荒巻 義雄氏によるコラム「絶海の孤島問題」
第1回 イースター島序曲
日本から一万四〇〇〇キロメートル離れたイースター島は、巨石像モアイの島として有名である。近年は観光も盛んで、この聖なる島をモトクロス・バイクで走り回る若者も多いらしいが、私が『空白のムー大陸』取材のために訪れたのは三十数年前であった。
もちろん、この島には多くの謎があるが、おいおい書くつもりだ。しかし、栄枯盛衰したイースター島の歴史は、実は今の地球問題を考えるよいモデルなのである。
私は、いよいよ一〇年代に入って、二一世紀が本格的様相を見せてきたと思う。人類にとっての正念場は今後の一〇年間だと考えるが、私の予想では、九〇年前の一九二〇年代に似ると思う。歴史には循環があり、三〇年、六〇年、九〇年で変わる。この説を採れば、大体の予測がつく。私自身もこうした方法で今後を読み、SF小説を書いているのである。
さて、まずテーゼを示そう。私は、地球そのものを〈島〉と考える感覚が、これからは必要になると思う。二次元の地図ではなく、三次元の地球儀を両手に持てば、その感覚にかなり近づけるはずだ。地球は球体だから、その表面は閉じられており、従って有限である。ここが、われわれ人類が棲息している場所なのだ。
当然、資源も有限である。資源に頼る物質文明も然りである。人類が欲望のおもむくままに物質文明をつづければ、地球が汚染されて公害を起こす。イースター島でも人口が増加し、生存のための階級闘争、更に戦争が起きた。
もし、地球が一つの島ならば、同じことが起きる。戦争の多くは、生存資源の枯渇で起きるから、人口が五〇億を越えた今の地球は危いのである。
地球が壊れ始めている。物質の浪費が二酸化炭素を増やし、これが海水温度の上昇を招き、大気にエネルギーを与える。たとえば、印度洋の表面温度がもし一度あがれば、その熱量は凄い。家庭のバスルームを考えればいい。こうして洪水や熱波などが多発、世界各地に悲劇的災害をもたらす。
ロシアのような北方の国でさえも、今年は山火事が数多く起こり、泥炭層までが自然発火している。南米南部は記録的寒波に襲われ、フランスは連日三五度を越す。日本もだ。
地球の危機に際し、われわれになにができるか。森を愛し、育てる心から、いま、いちばん大切な地球愛も生まれると思う。