石原 亘氏によるコラム「人と木のひととき」
第2回 林業は潮騒に揺られ
僕の生まれ故郷の名古屋には、毎年夏になると大小数回の台風がコンスタントに訪れる。幼いころの僕にとってそれは休校日を意味するものだったから、特に悪い印象はないのだけれども、祖母は少しでも風が強まれば早々に雨戸を閉め、相当な用心をもって強風の到来に備えていたものである。こうした台風に対する過剰なまでのレスポンスが、1959年の「伊勢湾台風」の経験によるものだと知ったのは、僕がちょっぴり大きくなってからのことである。
この大厄災を、僕は映画「潮騒」の中でしか知らないが、記録によれば最低気圧929ヘクトパスカル、最大瞬間風速55・3メートルという凄まじい規模の台風であり、実に5000人以上(うち名古屋市民は約1900人)の犠牲者を出したという。さて、この伊勢湾台風は名古屋市民に台風の脅威を植え付けただけでなく、木材産業にも大きな影響を与えた。
当時の名古屋は木材の集積地であり、市内の運河沿いの複数の貯木場に係留してあった30万トンにも及ぶ大径のラワン丸太が高潮で一気に流出し、凶器となって多くの市民が犠牲になったという。以降、丸太は名古屋港の外れに設けられた広大な貯木埠頭に集約されることとなったが、輸入の単位が丸太から製材になった今となっては、寂しいことにそのほとんどが使用されておらず、すでに一部で埋め立てられているという。(写真)
そして何より、木材家屋が多く倒壊・流出したことを受けて、当時の建築学会は「建築防災に関する決議」を内閣に建議し、木造建築物の全面的な禁止を以後の方針としたのだ。これ以来、全国の建築系の大学では木造建築に関する研究・教育をほぼ放棄してしまい、この方面の研究は、ごく最近に至るまで農学部の林産系の教室で細々と行われているにすぎなかったのである。ちなみに、これより半世紀後の2010年、国は林業振興のため、公共建築物の原則木造化を進めるという「公共建築物木造利用推進法(木進法)」を制定し、この施策は百八十度の大転換をみるのである。
この木進法は鳩山由紀夫首相の時に定められた法律であるが、皮肉にも先の木造全面禁止が建議された当時の首相はその祖父の鳩山一郎氏であった。「日本の林業が鳩山家によって振り回された」ということではないのだけれども、我が国の林業政策は概して短絡的であり、これは悠久の時を刻む木々にとってはなんとも失礼な話である。(つづく)