森林人コラム
荒巻 義雄氏によるコラム「絶海の孤島問題」
第4回 イースター島人 なぜ滅びたか
国家や文明が滅びる原因は幾つもある。たとえば、強国による征服。しかし、イースター島は世界から隔絶された孤島だ。彼らは征服されたわけではなく、人口増加が内乱をひき起こして衰退した。
イ島は、ほぼ鈍角三角形をしており、面積一二〇平方キロメートル。奥尻島の約八五%だ。全島が草地で、羊と馬が主要産業である。この社会には、最初の移住者ホッマッアの血統を引く貴族や神官。その下に戦士、召使と農夫の四階級があった。
長耳族と呼ばれる支配階級をあらわすモアイは顔が長く、耳飾りで耳朶が垂れ下がっている。これらは神格化された大王であろう。一方、各部族の族長のモアイは、顔が丸か四角で胴体はずんぐりである。その数、約千体。一二世紀から一五世紀にかけて熱狂的に制作され、当時の人口は一万人。今の奥尻島でさえ約四三〇〇人であるから、いかに過剰かがわかる。
一六世紀~一七世紀にはさらに人口が増え、部族間で戦争がはじまり、島は疲弊。モアイ制作も途切れた。
しばしば、樹が薪のために切り尽くされる例はアフリカなどでよく見られるが、イ島も同じだった。しかも、ここは強風地帯だ。森林が守っていた耕地に、塩分を含んだ海風が吹きつけ、作物を枯らす。植林しようにも、苗木のうちに枯れてしまう。
始祖であるホッマッア七兄弟が赤道付近からきたせいもあると思うが、たとえばタヒチ島などでは、緑がむんむんするほど、植物が元気である。しかし、高緯度のイ島では、容易に植生は再生しないのだ。
前にも書いたが、木がなければ魚とりのカヌーが作れないし、飢餓の島からの脱出も果たせない。最後は食人に追い込まれた。
辛うじて生き残った島民は、スペイン人によって奴隷とされ、ペルーの燐鉱石採掘に送り込まれた。が、隔離された島で暮らしてきたため免疫力を持たず、次々と死んでいった。ようやく一部は島に送り帰されたものの、彼らが持ち込んだ天然痘や肺結核が大流行し、ほぼ絶滅した。
これからの世界でも、同じことが起きるだろう。たとえば、今日、すでに問題になっているような、抗生物質が効かないウイルスが出現すれば、人類は滅亡の危機に直面する。幕末開国のころ外国人がもたらした病原菌で、大勢の日本人が死んだ。欧州の人口を激減させたペストも、東アフリカからの積み荷に紛れ込んでいた鼠が運んだものであった。