山中林思

(文:東前 寛治)

1 森に入る心

私たちはどんな気持ちで森に入るだろうか。改めて先人の言葉からそれを学び、自然についての意識を深めながら森に入ることにしよう。
 森に入ることを大胆に呼びかけた一人に、国木田独歩がいる。

 

「山林に自由存す」

 山林に自由存す
 われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ 嗚呼山林に自由存す
 いかなればわれ山林をみすてし

 あくがれて虚栄の途にのぼりしより
 十年の月日塵のうちに過ぎぬ
 ふりさけ見れば自由の里は
 すでに雲山千里の外にある心地す
 
 眦を決して天外を望めば
 をちかたの高峰の雪の朝日影
 嗚呼山林に自由存す
 われ此句を吟じて血のわくを覚ゆ

 なつかしきわが故郷は何処ぞや
 彼処にわれは山林の児なりき
 顧みれば千里江山
 自由の郷は雲底に没せんとす

 

出典:
・現代日本文学大系11 国木田独歩・田山花袋集
・筑摩書房「独歩吟」(1970年)


 都会の雑踏や人混みから逃れて森に入ると、種々雑多な樹木の伸びや広がり、地面を覆う雑草の茂りに、思わず目を奪われる。緑の展開は安穏を招き、植物の寡黙は静謐を促す。ここに世情のしがらみや桎梏を忘れ、自己を取り戻すことができると思うのは誰しも同じであろう。独 歩の詩は端的にそのことを表現している。この詩を読んで陶淵明の「帰りなんいざ 田園将に蕪れなんとす」を想起するのは私だけであろうか。

 独歩がここで言う「自由」とは、徳川封建体制から脱却し、自由民権運動の嵐をくぐって日清戦争に勝利を収めた、揺籃期の帝国日本の矜持であり、とりわけヨーロッパの影響を受け「新体詩」をかかげてやまない詩人の雄叫びでもあった。同じく「独歩吟」で、「嗚呼詩歌なき国民は必ず窒息す。其血は腐り其涙は濁らん。歌えよ吾国民」と喚起してやまないところを見ても大いにその意気が感じ取れるであろう。換言すれば原初的な、プリミティブな「森への誘い」、まだ幸せだった誘いということができるだろう。はたして独歩の眼に、どれだけ森に生きる人々の生活が映っていたのであろうか。それでもこの詩は、森への一歩を誘って止まないものがある。

 

 

<< 前の号へ     ▲コラムトップへ     次の号へ>>