておこう。
E君は校区内の児童養護施設から通学している。普段の授業では活発に反応することは無く、覇気も無いほうである。しかし裏山でカシワの木のこぶを見つけ「おっぱいみたいだ!」と表現したのは、ほかならぬE君である。E君の母はここにはいない。6歳の妹と二人で施設にいる。以来そのカシワは「おっぱいの木」とみんなに呼ばれることになった。続けて「ねずみのしっぽ」(クズの枝)「べそかき岩」等が出てくる。
筆者の場合、これらの活動を教育課程の「特別活動」に位置づけ、「クラブ活動」として「探検クラブ」を作って行った。週に1コマ45分、限られている。ところが徳村さんの『子どもの村』での仕事は、6haの草刈と笹刈を2ケ月、薪割、水道引き工事、五右衛門風呂造り、トイレの設置、掘立小屋造り、薪小屋造り、かまくら造り(4ケ月)、シイタケ栽培など、杜紀子さんは藍染、草木染、草木織、手作り遊びの準備など、まさに自らの生活のすべてで、子供たちの生活をまるごと受け入れるのである。
「本物を見て、本物に触れ,生命を見て、生命に触れ、森で日々喜びを積み、幸せを積み、楽しさを重ね、生きているという実感を重ねる」。これが『こどもの村』の目標である。(村での様子については、次号で)
参考図書
徳村 彰『森に生きる』 雲母書房 2003年刊行
(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵
~春日 順雄氏によるコラム~
9【シナノキ】
シナノキの開葉は、5月20日頃です。開葉から1週間ぐらいで、葉の脇から花序が現れます。開花は7月中旬です。その間、総包葉は反り返るように大きくなり、花梗が伸び枝分かれし、先端部につぼみがつきます。花序の形が完成するのは、6月末です。
開花まで、樹の下には沢山のつぼみの落下がみられます。開花中にも著しい花の落下がみられます。シナノキは、雄しべが先に熟し花粉を散布し、その後に雌しべの柱頭が発達します。柱頭を発達させる前に落下してしまう、雄機能だけの発揮で終わるものがあります。
どうして、大量のつぼみや葉を落としてしまうのでしょう。上の写真を見てください。沢山のつぼみがみられます。全部が稔ることはシナノキにとって大きな負担です。つぼみや花を落とすのは、その年の気候などの環境に合わせて種子の数を調節するシナノキの生き残り戦略なのでしょう。
北海道には、シナノキ科シナノキ属として、シナノキとオオバボダイジュ、亜種のモイワボダイジュが自生します。
左の写真は、オオバボダイジュの種子です。シナノキの仲間はどれも、このような種子の付け方をします。青空をバックにヘリコプターの編隊飛行のように見えます。種子が機体、総包片がプロペラです。風の強い日、梢を離れ、総包片をグルグル回転させて、遠くへ種子を運ぶのです。
参考:「光珠内季報」 (文・写真 春日 順雄氏)
(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)
林間独語
★昨年刊行された『森の力』、『森林と人間』という2冊の本(ともに岩波新書)が、会員の間でよく読まれているようだ。
★『森の力』は森林・林業に関わって高い理想を胸に地道な実践を進める多彩な人々、思わず目頭を熱くする人間像を紹介する。『森林と人間』は、映画のシーンを思わせるようなとある駅頭の別れに始まり、北大苫小牧研究林における都市林づくりの一部始終を描く。職員一丸の手仕事、市民との協働が何とも爽やかだ。地球と人類の歴史を辿り、ヨーロッパの森も視野におさめ、説得力とはこういうものかと思わせる誠実な筆致である。
★森林に深く根差した日本の(精神)文化が森林の荒廃・消滅とともに大きく、しかも極めて短期間に変容し去った。我々の幼少期まで確実にあったものが! 両書は筆を揃えてことの成り行きを説き明かし、今、どんな時代に生きているのかを考え、森と人との関係を問い直し、新たな共生を創りだそうと訴える。
★読み終えて、ウッディーズの営みを省みる。それは祈りに似たようなものだろう。しかし、続けることだ。祈りが祈りと響き合い、確かな力となって現実を揺るがすかも知れない。