山中林思

(文:東前 寛治)

6 入会地と御用木

 前回は、中世から近世にかけて山林が「アジール」として扱われ、また、移動する山の民が自由に行き交っていたことを述べた。今回は封建制度の確立に従って、領主権力が強化され、山林を巡る取扱いが変化していくことに触れる。 
 豊臣秀吉は全国統一に向け「検地」を強力に推進し、耕作農民による年貢負担を確保した。農民は耕作権を認められ、「刀狩」と引き替えに土豪等旧勢力支配から逃れることができた。しかし、林野は検地の対象外であり、無主地として自由利用が普通であった。 元来、領主権力は在地任せであったが、次第に山論(やまろん=村と村との草地や伐採を巡る争い)への介入により、調整と共に収税力を高めて権力を強化する方向に向かい、藩内の支配を徹底する。他方、農民は山林への入会(いりあい)を領主の名において公認させ、生産の基盤を固めることができた。入会とは、林野に立ち入って共同的に毛上(けじょう=林野に生育している樹木・柴・草)の採取を行う慣習上の権利をいう。入会地では薪炭材・牛馬飼料・苅敷(かりしき=緑肥)・草木灰の素になる草を採取し、自給肥料の大半を手に入れた。もともと山林原野への入会権は、生活共同体としての村に属する権利であったから、個人の入会地用益権はその村の構成員であることが基本的条件である。

 入会以外の時は「鎌留(かまどめ)」とされ、入会は当日の三十日前から触れが回る。その日には村で動ける者は一人残らず山へ行き、全員で草刈りをする。道具は鎌のみで、ほかの携帯は許されない。刈り取った草は二週間ほどかけて山から運び出す。一反あたりの柴草は、一六〜三五駄(だ)、一駄はおよそ三〇貫、一反では四五〇貫〜一〇五〇貫にもなり、大変な量だ。 
 入会には、「村中入会」=村の者のみが利用、「村々入会」=複数の村が利用、「他村持地入会」=他の村の入会地を利用、の違いがある。しかし村の中でも階層分化があり頭(かしら)百姓は入会地を利用できても、脇(わき)百姓は利用できないという例もあるように、入会の利用の差異が歴然と有り、水呑百姓の権利拡大への要求は次第に強くなっていく。

 領主は藩用材を確保するため、「御建山(おたてやま)」を設け、樹木の伐採や入林を禁止した。また、「御用木(ごようぼく)」を指定して農民の所持・利用にゆだねられた林野であっても、無断伐採を禁止した。その樹種は、松・樅・栂・欅・桑・桐・エンジュ・栃・楠・柏・樫・杉・檜・栗の一四種に及んだ。検地に際して蜜柑・茶・漆などの木を畑・屋敷の面積から差し引いて別に登録し、「公儀物たるべき儀候」として、なり物(収穫される物)の三分の二を上納させ、三分の一を百姓の手元に残した例もある。更に、享保の改革以降は新田開発に伴い耕地・用水・採草地の確保が一体となって、入会地の拡大・新規参入を巡る訴訟が急増する。その後、入会地が急速に変化するのは明治を迎えてからのことである。

 

【参考図書】
・古島敏雄『日本農業史』(岩波全書)
・有岡利幸「里山T」(法政大学出版局)

 

 

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