笛木 森之助氏によるコラム「白旗なあなあ日常」
Vol.9
お久し振りでした。昨年の12月以来でしょうか。その間、大きな出来事があり過ぎました。連れて思うことも多々あるのですが、数日前に雀蜂に3箇所刺され、その腫れがひき始めたら痒いの何のって…そのため元々低い思考能力が更に低下。この顛末についてはいずれまた。
7月23・24日は、「きたネット」に機会を頂き、「前田一歩園の森づくりセミナー&阿寒湖周辺の森視察」に参加。森林を仕事場としている者だが、「あの森林」を目の当たりにし、神々しい迫力に圧倒されてしまった。
昭和58年に設立された前田一歩園財団は、阿寒湖周辺の宅地や山林を管理し、その広さは3892ヘクタールで、湖の三方を囲むように3593ヘクタールの山林があり、全域が阿寒国立公園に包含されている。「三百年前の原生の森林に戻す」よう風致景観を重視した森林施業。例えば、皆伐は行わない。大径木・営巣木・貴重木等は遺す。針葉樹七割、広葉樹三割の針広混交林を目指す。マリモ生息地流入河川区域、貴重な鳥獣生息地など必要な区域は原則伐採しない。更新不良地は植え込みを行う(赤蝦夷松)…。加えて、森林経営に必要な経費は、多くを財団の収益部門(温泉、土地事業)からの繰入金等で賄うことができる。この特異な森林経営だから自然環境に配慮した天然林施業が可能なのかも。が、それも高邁な理想と人づくりがあってこそ。
明治39年前田正名(まさな)氏が、国有未開地の払下げ等を受け、阿寒湖に「阿寒前田一歩園」を開設した。その後、正名氏の次男正次(しょうじ)氏に、さらに、正次氏の妻光子(みつこ)氏に継承されるが、前田家の「前田家の財産は総て公共の財産とする」、「伐る山から観る山へ」という基本的な考えのもと、後半期は一貫して環境保全を重視した森林経営が行われてきた。特に光子氏は、(国を含めた)様々な開発圧力の中で、阿寒湖の人達と一緒になって自然を守り続け、その豊かな恵みを多くの人々に永遠に享受して欲しいと、姪御さんと共に森林等の財産を寄付し、「財団法人 前田一歩園財団」を設立した。
その高潔な志が正に受け継がれた「あの森林」だったことに感銘を受けたと共に、同じ山仕事をするのであれば、「あの森林」のような、誇りを持てるところでしたいものだなあ…と。
※「前田一歩園(いっぽえん)」は、正名氏の座右の銘「物ごと万事に一歩が大切」に由来する。