森林人コラム

在定 真一氏によるコラム「ログハウスは終わらない」

第1回 — 自然の中で暮らしたい —

 昨年、11月に長年の夢だったログハウスに住み始めて、1年が過ぎました。居間の窓から見える景色も雪景色から新緑、紅葉と移り変わり、それぞれの季節を楽しく過ごすことができて、ログライフを満喫しています。

 以下、3回の予定でログハウスについてあれこれ書いてみたいと思います。

着工前の宅地

はじめての冬

 そもそも20代まではいろいろな場所に住みたいという考えもあって、家を持つということは考えもしなかったのですが、住むのなら木の香りの家が理想でした。また、自分でできることはできるだけやってみたいという性分で、車をいじったり釣竿(といっても、ワカサギ用の)を作ったりしてきました。そして、家も自分で建てることができたら、といつしか考えるようになりましたが、自分で建てることができる木の家となれば、やはり「ログハウスでしょ」ということで、札幌に引っ越してきたのを契機に本格的に考え始め、現在に至ります。

 自分の生い立ちを少し紹介しますが、子どもの頃から自然が好きでした。生まれ育った場所は九州の比較的都会の地方都市でしたが、時々田舎に帰っては遊びながら農作業の手伝いをしていたこともあり、中学校の時に自然相手の仕事として考えた将来の希望の職業が「農業」で、進学先は「農業高校」でした。しかし、零細農家の貧乏な暮らしから離れて会社員となった父は当然反対し、結局、県内の進学校から大学に進み、紆余曲折を経て高校の教員となりました。アウトドア派ですが「キャンプや山登りなどが趣味です」というほどはやってないし、大学の専攻は農学部の林産学科ですが、木の名前もうろ覚えです。

 中途半端なところもありますが、基本的にパチンコやTVゲームなどをして過ごすよりは、自然相手に遊んだ方が絶対楽しいという思いがあります。転勤で札幌に越して来る前は美深町という道北の田舎町で大自然を満喫した生活をしていました。教職員住宅のすぐ隣に天塩川が流れいていて、毎年冬になるとオオワシが飛来し、夏には支流の川にヤマメやニジマス釣りに出かけました。町の公園でクマゲラに出会い、車で鹿に衝突しかけたことは何度もあります。そこで出会った様々な人の影響も、今回、ログハウスに住むようになった理由の一つだと思います。

 美深町では9年間過ごしましたが、その間に親しくなった音威子府村のHさん、名寄市のAさん、そして、同僚のKさんがログハウスに暮らしていました。特に、名寄のAさんは自分で(セルフビルドで)ログハウスのカフェを建てた強者です。ある日、そのカフェに行き食事をした時に「将来ログハウスを建てたい」という話をすると、Aさんの師匠を紹介してくれました。実はその師匠も名寄市を一望する高台に、自分一人で床面積100坪のログハウスを建築している超強者だったのでした。早速、お会いして色々な話をお聞きしたのですが、「家を建てるなら地元の木を使うのが一番」ということで近くの森から切り出した樹齢数十年のエゾマツやらトドマツやらを使って建築していたようです。お伺いした時は、ちょうど建具作りの途中だと言って、白樺材を使って立派なドアを作っていました。 (続く)

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