荒巻 義雄氏によるコラム「ムー大陸の夢」
第4回 ムー神人は日本にきたか
〝無〟は、ムー大陸を表す文字だという説があるのをご存知だろうか。昭和一桁生まれのかたなら戦時下の日本で広く伝播したのでご記憶と思う。〝無〟の上の部分は古代ギリシアの神殿の写しだ。下は波だから、つまり海洋帝国ムーを表すというのだ。
時々、両親のところに顔を出していた陸軍将校が真面目な顔をしてそう言ったので、小学生だった筆者は堅く信じていた。むろん、誤りである。〝無〟には、昔は〝林〟という字が入っていて、草木の茂る林が失われるという意味であった。
ともあれ、筆者の記憶では、旧陸軍将校の間でムー大陸が話題となったらしい痕跡がある。当時の日本は南洋進出を目論んでいたからだろうか。同じころ、ジンギスカン/源義経説も大いに流布した。この背景には大陸進攻を合法化する意識があったと思う。
第一、〈日本原人説〉なる説さえも一流大学の先生が唱えていた時代であった。 というわけで、ムー大陸存在説には、どこか、うさん臭さもないわけではない。
ムー神人が、わが国にも来たという話もある。上陸地点は、今回、台風の被害にあった紀伊半島。おそらく伊勢二見浦付近に河口のある宮川を南西へ遡り、日本有数の降雨地帯大台ヶ原を越えて玉置山(一〇七六米)に入った。ここは熊野本宮の奥宮である。(あるいは、熊野の少し南の有馬がイザナミノ命を葬ったとされる地なので、ここから幽地、大台ヶ原へ直接向かったのかもしれない)
私が取材で出かけたコースは、奈良から十津川経由だった。今回、崩落した土砂ダムの脅威に曝されている場所である。
玉置山の由来は丸石信仰である。実際、社殿とは別に、大樹の根元に玉砂利を敷き、まん丸な玉石が祀られていた。と言うことは、中米コスタリカの巨大石球を連想させるが、まさに深山幽谷の趣き。大地(地球)の神、国常立命が祭神である。
実は奇妙な付合がある。紀伊半島南東部は牟婁(むろう)郡だ。ムー大陸はムーロア大陸とも言うから、付合するではないか。
他にも、ムー伝説の極めつきは南九州、開聞岳の頂上に祀られているムーの秘宝だ。頂へは登れなかったが、麓を車で走った。
かつて噴火していた富士山型の火山。海岸に接し標高九二二米。夜は沖合から火柱が見え、昼は水平線の彼方からでも噴煙が見えた。
開聞岳は、超古代、南から来る航海民には重要な灯台の役目を果たしていたのである。