絶海の孤島問題

(あらまきよしお  作家・荒巻山林山主)

第2回 イースター島ロマン異聞

 あえて〈世界〉とは言わず〈地球島〉と言おう。われわれが棲む地球は、大宇宙からみれば芥子粒にもみたないちっぽけな星だから、島同然なのである。
 一方、南東太平洋に孤立するのがイースター島だ。南回帰線のやや南、西経一一〇度にあるこの孤島に、人々はどこからきたか。北西へ四〇〇〇キロ離れたマーケサス諸島かららしい。しかし、そんなことが実際に可能だったのだろうか。
 中間にヘンダーソン島があるが、それにしても、小さな丸木舟でよく渡れたものだ。むろん、彼ら移住者は新天地を目指したわけではなさそうだ。考えられるのは難破である。嵐や未知の海流に運ばれ未知の島に着いた。
 南米エクアドルに、縄文土器そっくりな土器があることをご存じだろうか。紀伊半島にある製材会社の焼き印がついた材木が、台風の影響で流出、エクアドル海岸に流れ着いたという例からもわかるとおり、海流の道でアジアとアメリカ大陸が繋がっていたらしい。
 そんなわけで、イースター島人が、神代の昔、大和三山に都を造ったという途方もない奇説さえあるのだ。
 余談を戻し、イースター島に最初に流れ着いた住民はホツ・マツア七人兄弟であった。彼らの像はセブン・モアイと呼ばれ、他のモアイが海を背に海岸にあるのに対し、内陸部の斜面アフ・アキブにある。彼らの視線が北西方向のヒヴァオア島を経由して、わが北海道に向いていることを発見したのは他ならぬ筆者だ。道新にも記事が載ったことがあるが、多分、そのせいだと思う、札幌滝野霊園に行くと彼等のコピーが立っている。
 ついでに、ヒヴァオアは、巨石と巨大ツチノコ(ヒバゴン)で知られた広島県比婆(ヒバ)地方に通じる。さらに、太平洋の仮想超大陸ムーロアは紀伊半島の牟婁(むろう)郡に通じ、ここはムーの神人が上陸して神都をつくったという説さえあるのだ。
 などなど今回は本題からづれてしまったが、いずれも戦前に流布した説であり、太平洋戦争に突入した日本の思想背景の一部にもなっていると思う。
 ともあれ、この島には気候的に大きな樹がなかった。従って、舟が造れず、脱出できなかった。やむなく暮らしたが、代を重ねるうちに人口過剰になった。食糧不足に陥り、支配者長耳族と奴隷階級短耳族の間で戦争が起きた。樹木の有無が歴史さえ支配するのだ。

 

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