森林人コラム
子どもたちの歓声がこだまする森を ボランティア仲間と共につくる
一般財団法人 地域社会ライフプラン協会
「ライフプラン情報誌 ALPS」vol.130 (2017年7月)より
髙川 勝
【たかがわ・まさる】
1940年、旧 樺太生まれ。60年農林省函館統計調査事務所に入所。
以後、一貫して農林水産分野の情報収集・統計作成業務に関わる。本州・四国の農林水産省統計情報事務所を経て2011年、定年退職。小樽市在住。所有山林を開放し、地区内の「かもめ保育園」の園児を受け入れる。
間伐ボランティア札幌ウッディーズ、北海道ボランティアレンジャー協議会会員
自ら名づけた「ワオーの森」。そこへ、保育園児たちがやってくる。私の妻が関わる保育園の子どもたちだ。定年退職から16年。子どもたちのためにと始めた森づくりが、はからずも仲間づくりへとつながった。森林ボランティア仲間とともにつくる森で、自然から学ぶ日々を送っている。
気がつけば山林地主
私は定年間際に、妻が関わっていた保育園の園舎を建てようとして土地を取得した。結局は、建設に踏み切る直前で、諸々の条件から建設を断念せざるを得なくなるのだが、園舎建設を目論んだ800坪 ほどの土地(台帳地目は宅地だが現況は山林)の背後には、広大な山林が抱き合わせになっていて、しめて1万5千坪(約5ヘクタール)。思いもかけず、いっぱしの「山林地主」になってしまったのである。
老後は森づくりを楽しもう!
ひょんなことで手に入れてしまった山林は、自宅から約1㎞の至近にあって、窓越しに「おいで、おいで」と手招きしている。農林水産省の職員だった私は、仕事柄、林業・森林にはそこそこの関心抱いていたこともあり、「老後の楽しみに森づくり!」という思いが沸々と湧いてきた。
しかし、いざ林縁に立ってみると、身の丈を超えるチシマザサ(ネマガリダケ)に阻まれて足を踏み入れるのも容易ではない。道を作らねば! と山を見上げていたところ、年配の女性が近寄ってきて、何かもの言いたげな様子である。聞けば、山林に接する住宅の方。覆い被さる木々が陽射しを遮り、雨が降れば樹冠から雨水が流れ落ちて菜園の野菜が泥だらけ、なんとかして! とおっしゃる。
「エーッ! それは大変。でも、たったいま手にしたようなもので…」と戸惑いいつつも、「ハイッ、何とかします!」と安請け合いしてしまった。しかし、住宅に被さる木の伐採なんて、できっこない。どうすりゃいいんだ?
森林ボランティアで広がる世界
雪が消えやらぬ山林で伐倒材を搬出し、
薪をつくる間伐ボランティア札幌ウッディーズ。
小樽市 ワオーの森(以下、撮影場所は同じ)。
撮影:工藤 了
そんな時、友人が「ピッタリの森林ボランティアグループができるぞ」と知らせてくれた。まさに、渡りに船。山林の扱い方を知りたい…という一念で、そのグループの創立に参加した。それが「間伐ボランティア札幌ウッディーズ」(以下、ウッディーズ)である。
ウッディーズは「森づくりを楽しむとともに、森林に関心を持つ人々と手を携え、豊かな森林を次代に引き継ぐ」ことを目標に掲げる。これまで、北海道社会貢献賞「森を守り緑に親しむ部門」で知事表彰、「地域環境美化功績者」で環境大臣表彰を受けている。現会員数は70名(平均年齢55歳)。その多くはホームページで紹介される活動の有様に関心を抱いての加入である。会財政は、会費の他に環境保護団体からの助成金に負うところが大きい。 (ウッディーズのHP)
活動内容は手入れの行き届かない山林の間伐・下草刈り・枝打ちなど、森を育て甦らせる作業で、これを年に約30回、10箇所のフィールドで行う。森づくりと言えば植林…と思われがちで、実際にも親子で木を植えるというようなイベントが多くある。これはこれで森づくりの裾野を広げていく上で貴重な取り組みであるが、ウッディーズは現下の森林荒廃を押し止めるには「間伐こそが急務」と考える。
こうした活動には林業機器の操作技術の習得、危険を回避するための安全知識が必須だが、発足当初から北海道・石狩森づくりセンター(当時)と札幌森林組合から懇切に指導していただいた。これがウッディーズのレベル向上に大きく寄与したと言える。森林の成り立ちや手入れの方法を座学や現場で学んだ会員は嬉々として木を伐り、笹を刈る。自身も例にもれず、木々に触れる喜びを知り森の魅力に取りつかれていく。
魅力的といえば、そこで出会った仲間である。前歴・職種も多彩、知見豊かな多士済々にして、性穏やか。「森の再生に貢献したい」という共通の思いでともに汗を流し、喜びを分かち合う。創刊から100号までの編集を引き受けた会報「森林人(もりびと)通信」で培ったネットワークを通じて、会内外の人々とより深く交流できたという「役得」もあった。
森づくりに覚える喜びと緊張感
ウッディーズの活動に参加しながら間伐などの技術を習得し、自前の機具も少しずつ揃えていった。自分の山林でまず手がけたのは、山中のルートづくりである。大まかなコースを決めて、笹を刈り、木を倒し根を切り、石を取り除く。斜面をL字型に切り取って道幅を確保する。倒した木や取り出した石で土留めを築き、階段を取り付けていく。この時はクワやツルハシ、手ノコという「素朴な」道具が主役だった。
汗が目にしみ、全身を濡らす。半日かけて(それ以上はとても働けない)10㍍も進むのが精一杯。その間、何度、作業衣を取り替えたことか。作業を終えると、その日に延びた僅かな延長部分を何度か登り降りしてはニンマリするのが常だった。このルートが山林の最上部まで〝貫通〟したときの充足感たるや。 「森の動脈ができた!」という喜びに酔いしれた。
もう一方の課題は、住宅に被さる木の伐倒である。ウッディーズで技術指導を受け、「よし、もう大丈夫だ」と自信を持ってニセアカシアの木を切り倒したら、ワァ~ッ! 新築間もない住宅の屋根に倒れてしまった。凍り付いたように立ち尽くしたことをいまだに覚えている。その後はそれほどの「大事件」は起こさないが、小さなヒヤリ・ハットとは今でも無縁ではない。
森に響く子どもたちの歓声
台風で倒れたニセアカシアの「倒木ジャングルジム」。
自然がもたらしてくれた[仕掛け]に
子どもたちは時を忘れて群がって遊ぶ。
撮影:工藤 了
作業をしていると、森の奥から「ワーォ、ワォ」という声がする。アオバトである。海水を飲むことで知られ、小樽市の「市の鳥」でもある。アイヌの人々はアオバトをその泣き声からワオと呼んだ。先人に敬意を表し、ワオが棲む森という意味でこの森を「ワオーの森」と呼ぶことにした。
もともと、保育の場として入手した森である。子どもたちが、親と一緒にエゾヤマザクラの苗木を植えた。翌年春、雪が融けると少なからぬ木が野ネズミに食われて無残な姿をさらしていた。小学生となったある子が、自分が植えた木が白く剥かれているのを見て大声で泣き出した。いつまでも泣き止まずしゃくり上げる子どもを前に、慰めようもなく私は立ち尽くした。
以後、子どもを悲しませないためにも野ネズミ対策に力を入れた。今では、都合100本近く植えたエゾヤマザクラの生き残りが大きく成長し、北国の遅い春に山裾を花の色で染めるようになった。
山林の最上部は、眼下に市街地と石狩湾を見下ろし、対岸に増毛連峰を望む、眺めの良いポイントである。ここに子どもたちのために遊び場を作ろうと思い立った。
保育園の職員や親たちにその思いを伝えると、アッという間に「ツリーハウス建設実行委員会」がつくられ、「幼い日に『トム・ソーヤの冒険』読んで夢見た木の上の隠れ家を子どもたちに!」という呼びかけがされた。「子どもたちのためなら何でもやるよ」 という親集団である。職種も様々で、当然、建築のプロもいる。
設計・施工、機器や資材の搬入、食事やおやつの差し入れと手際よく役割分担をして工事が進められた。子どもたちも、小さなハンマーで釘打ちなどをした。約400㍍の急傾斜の山道を登り降りしての、消耗の激しい作業だったが、完成してみれば、過酷な労働の辛さは達成感に満ちた喜びに変わった。何よりも、子どもたちのはしゃぎ回る姿に疲れを忘れた。
最初に想い描いたツリーハウスは、立地条件の制約から充分な広さの展望台ということに落ち着いたが、他に立木を利用して「トランポリン・ハンモック」、「ターザン・ブランコ」、「倒木ジャングルジム」、「ロープわたり」などオリジナル遊具を整備し、山上のアスレチック・フィールドを創り出した(かもめ保育園HP )
子どもたちは、そこで思う存分遊んだ後に3キロほど離れた園舎に帰っていくが、山の斜面を獣の如く駆けまわる体をつくっている彼らには、その道のりは少しも苦にならない。
薪ストーブに憩い、森と仲間を思う日々
先述した、山林に隣接した家に住む女性との約束で、住宅近くの立木は境界線約200mにわたり、10mくらいの幅で伐採した。大量の伐倒材が林床に残った。それを薪にして、山林の入り口に建てた小屋の暖房に利用したが、その程度ではほとんど減らない。自宅の主暖房を石油原料のセントラルヒーティングから薪ストーブに切り換えようとしたが、家人は「家の中が煙り臭くなるし、木くずで汚れるからダメ!」と、にべもない。
しかし、2005年以降灯油価格が急騰したのを幸いに、有無を言わせず薪ストーブを導入した。以来、薪を得るための伐採から薪切り・薪割りまでの作業をウッディーズがやってくれる。「薪作りを個人の家計の支援だと思わないでください。樹木を利用することが森林環境を維持することになるんです」と、ことあるごとに言って後ろめたさを覆い隠すのだが、実際、会員仲間の分を含めて薪を目的に伐採を進めるにつれ、林内が目に見えてスッキリしてきた。
北海道の薪ストーブシーズンは11月から5月にかけてである。早朝、薪ストーブの炉内に揺らめく炎を眺め、薪が爆ぜる音に耳を澄ます。心地よさに陶然とするとともに、森と仲間への感謝の思いを日々新たにする、朝の儀式めいたひとときである。
地域住民に親しまれる森へ
序幕された案内板に、
お気に入りの野鳥を見つけて歓声を上げる園児。
撮影:工藤 了
薪の原木を調達することで満足していると、ウッディーズから「地域の人々に愛される森をめざし、目的意識的に整備を進めよう」という提案があった。
一つは、遊歩道の整備と林床植生の多様化を目指すプロジェクトである。その内容は遊歩道の拡幅と階段の作設、遊歩道沿いの広範囲の笹刈り、林内全樹種の樹名板の取り付け、そして、山林入り口に案内板を立てるというものである。2016年5月、3年越しのプロジェクトが完了すると、デザインの担当者たちが「国立公園並みだ」と自画自賛した案内板にひかれて、アプローチの40段の階段を上がってくる人が相次いだ。笹を刈り取った跡に多様な植生が芽吹いた。
プロジェクト完成記念に開いた自然観察会では、小学生と保育園児を含む100名に近い参加者が樹木や草花に興味津々、真剣なまなざしを注いだ。「北海道ボランティアレンジャー協議会」が2017年から年に2回、ここをフィールドに自然観察会を実施するまでになった。
標準地内の胸高直径6センチ以上の全ての木について
調査、計測していく。
もう一つの提案は、「森林調査」の実施である。山林全体を林相などに応じて6ゾーンに分け、それぞれに設定した標準地で立木の測定(樹種、樹高、直径、有用性)や下層植生の調査などを行い、それをもとに山林の全体像を科学的に把握した。調査結果を踏まえ、会員間の熱い議論を経て、今後の施業方針を策定した。
樹木に寄り添い 森に身をゆだねて
60歳でリタイアし、森に入れ込んだ16年が経過した。気がつけば人間関係の多くは「森つながり」である。「森づくり」は「仲間づくり」でもあったのだ。そして、草木や森の生き物と出会い、その不思議さと魅力の虜になっていく年月でもあった。
仲間との学びの中で、植物は人類の1億年もの先輩だと学んだ。その生命力の強さ、知恵の深さには、ただただ驚くばかりである。森に憩い木々を眺めていると、自らの人生を振り返り、懐かしい人々を偲んでいたりする。そして、次代を生きる子どもたちのことを想う。今、元気に森を駆け回る彼らに辛い人生が待ち構えていないように、ましてや戦争で命を奪い奪われたりすることなどが決してないように…と。
ふと、輪廻転生という言葉が浮かんでくる。この身は程なく元素に還り、名も知らぬ草や樹になり、また生まれ変わって虫になり、それが草木を食んで…。
花ふぶき生死(しようじ)のはては知らざりき
石牟礼道子
北海道新聞に掲載された記事