荒巻 義雄氏によるコラム「絶海の孤島問題」
第5回 モアイ製造所
イースター島の石切場は、ラノ・ララクである。ラノは火山のことだからララク山だ。海底から噴出したこの火山は、今は死火山である。火口は緩やかで草が生え、中央に浅い水溜まりがある。
モアイ制作場は、火口壁外側の斜面にある。現場に行くと、掘り出し方がわかる。というのは、着手から切り離し寸前まで、様々な段階のものが見られるからだ。
イースター島の彫刻家は数人でグループを造り、斜面の輪郭を描き、黒い石器で根気よく溝を付けていく。同時に目鼻と短い首というか胴も作る。溝は背中にまわり、支えの二個所を残して完全に立体となる。
最後に切り離され、斜面から下に引きづり降ろされるのだ。
なぜか、作りかけだが巨大なモアイもあり、眼窩の凹みに人が横たわれるくらいだ。むろん、これを起こすのは重すぎて不可能だろう。第一、モアイの素材は堅いとは言えず、折れてしまうだろう。現に、途中で胴が折れ制作が中断されたものもある。
外輪山の頂から平野を見下ろすと、運搬を中断したまま放置された横たわっているモアイがあり、幾筋かの線で結ぶことができる。
つまり、モアイの搬出路があったわけである。どうやら平らな玉石を並べ、おそらくこの島の湖に生えているトトラ葦のロープを引っかけ、何十人かで引きずったのであろう。
だが、戦争かなにか、原因は不明だが、モアイ建立の信仰は、突如、失せた。古代人の重量運搬の技術は進んでいた。たとえば、英国南部のストーンヘンジの巨石も遙か遠くから運ばれたものだ。わが国では飛鳥の石舞台(墳墓跡)の巨石運搬。
一方、ラノ・ララクの裾に半ば埋められている多数のモアイは、ずんぐりした海岸モアイとは形態が異なる。支配階級長耳族の歴代の王のもので、耳朶が異様に長く、鼻筋も通っている。
赤い石の髪型あるいは帽子は、まだ頭に乗っていない。目も別の色の石で彫刻して貼りつけられたらしいが、それもない。となるとこれは族長の像とは別の意味を持っているのかもしれない。
ともあれ、南半球の空を見上げているのである。