森林人コラム

荒巻 義雄氏によるコラム「ムー大陸の夢」


第5回 ミクロネシアの花園 ― ポナペ島

 ムー大陸伝説は今回で終わりとするが、最後に南洋の海上都市の話をしたい。

 取材で出かけたのは二十数年前だ。搭乗機はマリアナ諸島のサイパン、グアムを越え、かつては連合艦隊の泊地であったトラック島の大環礁の上を飛ぶ。機首は転じ真東である。その先にポナペ島があるのだ。
 東京の南東三九〇〇キロメートル。カロリン群島の一島。北緯七度東経一五八度。当時は日本人が経営するホテルがあり、分厚いステーキが美味かった記憶がある。
 遺跡はナン・マタール。船着き場から船外機付きのボートに乗り、エメラルド色の珊瑚礁の上を進む。やがて鬱蒼としたマングローブに覆われた島が見えてくる。

ナン・マタール遺跡 出典:Wikipedia

 近づくと巨大な材木石(ざいもくいし) を大量に運び、要塞のように積み上げた神殿が出現する。ナン・ドワスと言う。意味は「偉大な者の口」だ。地下牢のようなものがあった。〈ひょっとすると、生け贄にする捕虜を監禁した場所かもしれない〉と想像した。
 見上げると、椰子の梢がそよぐ青い空。むっとする湿気。苔むす遺跡の二重の壁に圧倒されて、背筋にひやりとしたものが……。
 石材は玄武岩らしく、膚が黒いので廃墟をいっそう悪魔的にする。正面が六五メートル。壁は二・三メートル。高さ七メートル。正倉院の校倉造りを思わせる石積みだ。石材は最大で六・二五メートル、重量一〇〇トン、どうやって運んできたのだろうか。
 飛鳥の石舞台と言い、英国のストンヘンジと言い、フランスはカルナックの巨大列柱、南太平洋のイースター島と言い、古代には全世界的に拡がる巨石運搬文化が存在したにちがいない。
 他に、この材木石で護岸した人工の島が幾つもあり、整然と区画され、水路もある。
 温んだ水路を歩いて進むと、海鼠だらけだ。
 この大規模な海上都市をだれが造ったものか。ムー文明の名残だと騒がれたこともあった。
 港があることから、彼らが近隣の島々へ遠征していたことがわかる。椰子林や養魚地があり、一定の人口を擁していたこともわかる。
 かつて、南洋には、デレウル王朝というものがあり繁栄したが、イソケレケルの反乱で倒されたという言い伝えもある。

 いずれにせよ、栄枯盛衰は、世のならいである。   (完)

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