山中林思

(文:東前 寛治)

3 森林と人間との関わり

 前回まで森をどう思ってきたか…という「森に入る意識」を、文学作品を通して取り扱ってきた。そこには作者の創造性と主観性に基づき、直截に森に入る意図が示されるからである。以上をプロローグとして今回からは、森が実際にどのように扱われてきたか、歴史的・社会的な流れの中で見て行くことにしよう。そのことによって人間の思いと現実との関わり、いわば人間の思いを事実を通して検証することになる。更に言うなら私たちが森に入る気持ちを反省する、あるいは照射する事になるだろう。

 自然はいつでも人間の生活とかけはなれた、異空間に存在するものではない。人間がどんな働きかけを積み上げてきたか、今回は縄文時代の三内丸山遺跡から、考えてみよう。三内丸山遺跡は、青森県にある巨大な縄文遺跡で、今から5500年〜4000年前に縄文人およそ500人が、1500年にわたって生活した集落跡である。こうした縄文人の生活を可能にした訳は何であっただろうか。

 「三内丸山集落の背後には、八甲田に続く落葉広葉樹の森林が広がっていたという。こうして集落ができる以前のこのあたり一帯は、ブナ林を中心とした落葉広葉樹林であった。ところが約六千年前に、森林から草原へと植生が大きく変化した。残った樹木もブナからクリやナラ、ドングリへと変化していった。その理由として火をつけるなどの人為的なインパクトがあったと考えられている。そこに人間が入る。あるいは住み始めると集落周辺の森林は減少し、土地の乾燥化が進んだ。そしてクリの木が増え始める。これは遺跡から出てくる花粉化石の八割以上がクリであり、縄文人が意図的に人為的なクリ林を作って維持管理していたことを意味している。通常自然界ではクリ林の純林はまれで、ドングリやトチなどのいろいろな樹木で構成されている。」

 三内丸山の縄文人がいかに周囲の山林に働きかけてきたか…ということがわかると思う。クリ林にするために、伐採・採取・育苗・植樹・下草刈…と、森林を集団で管理し食料の確保に努めたことであろう。「それは、有用植物の管理栽培にほかならない。」 その結果として約1500年にわたる、縄文人の定住生活が保障されたのである。縄文時代とはいえ、決してそこにあるだけの採取経済がすべてではない、顕著な事例である。三内丸山の人々の森を見る目は、私たち現代人が田畑を見る目、あるいはスーパーで今晩の惣菜を物色する目と、何一つ変わらないのでは…と考えてみると楽しいのではないだろうか。
結びとして、森林は人間の生活との関わりの中で変化してきた。そして、森林を見るとその周囲に住む人々の生活もまた読みとれる? 少なくともその森林の歩みを読みとることができるのではないか。一個の化石から、大地の変動が読みとれるように。

 

【参考図書】
・『日本の時代史1 倭国誕生』(吉川弘文館)
・有岡利幸『ものと人間の文化史 里山1』(法政大学出版会)
・岡村道雄『日本の歴史01 縄文の生活誌』(講談社)

 

 

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