森林人通信

Vol.40 2008.3.1

森林づくりの環をひろげ 2008年を 前進の年に

 3月2日、札幌・Lプラザで第7回総会が開催され、新たな展開をみた2007年の活動を踏まえ、更なる前進を図ることを確認した。

 2007年の活動については、作業 等の日数が飛躍的に増大し、内容も多岐にわたるなど、以前の実績に比し質量ともに拡大・進化したことが報告された。ホームページの立ち上げも、特筆事項。
 08年については、各フィールドでの間伐・下刈り等の作業を着実に進めるとともに、活動資金の調達と会員の拡大、ホームページの改善を重点課題と位置づけ、それぞれ担当チームを設けて取り組むこととした。
 関係団体等との対応機会が増加したことや会内の諸問題に組織的対処を必要とするなどのことから、規約が全面的に改定・整備された。会の目的が「自ら森林づくりの体験を楽しみ、森林に関心を持ち、かつ、森林づくりに取り組もうとする人々と手を携えて、森林のあるべき姿を提案し、豊かな森林を次代に引き継ぐためにその環をひろげていくこと」と明確にされたほか、会の意思決定・執行体系が整備された。
また、多くの入会者を迎えたことから、「新会員講座」を設け森林や安全作業に関する基礎知識の学習機会とすることが決められた。行く手に据えられた指導標に向かいしっかり歩いて行きたい。

自然や森が ますます大好きに - 白旗山 冬の観察会(2月11日) -

 カンジキやスノーシューを履いて雪面へ一歩を進めたときから心が躍り出す。

「これはですね」というウンチクに
「なるほど!」と感心。楽しい

枝から下がり、風に揺れるウスタビガの繭。
夢を包み込んでるようだ

 様々な姿態の裸木が寒空へ枝を伸ばし、そこにはもう丸みを帯びている花芽もある。厳冬のさなかに育ぐくまれる命を抱えて立つ木々。もうすぐの春には、身をよろって耐えた酷寒など知らぬ気に、鮮やかな花を咲かせ、緑の葉を拡げる…。

 会員に「ネイチャーインストラクター」が多く、沢山の、命の不思議に気づかせてくれる。心強く嬉しい。 自然の精妙さに畏敬を覚えた一日だった。

旅の空でも

チョッと気(木)がかり

 この正月、奈良県との県境近くにある京都・岩船寺から浄瑠璃寺までをブラブラ歩いた。ガスがかかる道は行き交う人もいない。何度も深呼吸をして田舎を満喫した。
 それにしても気に掛かるのは、周りの竹林や樹林。全く手入れがされていない。一人の村人にも出会わなかった…、ということは、山仕事をする人なんていないということか。
旅のしみじみとした気分が複雑な思いに変わった。(那須川はるみ)

命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵 

~春日 順雄氏によるコラム~

1【セッケイムシ

ユキクロカワゲラ

 まだ、その生活史は十分に解明されていないそうですが、幼虫のときは綺麗な渓流の中で過ごし、真冬から雪解けの頃に成虫になり、交尾をし、卵を産むという昆虫がいます。
 2006年3月16日、西岡水源地の上流の沢を歩いていた時のことです。真っ白な雪の表面に黒い小さな点がイッパイ動いていました。大きさは、1,5~2センチぐらいです。カワゲラの仲間です。夏でも雪渓で見られるのでセッケイムシともいわれています。翅のないものをユキクロカワゲラ、あるものをオカモトクロカワゲラというそうです。
 「クロカワゲラの成虫は黒く見えるものに向かって進みます。雪の中で黒く見えるものの多くは木々です。木のまわりに到着すると雪の中にもぐったり、交尾したりして数週間過ごします。雌の卵巣が成熟すると、木に登っていきます。木の梢に達すると、そこからジャンプして一気に近くの沢まで飛んでいき、産卵し、次の世代が始まります。」という文を目にしました。
 成虫は、水以外摂取しないし、それほど口が発達していないともいわれます。氷河期の生き残りともいわれて、淘汰の激しい自然界を生き抜いて来られたのは、食べるものがないために外敵の少ないこの時期に成虫となり、産卵する、という生活に進化してきたからでしょう。

(コラム「命を引き継ぐ 木や虫たちの知恵」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

木を友に 

~中野 常明氏によるコラム~

11【オンコ】

オンコ

町中で見つけたオンコの古木

 北海道でオンコといえば、木に関心のない人でもこの名前ぐらいは知っている。それ程お馴染みの木という事である。庭のある家なら必ずと言っていい程どこかにオンコを植えてある。常緑で、姿、形が美しく日陰でも丈夫に育ち、苗木も簡単に手にはいることなどが原因と思われる。

 オンコは他にも沢山の名前を持っている。イチイ、アララギ、キャラボク、スオウ、ヤマビャクダン、シャクノキ、水松等々である。イチイは、仁徳帝がこの木で作った「笏」(神主が使う板状の神具)が素晴らしかったので、官位の一位を与えた故事に由来するという。アララギは、斎藤茂吉、土屋文明等が活躍した短歌誌の名前にもなった。キャラボク、ヤマビャクダンは、その材の色と香が香木の白檀に似ているところから来ている。植木屋は、キャラボクは背丈が高くならず横に枝が伸び、オンコとは別種という人が多いが、植物学的には同種と見る先生(「日本の樹木」の辻井達一先生など)と別種と見る先生(「北海道樹木図鑑」の佐藤孝夫先生など)の両派があるようだ。ややこしいことに、オンコの葉はイチイより幅が広く別種だという説もあるとのこと。

 オンコはアイヌ語ではない。東北地方でイチイのことをオンコ、オッコ、オッコノキ、ウンコ、アッコ等と呼び北海道にも伝わりオンコになったらしい。(「日本の樹木」前出)アイヌ語では、ラルマニ、あるいはクネニ(弓になる木の意)である。

 道内のあちこちにオンコの名木が残っている。かつて住んでいた砂川市の神社の境内にも樹齢千年を超えるといわれた古木があった。又芦別市の黄金地域に「黄金の水松」と呼ばれている巨木があり、わざわざ見に行ったことがある。期待通りの堂々たる古木で満足して帰ってきた。今住んでいる札幌のど真ん中でも立派な巨木を発見し、車の中から眺めて喜んでいる。

 オンコの一番美しい時期は、新芽の出る春先である。木全体が浅緑の芽に覆われて、生き生きとした雰囲気を醸し出す。こんな時のウオーキングは、自ずからオンコの生け垣に囲まれた家々を巡るコースになる。但しこの時期は、害虫のカイガラムシの繁殖する時期でもあり注意を要する。枝や幹に動く白い小さな虫を見つけたら即刻駆除した方がよい。さもなくば、やがて貝殻状の固い殻が外表面を覆い薬剤が効かなくなる。

 雌雄異株で、雌の木は、夏の終わりから秋にかけて、赤い小さな実を沢山付ける。甘味料の乏しかった戦中、戦後には、この甘い実を見つけて他人の庭まで忍び込んだものである。赤い果肉の中には緑色の種があり、うっかり噛むと渋くて酷い味がする。有毒の成分を含んでいるためである。子供に与える場合は注意が必要である。ハムレットの父親は、うたた寝中に欧 州イチイの種からとった毒液を、耳から垂らされて死んだといわれている。
 因みにオンコは12月21日の誕生木である。

(コラム「木を友に」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

山中林思 

~東前 寛治氏によるコラム~

1【森に入る心】

私たちはどんな気持ちで森に入るだろうか。改めて先人の言葉からそれを学び、自然についての意識を深めながら森に入ることにしよう。
 森に入ることを大胆に呼びかけた一人に、国木田独歩がいる。

 

「山林に自由存す」

 山林に自由存す
 われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ 嗚呼山林に自由存す
 いかなればわれ山林をみすてし

 あくがれて虚栄の途にのぼりしより
 十年の月日塵のうちに過ぎぬ
 ふりさけ見れば自由の里は
 すでに雲山千里の外にある心地す
 
 眦を決して天外を望めば
 をちかたの高峰の雪の朝日影
 嗚呼山林に自由存す
 われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ

 なつかしきわが故郷は何処ぞや
 彼処にわれは山林の児なりき
 顧みれば千里江山
 自由の郷は雲底に没せんとす

出典:
・現代日本文学大系11 国木田独歩・田山花袋集
・筑摩書房「独歩吟」(1970年)

 都会の雑踏や人混みから逃れて森に入ると、種々雑多な樹木の伸びや広がり、地面を覆う雑草の茂りに、思わず目を奪われる。緑の展開は安穏を招き、植物の寡黙は静謐を促す。ここに世情のしがらみや桎梏を忘れ、自己を取り戻すことができると思うのは誰しも同じであろう。独 歩の詩は端的にそのことを表現している。この詩を読んで陶淵明の「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす」を想起するのは私だけであろうか。

 独歩がここで言う「自由」とは、徳川封建体制から脱却し、自由民権運動の嵐をくぐって日清戦争に勝利を収めた、揺籃期の帝国日本の矜持であり、とりわけヨーロッパの影響を受け「新体詩」をかかげてやまない詩人の雄叫びでもあった。同じく「独歩吟」で、「嗚呼詩歌なき国民は必ず窒息す。其血は腐り其涙は濁らん。歌えよ吾国民」と喚起してやまないところを見ても大いにその意気が感じ取れるであろう。換言すれば原初的な、プリミティブな「森への誘い」、まだ幸せだった誘いということができるだろう。はたして独歩の眼に、どれだけ森に生きる人々の生活が映っていたのであろうか。それでもこの詩は、森への一歩を誘って止まないものがある。

(コラム「山中林思」のバックナンバーは、「森林人コラム」で読めます)

余録

往復メール 千賀 ⇔ 中野 (1月10日)

★中野さんへ
 高橋千賀です。「木を友に10」の故郷の柾屋の話しを友人がすごく喜んで、中野さんはいくつぐらいで どこ出身なの?って聞くのです。友人は置戸の柾屋だったそうです。私も子供の頃 柾でママゴトをして遊びました。 今 ほんとに 見なくなりましたね。おいやでなければ 素性 お明かしください(笑) 友人に教えますので。喜びます。

★高橋千賀さんへ
「木を友に」をお読み頂き有難う御座いました。お友達まで…。
 私の出身地は後志の倶知安町で、毎日、羊蹄山とニセコを眺めながら育ちました。年齢は、後2週間ほどで満72歳です。つまり還暦から1周りして今年は年男、年寄り鼠です。
 ところで、柾屋根は少し強い風が吹くと柾が飛び穴が開きます。その後に雨が降ると雨漏りで忙しい目に遭います。そうならないうちに修理できるように、修理用柾が何処の家にも常備されていました。高橋さんがママゴトに使ったのは、その修理用の柾だった思います。
雨模様になると、おふくろに命じられて「差し柾」をするのですが、職人さんを真似て、柾釘を口に含んで早撃ちをしようとして、指を打ち痛い目にあったものです。
 お友達は置戸出身とのこと。置戸の木工品「オケクラフト」は有名で、幾つか買って愛用しています。特注したカラマツ製のサラダボウルは素晴らしく、大事に使っています。
 お友達によろしくお伝え下さい。

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