北極圏への旅

(あらまきよしお  作家・荒巻山林山主)

第1回 それは存在しない。だが……

 飛行機から見下ろすスカンジナビア半島の印象は骸骨である。 200万年前にはじまった氷期の期間、この大半島はすべて厚い氷に覆われていた。
 10年ほど前になるが、私がスウェーデンの首都ストックホルムを発ったのは、夕方の時刻だった。 しばらくは月に光る幻想的な湖面が見えたが、すぐ暗くなった。寝台車の快い揺れに誘われて眠った私は、 当時、亡くなったばかりの母の夢を見ていた。私は、母の魂を連れて、北にあるらしい霊魂の原郷へ向かっているのだった。

 翌朝、目覚めると、列車は北緯67度付近からはじまる北極圏に入っていた。 車窓から見える原野は頼りない白樺の疎林だ。さらに、幹は細く、背の低いカラマツがどこまでもつづいていた。 藪も下草もない、褐色の落ち葉だけである。
 朝飯は、ビュッフェで求めたごついサンドイッチ。地元の乗客たちと仲良くなり、歓談するうちに、 頼まれて日本語を教えるはめに。まず、木の絵を描いて 木が象形文字であると教え、「ツリー」。二つ並べて林、「ウッズ」。三つで森、「フォレスト」と教えると、大いに受けた。
 調子に乗って、今度は木偏の文字を、「日本語では木に関係あるものは木をつける」と言いながら、板、机、柱など教え、ますます盛り上がる。 みな、大江健三郎のノーベル賞作品を読んでいるインテリおじさんたちだ。

 列車はキルナで停車。友達になった一行はここで下車。広大なラップランドの土地へ、 何日もかかるトレッキングに出かける。山歩きの経験があるから私にもわかるが、絨毯を敷いたようなカラマツの林を歩く快さ。 北海道なら2000メートル級の高原トレッキングと同じと思うが、長い夏休みがとれるこの国の国民がうらやましい。
 ふたたび発車。車窓の右手に、高校のとき地理で習ったキルナ鉄鉱山が見える。  列車は2000メートル級の脊梁山脈を越えて、ノルウェー領へ。岩に張り付いているのは苔と地衣類である。
 終点は、キルナからの鉄鉱石積出港のナルビク(北緯68度26分)。始発からここまで1580キロメートル。
 さらに旅はつづき、私は、ヴァイキングの故郷、ロフォーテン諸島へ向かうため、高速フェリーに乗船した。  (つづく)

 

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