中野 常明氏によるコラム「木を友に」
31 クワ
JR函館線で札幌の西隣の駅名は「桑園」である。この名前がクワの木と関係があるのか調べてみた。大いに関係あることが分かった。北海道開拓が始まったばかりの明治8年、酒田県の士族団(山形県の庄内藩士)約230人が船で来道、これがいわゆる官営桑園開拓団で、約70人は渡島大野桑園で開拓に当たり、残りが札幌に来て桑園を開いた。今の桑園駅の近辺だったので「桑園」という駅名が残った。
北海道の低地には、野生のクワ(栽培クワと区別してヤマグワと呼ぶ)が自生しており直ぐに養蚕に利用できる状況だった。そのため、士族団が来道する前の明治4年既に丘珠、渡島大野に養蚕所を作っていた。当時の開拓計画によって、あちこちに養蚕所が作られていた。小学生の頃、我が故郷・倶知安にもマユを処理する工場(マユの中のさなぎが蛾になってマユを食い破る前に、マユを煮て、さなぎを殺す)があった記憶がある。
ヤマグワは高さ20m、直径60㎝程度までになるが、これまでの大きさの木は滅多に見られない。栽培クワは、枝ごと刈り取られるので、背丈は低い。葉は有柄互生で、同じ木でもさまざまな切れ込み方をする。雌雄異株であるが、たまに同株もあるという。果実は、良く知られているように、最初は白く、次には赤く、最後は黒くなり、食べても美味しくなる。 作詞三木露風、作曲山田耕筰の「赤とんぼ」にも「山の畑のクワの実を 小籠に摘んだは まぼろしか」という懐かしい一節がある。
小学生の頃は、食糧不足の時代で、農家でなくとも畑を借りて食糧を確保していた。小学生でも重要な働き手であったから、よく畑に出掛けた。我が家が借りた畑の周辺にはクワの木が多く、そこを新しく開墾するのは大変であった。クワの繊維は強靱で、小さい木でも鍬で根を切るには、ヘトヘトになった。昔、この強い繊維を利用して、和紙や着物を作ったと知って納得した。若葉は天ぷらにして食べられると言うが、未だ試していない。クワの語源は、食葉(くは)または蚕葉(こは)、いずれもカイコの食べる葉から来ている。
近くの防風林にもクワの木は沢山生えており、時期が来ると沢山の実を付けている。しかし昔のように子供達が競って摘んで食べるという光景は見られなくなった。あるいは、親の年代でもクワの実を摘んだ経験のある人が少なくなったためかも知れない。ウオーキングの路上に完熟した真っ黒な実が落ちているが、無神経に踏みつけられていて歩けない。子供の頃おやつ代わりとして、大事に食べた思い出があるせいかもしれない。
・『北方植物園』朝日新聞社
・辻達一『生命樹』中公新書
・佐藤孝夫『新版北海道樹 木図鑑』亜璃西社